goo blog サービス終了のお知らせ 

意思による楽観のための読書日記

日本日記 外国人が見た日本 筑紫哲也 **

1993年に発刊された日本論、今でもあること、今ではもうないこと様々だが、20年でこんなにも変わるのだと驚くこともある。

CWニコル。日本の田舎は素晴らしく、人々は人情に溢れている、一方で新幹線で傍若無人に振舞う日本のビジネスマンに遭遇した。ニコルの連れの日本人女性を意識し、ニコルを意識しての性的差別発言と人種的差別発言を繰り返したという。今でもこうした輩は多い。東日本震災対応で日本人が示した弱者への思いやりの裏返しは、強い立場にたったときに日本人の示す傍若無人な振る舞い、これは今でも変わっていないだろうと思う。JR駅員に対する暴力、東南アジア観光での振る舞い、ゴルフ場での振る舞いなどなど。

ケントギルバート。東京での外国人に対するアパート、マンション契約差別、これはどうであろうか。外国人というよりもトラブルを起こされたくないという家主の契約者としての権利主張だとも思えるが、「外国人のお断り」と書いてしまうところに世の中知らずを感じる。一方、家族対抗歌合戦を見て、これは欧米ではないだろうというケントギルバート、誘拐の対象になるから。今はもう無くなってしまったこのプログラム、原因は誘拐なのだろうか。

ロバートホワイティング。アンチ小錦の大合唱の中で、ロッテのソレイタが小錦を慰めている。ソレイタが勝利打点、本塁打、打点の三冠に輝いたときに、監督が記者に「日本人をMVPに選んでくれよ」とささやいたことを聞いたソレイタ、小錦に「貯金通帳のことを考えれば良い」とアドバイスした。今なら白鵬叩き、となるがそれはおきていない。朝青龍は叩かれたが、それは外国人だったからではなく、横綱として異端だったから。異端はいつの時代にも叩かれる。小錦、今は日本人に愛されるキャラクターになっている。もう相撲取りではないからだろうか。違うのだ。強すぎる相撲取りは嫌われるし、それが異端の匂いを放てば尚更である。小錦は今や異端でもなんでもない。白鵬は日本人そのものと言える。白鵬は貯金通帳など見てはいないだろう。

ピーター・フランクル。日本の子供たちは勉強ばかりしていて、本当の人生に役立つ勉強をさせてもらっていない。人には向き不向きがあるので個性を伸ばそう、という主張。その後ゆとり教育で学力が低下、PISA調査で世界での日本の教育ランキングが低下した今、もう一度数学、理科、読解力などの力を伸ばそうという動き。PISAで今急上昇しているのは中国、韓国である。国別ランキングに意味はあまりないが、子供たちへの教育をどう考えるかは大変重要。今でも左右に振れる問題だと思う。

フランソワーズモレシャン。日本の地方都市はどこもミニ東京、田舎であることに誇りを持ち、個性を主張して欲しい、という主張。田舎が差別語であるかのように思っている地方都市出身者がいることにも違和感をもつモレシャン。田舎であることはアイデンティティであるはずという。今はどうか。田舎Iターンの傾向があるが、これは就職、働き口があるかどうかが重要。田舎での産業は農業、林業、漁業などであり、その産業での働き口が減少しているのでは人口都市集中は避けられない。高齢化、介護ビジネス、観光立国など地方での経済を支えるきっかけとなるキーワードは増えているが、公共工事減少は地方には痛手である。農業国フランスでは地方、田舎は自慢であるが、工業立国を目指した日本では差別語になった。

20年の年月は長いようで短く、短いようでいて結構長い。
日本日記―外国人が見た日本 (福武文庫)

読書日記 ブログランキングへ



↓↓↓2008年1月から読んだ本について書いています。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「読書」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事