テス君の部屋

観光、旅先での風景や印象に残った事・日常の事などをできる限り写真を付けて気ままに書いていきたいと思っています。

”文学座” №15

2007年11月17日 | 文学座
第34作品目は、”道化と愛は平行線”(78年6月24日 大阪サンケイホール)
矢代静一=作 戌井市郎=演出
出演者は、角野卓造・吉野佳子・宇都宮雅代・松下砂稚子・高橋悦史・倉野章子・
       二宮さよ子・林秀樹・高原駿雄・清水幹雄・本山可久子・中川雅子・
       若井俊治
この公演パンフレットに「アトリエの出来たころ」と題して芥川比呂志氏(文豪芥川龍之介の子息)が
文を書いている。書き出しの部分をすこし紹介します。
  文学座のパンフレットに原稿を書く。十何年ぶりに書く。そのことで少し興奮している。
  あのころ私は文学座のパンフレットを編集していた。あのころ、というのは、アトリエ
  が出来たころ、という意味である。
  加藤道夫や加藤治子といっしょに文学座へ入った年に、「アトリエの会」というものが
  出来た。岩田豊雄先生の命名による。「勉強会」と「フランス演劇研究会」と二筋に
  なっていた私演会を、一つにまとめたのである。
  これは、有楽町駅前の毎日新聞社のホールでやっていた。地の利がいい。
  矢代静一にはじめて会ったのも、そのころである。
  ・・省略・・
  「ぼく、俳優座の矢代です」
  「はぁ。文学座の芥川です」
   両方とも、駆け出しだから、まず暖簾を出し合ったのを覚えている。
  翌年、信濃町の稽古場が出来た。
  本公演では上演しにくい前衛的、実験的な芝居をやり、兼ねて演技の練磨にはげむのが
  アトリエの会の主旨であった。理念が先で、建物は後である。矢代が来た。
  新しい稽古場もアトリエと命名された。
  アトリエでの最初の稽古は『娼婦マヤ』であった。
  ・・・・・・・

第35作品目は、”日の浦姫物語”(78年10月3日 大阪毎日ホール)
井上ひさし=作 木村光一=演出
出演者は、杉村春子・菅野忠彦・金内喜久夫・新橋耐子・三津田健・宮崎和命・矢代寿子
       安井裕美・三木敏彦・塩島昭彦・熟田一久・戸井田稔・青木勇嗣・七尾伶子・
       神谷和夫・鵜沢秀行・藤堂陽子・赤司まり子・梅沢昌代

この公演パンフレットにも「四半世紀前のアトリエ」と題して劇作家・矢代静一氏が文を
寄せている。
その最初の部分を紹介します。
  「道化と愛は平行線」を書きあげ、演出の戌井さんと配役について相談した。  
  肝心の主人公辻真一郎がなかなかきまらない。戌井さんが言った。
  「いま、アトリエで、別役実君の『にしむくさむらい』というのをやっている。
  角野卓造君という役者が出ている。見てくれないか」
  早速見に行った。ほんとうに久しぶりのアトリエ見物であった。芝居が始まる。
  四、五分角野君の演技をみただけで、よし、角野君にやってもらおうと心にきめた。
  ・・・・(省略)

つづく

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