テス君の部屋

観光、旅先での風景や印象に残った事・日常の事などをできる限り写真を付けて気ままに書いていきたいと思っています。

京都・石塀小路から高台寺へ

2010年02月01日 | 寺院・仏閣
先日(1月24日)、京都に行ってきた。

今年に入って2度目の訪問である。1回目は初詣で深夜、八坂神社・平安神宮にお参りした。

今日は、私のブログの最初の記事である高台寺に行ってきました。

阪急を利用している私が高台寺、清水寺方面に行くときは、八坂神社を通り抜けて行くことがほとんどだが
今回は花見小路を通り(今日は日曜日なので観光客でいっぱいです)、建仁寺横を東に東大路通を越え
石塀小路を歩き高台寺にむかいます。

石塀小路(上の写真も)人通りは少ないです、観光番組などで結構紹介されているのに。
奥の人が見えるところが、ねねの道です。


この石段を登ると高台寺です。


高台寺の横にある駐車場からの眺め。左の塔が八坂の塔、右に小さく見えるのが京都タワーです。


霊山観音


高台寺の境内へ


方丈の前庭


開山堂(左・重文)と奥に見えるのが霊屋(おたまや)


庭園


臥龍池と奥に見えるのが臥龍廊


臥龍廊
  開山堂と霊屋を結ぶ階段で龍の背に似ている所からこのように名づけられた。


霊屋(重文)
  秀吉と北政所をお祀りしている所である。
  厨子内左右に秀吉と北政所の木像を安置している。


傘亭(重文)
  利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものである。
  傘亭は竹が放射状に組まれ、カラカサを開けたように見えることからその名があり、
  正式には安閑窟と呼ばれる。時雨亭とは土間廊下でつながっている。


時雨亭


竹林


開山堂
  高台寺第一世の住持、三江紹益禅師を祀る塔所である。
  左右壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の像も安置されている。


勅使門


ここで、高台寺の勉強を

鷲峰山(じゅぶざん)高台寺(臨済宗建仁寺派)
  東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。
  正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉死後、その菩提をともらうために秀吉夫人の北政所(ねね、出家
  して高台院湖月尼と号す)が慶長11年(1606)開創した寺である。
  寛永元年七月(1624)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。
  造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわ
  めたという。

なお、北政所は天正16年(1588)に従一位に叙せられ慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を
賜り、寛永元年(1624)9月6日、76歳で亡くなられた。(各説明文は拝観パンフレットより記載)


高台寺の拝観を終え、次に八坂の塔に向かいます。

つづきは、次の間(京都・建仁寺)でお待ちしております。



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京都・建仁寺

2010年02月01日 | 寺院・仏閣
上の写真は、建仁寺の風神雷神図屏風(デジタル複製)

八坂の塔
  聖徳太子が創建したと伝えられる臨済宗の法観寺の五重塔
  現在の塔は足利義教が飛鳥時代の礎石の上に再建したのもで、高さは49m。
  古建築の塔では、東寺、興福寺の五重塔につぐ高さを誇っている。



八坂の塔を見て、高台寺辺りまで戻り、再び石塀小路を通り建仁寺に行きます。

石塀小路





建仁寺
  京都最古の禅寺。臨済宗建仁寺派の大本山。開山は栄西禅師。開祖は源頼家。
  鎌倉時代の建仁2年(1202)の開創で、寺名は当時の年号から名づけられています。
  山号は東山(とうざん)。

方丈の庭
  白砂に緑苔と巨岩を配した「大雄苑(だいおうえん)」と称される枯山水の前庭。




法堂(はっとう)
  明和2年(1765)上棟。仏殿兼用の「拈華堂(ねんげどう)」。
  五間四間・一重・裳階付の堂々とした禅宗様仏殿建築。
  また、その天井には平成14年(2002)創建800年を記念して小泉淳作画伯筆の双龍が描かれている。 


本坊




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東福寺・泉涌寺めぐり

2009年07月13日 | 寺院・仏閣
6月の初め京都に行ってきた。
今日の目的地は東福寺と泉涌寺、私の記憶では一度も訪れたことがない。

東福寺に向かう途中、下の写真の案内板を見、お庭見物に。

臨済宗東福寺派塔頭 霊雲院
霊雲院は明徳1年(1390)に傑僧岐陽方秀によって開かれ、はじめは不二庵と称していました。



書院前庭は遺愛石のある珍しい庭として、江戸時代中頃に出版された「都林泉名勝図会」に紹介されていました。
だが、三百年の歳月は、お庭をすっかり荒廃させてしまっていましたが、第十六世景峰和尚の熱望に依り、近年、
重森三玲氏が修復され、庭本来の面目を取り戻しました。
これが「九山八海の庭」(霊の庭)です。

九山八海の庭





庭中央の遺愛石が、魏々として聳えて、人跡滅し、誰一人として窺い知ることのできない須弥山です。
それを取囲む白砂の律動的な砂紋は、九山八海を表現して、仏説の宇宙世界を象っています。


遺愛石


臥雲の庭
小書院の西から、茶室観月亭にかかる庭を当院の寺号霊雲を主題にして「臥雲の庭」と呼びます。


30分ほどお庭を観賞して、東福寺に向かいます。


東福寺に向かう途中の臥雲橋より通天橋を望む。
東福寺・通天橋(方丈と開山堂を結んで架かる)


東福寺・本堂と禅堂
本堂、昭和9年築の重層入母屋造の大建築。
禅堂(重要文化財)は1347年再建。わが国最古最大、中世から遺る唯一の坐禅道場。


方丈(明治23年再建)


歩廊


開山堂
1280年入定の聖一国師を祀る。


普門院よりお庭(江戸中期の名園)を。


三門(国宝)
室町初期の再建。




泉涌寺(せんにゅうじ)まで思った以上に時間が掛かりました。

泉涌寺は、皇室の菩提所で「御寺(みてら)」と呼ばれる。

大門(重要文化財)


仏殿(重要文化財)
寛文8年(1668)に徳川家綱により再建されたもの。


舎利殿(京都府指定文化財)
御所にあった御殿を寛永年間に改装再建したもの。謡曲「舎利」の舞台としても有名。
天井の狩野山雪筆の蟠龍図は、ひろく「鳴龍」として知られている。


唐門(この奥に霊明殿) 注:画像明るさ修正しています


月輪陵





臨済宗大本山 東福寺 京都府東山区本町15丁目

総本山 御寺 泉涌寺 京都府東山区泉涌寺山内町27

説明文はそれぞれ拝観パンフレットより転記しています。



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銀閣寺~哲学の道~永観堂へ

2009年05月13日 | 寺院・仏閣
4月13日、銀閣寺から哲学の道を歩き永観堂の参拝、観光に出かけた。

銀閣寺は今、観音殿の修復工事中です。
  屋根葺き替え及び部分修理(耐震)工事です、平成20年2月より約2年間の予定。

最近、屋根の葺き替えが完了したとの報道がなされていた。

銀閣寺の発祥
  銀閣寺は臨済宗相国寺派に属する禅寺で、建立は文明14年(1482)室町幕府八代将軍足利義政公による。
  義政公は、祖父にあたる三代将軍足利義満公の北山殿金閣(鹿苑寺)にならい、隠栖生活を過ごすため、
  山荘東山殿を造営。この東山殿が銀閣寺の発祥である。
  銀閣寺は俗称であり、正しくは東山慈照寺。
  義政公の法号慈照院にちなみ、後にこう命名された。

銀閣寺・総門



観音殿(銀閣)[国宝]
  鹿苑寺の舎利殿(金閣)、西芳寺の瑠璃殿を踏襲し、本来、観音殿とよばれた。
  二層からなり、一層の心空殿は、書院風。
  二層の潮音閣は、板壁に花頭窓をしつらえて、桟唐戸を設けた唐様仏殿の様式。
  閣上にある金銅の鳳凰は東面し、観音菩薩を祀る銀閣を絶えず守り続けている。

屋根が新しくなり、まるで金閣寺のように金色のように見える。



銀沙灘と向月台



東求堂(とうぐどう)[国宝]
  義政公の持仏堂。一層の入母屋造り、檜皮葺きの現存する最古の書院造り。
  南面に拭板敷、方二間の仏間が設けられ、北面には六畳と四畳半のニ室がある。
  北面東側の四畳半は、同仁斎とよばれ東山文化を生み出す舞台となり、また草庵茶室の源流、
  四畳半の間取りの始まりといわれている。 








銀閣寺を後にして、哲学の道を歩き永観堂に向います。

哲学の道
  哲学者・西田幾多郎がこの道を散策しながら思索にふけったことから、この名がついたと言われる。


お店の前の小さなベンチで縫いぐるみの親子?かな、道行く人たちを見ていました。
何を語りあっているのでしょ・・・。












哲学の道の附近には、法然院、安楽寺、霊鑑寺、若王子神社もありますが今日は寄り道せず永観堂に向います。

永観堂 禅林寺・総門


鶴寿台


釈迦堂


多宝塔


放生池


禅林寺は真言密教の寺として始り、863年、弘法大師の高弟・真紹僧都が清和天皇から寺院建立の許可をもらい、
禅林寺という名を賜わったのです。

本尊は、肩越しにうしろをふりかえった姿の阿弥陀如来で「みかえり阿弥陀」と呼ばれている。

また、「もみじの永観堂」として全国にその名を知られています。




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奈良・長谷寺

2008年09月10日 | 寺院・仏閣
奈良県桜井市にある長谷寺に行ってきました。
奈良に来るのは6,7年ぶりになるだろうか?
長谷寺となるといつだろう、おそらく25年以上前にもなるだろうか。


近鉄長谷寺駅に着きました。駅前は閑散としていました。
ここから長谷寺まで徒歩で15分ほどかかります。


今日は、けっこう暑いです。
駅から20分弱かかって長谷寺につきました。

ここで長谷寺のお勉強です。
長谷寺は、山号を豊山(ぶさん)と号し、朱鳥元年(686年)、道明上人が天武天皇のために「銅板法華説相図」を
初瀬山西の岡に安置したことにはじまり、のち徳道上人が聖武天皇の勅願によってご本尊十一面観世音菩薩を東の
岡にお祀りになりました。

また長谷寺は、関係寺院三千ヶ寺を有する真言宗豊山派の総本山として、
また西国三十三所第八番札所として、檀信徒は約200万人、四季を通じて
「花の御寺」として多くの人々の信仰をあつめています。

長谷寺の四季の花
春は、桜・牡丹・さんしゅゆ・木蓮・花水木・山吹・藤・しゃくなげ
夏は、額あじさい
秋は、むくげ(槿)・紅葉
冬は、寒牡丹・冬牡丹




石段を上ると仁王門が迎えてくれます。
仁王門は、平安時代一条天皇の御代にはじめて建立されました。
現在の門は明治18年(1885)の再建。



仁王門を潜るとすぐ長谷寺といえば誰もが一度は写真で見たことがあると思います。
登廊(下登廊=下の写真)です。三九九段、上中下の三廊に分かれている。
登廊は春日社司中臣信清が、観音様の霊験によってご子息の病気が回復したことのお礼に長暦3年(1039)に
寄進建立された。現在の下・中登廊は明治22年の再建です。



汗ばんだ手を清めます。



東に向きをかえ中登廊を上ります。



中登廊を上がりきると右に蔵王堂があります。
ここで北に向かって上登廊を上ります。



上登廊をあがりきると本堂があります。
大きすぎて私のコンデジでは納まり切れません。
本殿には学生さんが多く居られたので参拝は後にして、
すこし離れた三社権現(滝蔵三社)にまいります。
東社・石蔵権現  中社・滝蔵権現  西社・新宮権現



本堂は徳川三大将軍家光公の寄進により慶安3年(1650)に建立。
入母屋造の正堂と礼堂からなる双堂(ならびどう)形式で、前面に懸造りの舞台が付く大建造物です。
平成16年12月、国宝に指定されています。

愛染堂より本堂を眺む。



本堂に入り参拝をすませます。
ご本尊の十一面観世音菩薩像は御身の丈三丈三尺(10m余)ありその大きさに圧倒されます。
勿論、写真撮影など厳禁です。

本堂舞台より境内をみる(南の方角)



本堂舞台より五重塔を望む。


五重塔
昭和29年、戦後日本に初めて建てられた五重塔で、昭和の名塔と呼ばれている。



弘法大師御影堂
宗祖弘法大師の千五百年御遠忌を記念して釘を使わず建てられた。



本長谷寺(もとはせでら)
道明上人が長谷寺の礎を築いた場所に建てられた。



西参道を通り帰ります。



西参道より本堂を望む


長谷寺の参詣も終わり帰路につきます。
回れなかった場所も多くありますが時間の都合もあり長谷寺を後にします。

我が家からは奈良はチョッと不便ですが、次に奈良を訪れる時には室生寺を訪ねてみたい。

今日は暑い一日ではあったが気持ちよい時間を過ごせました。
感謝、感謝です。



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ありがとうございました。またのご来場(ご来訪)お待ちしております。


鞍馬寺から貴船へ

2008年07月14日 | 寺院・仏閣
7月10日、鞍馬寺から貴船神社に行ってきました。
京都に行こうと家を出ましたが、行き先は決めていませんでした。

平安神宮の神苑見物か銀閣寺から哲学の道を散策しながら法然院、永観堂を巡るコース。
それとも鞍馬寺に行こうかと考えていました。
鞍馬寺には行った事がないのが決め手になり鞍馬寺に決めました。

四条河原町から市バスで出町柳まで行きます。
バス停から徒歩2分ほどで叡山鉄道の出町柳駅に着きます。

出町柳駅から終点の鞍馬駅まで30分ほどかかります。
電車は2両のワンマンカーです。

駅から鞍馬寺の仁王門(上の写真)までは数分です。

予備知識もないままにきたのであとでふり返ると結構見落とした所がありました。
本殿の拝観をめざし参道を進みます。



しばらく行くとケーブル山門駅につきます。
ケーブルを利用して上ります。
ケーブルを利用せず由岐神社を通り本殿金堂を目指すコースもあります。
10月22日に行われる『鞍馬の火祭り』はこの由岐神社の祭礼です。
鞍馬寺のお祭りではないのです。

多宝塔駅につきます。多宝塔(下の写真)を見物しながら



参道を進みます。



転法輪堂(祖先の恩徳に感謝をささげるお堂)が見えてきます。
お堂の階下が洗心亭という茶店になっている。この時間営業していなかった。



本殿金堂(下の写真)につきました。
本殿は標高410メートルの高さのところあります。
お参りを済ませしばし休憩します。この時点で結構汗だくです。



さらに「奥の院魔王殿」を目指します。
ここからがさらに大変でした。石段を登っていきます。
けっこうキツイです。運動不足の我が身には。
正直途中で引き返したくなりました。
思えば石段の上り口に杖が用意されていたなぁ。



やっと途中にある義経堂(下の写真、義経公を護法魔王尊の脇侍「遮那王尊」として祀る)まできました。



木の根道(下の写真)をさらに進みます。この道が歩きにくいのです。
根に足を引っ掛けそうで注意が必要です。
木の根道=岩盤が固く地下に根を張れない杉の根が見事なアラベスク模様を描く。
牛若丸が兵法の稽古をした所といわれる。



やっと「奥の院魔王殿」につきました。
私だけでした。しばらくして貴船神社の方から上られてきた方がこられた。



鞍馬の方に戻るか貴船神社の方に行くか迷いましたが、鞍馬寺の仁王門まで約2km、
貴船なら約600mなので貴船神社を目指します。
下り道とはいえ足がガクガクして歩きにくいです。思いのほか急なのです。
やっと貴船神社につきました。



またまた、石段や、けっこう長いなぁ。




貴船神社でのお参りを終えて貴船川沿いに叡山鉄道貴船口駅まで戻ります。
川沿いには多くの茶屋が並んでいます。時間帯もあり川床にはお客さんは見かけませんでした。
ここ貴船神社から駅までは2キロ以上あります。
すこし下り道とはいえ大変です、周りの木々の緑と川の流れの水音を聞きながら駅まで歩きます。



大変疲れましたが、気持のいい汗をかきました。
もし次来ることがあればもう少し涼しい時季に訪れたいと思います。

一日いい運動ができ、山の木々の緑に癒された一日でした。


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嵐山・松尾大社 1

2008年06月07日 | 寺院・仏閣
嵐山にある松尾大社に行ってきました。
嵯峨野めぐりをした時、電車の車窓から大きな鳥居が目に付いたので今度訪れようと思っていた。
駅を降りるとまづ先に述べた大鳥居が迎えてくれます。
鳥居の下を通り3,4分で松尾大社に着きます。

御由緒
松尾大社は京都最古の神社で太古この地方一帯に住んでいた住民が、松尾山の神霊を祀って、
生活守護神としたのが起源といわれます。

松尾大社の鳥居をくぐると左に「お酒の資料館」があり、すこし進むと右に「蓬莱の庭」があります。

上の写真は、松尾大社の鳥居。


阪急松尾大社駅前の大鳥居。


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嵐山・松尾大社 2

2008年06月07日 | 寺院・仏閣
鳥居を進むと楼門があり、その奥に拝殿その奥に本殿があります。

境内
社殿の背後の松尾山を含む約12万坪が境内です。
松尾山は別雷山(わけいかづちのやま)とも称し、七谷に分かれています。
社務所の裏の渓流を御手洗川と称し、四時涸れることのない霊亀の滝がかかっています。
滝の近くに亀の井という霊泉があり、酒造家はこの水を酒の元水として造り水に混和して用い、
また延命長寿、よみがえりの水としても有名です。

写真は「楼門」

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嵐山・松尾大社 3

2008年06月07日 | 寺院・仏閣
拝殿の左奥に神輿庫に全国の酒造家より奉献された酒樽が納められている。
松尾大社は醸造祖神としても信仰されている。

本殿
現在のものは室町初期の応永4年(1397)の建造、天文11年(1542)大修理を施したもの。
建坪35坪余、桁間3間、梁間4間の特殊な両流造りで、松尾造りと称せられています。
重要文化財に指定されています。

本殿の参拝を終え宝物館にいきます。
ここに御神像三体が安置されている(男神像二体・女神像一体)。
平安初期の作で、三体とも等身大坐像、一木造りで、わが国神像中最古最優品として
重要文化財に指定されています。

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嵐山・松尾大社 4

2008年06月07日 | 寺院・仏閣
松尾大社の庭園は、昭和50年に昭和を代表する作庭家であった重森三玲(みれい)の設計によって
作庭された。また彼の絶作でもある。

上の写真の曲水の庭(平安風)は、当神社の最も栄えた平安期を表現するもので、御手洗川の清水は
七曲りして丘麓を洗い、丘上には青石が点在してこれを見下ろす優雅にして華麗な姿です。


上古の庭(磐座風)は、松尾山中の神蹟に因んで作られたもので、二神を表徴する二巨石を囲む岩石群
の配置は森厳味溢れ、地上一面に植えられた丹波笹は高山の趣をあらわしています。



蓬莱の庭(鎌倉風)は、昔、中国の人が、東海中に不老不死の島ありと考えたのが、蓬莱の島です。
岩の間から噴出する水が鶴形の池に注ぐところ、多くの島が点在し、周囲を回遊しながら眺めると、
仙境に遊ぶ感がするといわれます。



帰りに「お酒の資料館」も見物しました。小さな資料館です。
松尾大社を訪れたのは初めてだと思います。
ここは嵐山・嵯峨野観光の中心地からすこし外れていることもあり、観光客の方もほとんどおられなかったです。
境内でお会いした方(おそらく地元の方だとおもいます)が、「山吹の花が咲く4~5月初頃もいいですよ」と
教えてくださった。あじさい苑もあり季節を変えて参詣するものいいかもしれません。

この後、山崎にあるサントリーの蒸留所の工場見学に向かいます。
午後3時が最終見学の時間です。それまでに申し込みを終えねば、すこし急がないといけません。

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