脳梗塞で身体障害者に成った人生について

ある日突然に脳梗塞に倒れ、気が付いたら体の半分が全く動か無い状態に成った時の感情など

太陽の恵み

2010-01-27 04:17:30 | Weblog
今でも思い出すのは、病室によっては、窓側と廊下側とでは、随分温度が違います。私は、約2年入院の間で、窓側のベッドに成ったのは、僅か一か月程でした。発病した時、救急入院した病院は、脳神経外科の個人病院では、大変有名な病院で、患者も多く、一日に数台も救急車で、脳疾患の患者が、運び込まれる状態でしたので、ICUも病室も、患者であふれていました。

こんな状態ですから、私が入れられた病室は、6人部屋に9人押し込められ、男女とも同室でした。ベッドの両隣間は、人が横に歩かなければ、成らない程しか無い状態です。隣に3~4人以上の見舞客が来ると、五月蠅くて仕方が無いのですが、私は、まだ、声が出ないし、話せない状態でしたから、ただただじっと耐える以外、方法は無かったので、本当にイライラしました。

発病時は、秋から冬に向かう時期でした。一般病室に移された頃は、冬で寒い寒い頃でした。しかも6人部屋に9人入れてるのですから、私のベッドは、病棟の突き当たりでしたので、廊下に出てましいた。入口は、閉まらず、階段から吹き上げる風が、まともに私のベッドに、吹き込んでくるのです。

それに反して、窓側に入院してた、学校の先生だった方らしい老女は、寒い日でも朝7時に成ると、窓を開けて、太陽の恵みを身体一杯に浴びて居ました。廊下にはみ出した私は、階段から吹き上げ、窓に抜ける風で一段と寒く凍えるようでした。

その方が退院したら、替えて貰う様に看護師さんに頼んでましたが、無視でした。結局6ヶ月間一度もひの当たるベッドに成った事は無かったです。お日様の光が燦々と降り注ぐ、ベッドに居る患者さんが、羨ましくて、仕方が無かったです。

私が初めて窓側のベッドに成ったのは、副院長が友人の病院に転院した時でした。春の柔らかな日差しを身体一杯に受けて、横に成って居れる幸せをしみじみ感じました。窓側と廊下側とでは、温度にして2~3度、晴れた日は、もっと違ったと思います。

その時の幸せ感は、今でも、私の微かな記憶の中に、はっきりと残っています。現在は、兎に角お日様が、出てる日は、極力布団を干す様にしてます。昨日もとても良いお天気でしたかあら、ヘルパーさんに、敷き布団、毛布、掛け布団、全て干して貰いました。

お陰で、夜中は。暖房を点け無くても、汗掻く程の温かさで、じっくり眠れました。
寝た切りの患者さんと、同居して居られる家族の方は、寝具は、出来るだけ簡素な物にして、その代わり、毎日でも、日光に干して上げると、加齢臭も糞尿の臭いも、消えますから、患者さんも、気持ち良く眠れます。

寒いからと、毛布や布団を沢山被せるより、ズット温かいです。是非試して上げて下さい。