脳梗塞で身体障害者に成った人生についてと、占いと人生相談のサロン

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慢心が怪我を招くアスリート達

2018-02-14 08:23:50 | 脳梗塞で身体障害者に成った人生について
”奢れる者は久しからず”と平家物語でも謳われて居るが、その平家の隆盛は、歴史的には僅かで終わった事は、歴史を学んだ者は、周知の事実だ。

実業家でも、企業でも同じ事だが、特にアスリートの場合は、自分の体一つで勝負している訳で、謂わば、生産工場も経営も全部自分の体の中に在る状態だから、他人が替わり楊が無いのだ。

それ故、アスリートにとっては、慢心こそ自滅の元に成ってしまう。

勿論プロのアスリートの成功者で、怪我を一度もせずに人生を終えた人は、殆ど0に近いだろう、少なくとも小さい怪我の一つや二つは、経験している筈。

そこから何を学び、どうアスリートとして心構えを成長させたかが、プロアスリートとして成功するか、怪我を抱えて引退の道を、選ばざるを得なかったかの分かれ道になる。

アスリートにとって向上心は、必要不可欠な気持ちで在るが、基本的な実力も無いのに、背伸びをしては、怪我の元に成るだけ。

羽生選手の場合も、宇野昌磨選手が新しい4回転を世界で初めて決めたこ事が、『王者はじ自分だ!』と言う自意識過剰の気持ちと焦りが招いた、今回の大怪我に成った。

果たして羽生選手は、一体今回の大怪我で、何を学んで来たのか?と期待してたが、何も変わって無かった。

日本選手権で優勝者と2位の者は、オリンピック選考の対象のはずだが、羽生選手は過去の実績評価されてのオリンピック代表権を獲得したのだ。

日本国にと取って、例外を作ってしまった訳で在るが、その有難味を全く感謝していない。当然と考えてる所が慢心なのだ。

アスリートの人生として、太く短く名声だけを追い求めてる羽生選手の人生は勝手だが、特別視される事が、当たり前と思う心は、捨てて欲しいものだ。

それも自分の人生だから、良いと思うが、ファンとしては、出来るだけ長く、演技を見たいと思うものだ。

私は今でも、高橋大輔さんの”白い恋人達”や、多くの演技を観たいと、残念で成ら無い。

この白い恋人達は、多くフィギュア選手が競技に使うが、この曲が掛かると、いつも高橋大輔さんの演技を想い出す。

羽生選手が、自分の人生をどうイメージしてるか判らないが、ファンにとっては、一日も永くアスリートとして活躍して欲しいものだ。

決して自分に奢れる事無く。謙虚に誠実に自分の道を、進んで欲しいものだ。

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