先日、剪定(せんてい)のため河原子に。10年前の災害被害の対応で、日立市が梶沢川補強工事をしていた。
補強工事中
白砂青松は何処へ消えてしまったのやら河原子海岸
前回のブログ更新は4月初め、もう今月が終わる。今年も3分の1が。「古稀」も間近になり、時間の進みが早い。「終活」という言葉が、どこからか聞こえる。
老妻は、午前中は家庭菜園の仕事に勤しむ。最近は、除草作業に追われる毎日。加えて、夏野菜の植え付けと、暇なく動いている。畑仕事で身体を動かすことが、病気対策と考えている。
春の菜園全景 夏野菜はオクラを残すだけ
今日は祝日「昭和の日」、朝からの雨風で外での作業ができない。こういう日は、ゆっくりすればいい。
家内が愛してやまない黄色のフリージヤ
老妻は
うつらうつらの
春の昼
退職祝いに頂いた2年目の胡蝶蘭
【余 録】
若いときに気づけなかったことの一つに、自分で「無理」と決めてしまうと、絶対に駄目な結果につながる。しかし、「何とかなるかも」と楽観的に希望を抱いて行動すると、それなりに自分に納得できる結果がついてくる。
都忘れ
心でイメージしたことは、必ず「形」をもたらすことに思い至らなかった勉強不足を悔やむ。人間は、自分で「想像」すると、自分なりに「創造」していくのではないか、早く気づいていれは、人生少し変わっていたかも。
日本桜草
「東日本大震災」の直後に、テレビで金子みすゞの『こだまでしょうか』というCMが流れた。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと
「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
子どもにも、大人にも癒やしの時間を提供してくれた。
香りいっぱいのダルマふじ
優しい言葉で語りかければ、人間もこだまのように優しく対応してくれる。コロナ禍の日常で忘れていけないことは、大震災のときと同じで、相手を傷つけるような言葉で接するのではなく、相手を気遣った優しい言葉で接すること。
オオデマリ
気づいたでしょうか。「優しい」の「優」、「憂い」の隣に、「にんべん」の人が寄り添っている。「コロナ禍」により、私たちの日常は、それまでの「非日常」になってしまった。
クレマチスの一種「モンタナ」
「こだま」は、「うなずく」という仕草。挨拶や、感謝の言葉をかけられたら、言葉や仕草で対応し、お互いに「優しい」気持ちでと思う。