『三樂録』

「善樂」「健樂」「長樂」の探究軌跡。時は満てり、これでいいのだ。

初詣

2021年01月10日 | 茶飯事

年が明け1月3日、開催が危ぶまれたが、那珂市の一乗院に恒例となった初参り。昨年買っただるまに目を入れ、毘沙門堂(びしゃもんどう)に納めた。今年はだるま市でだるまを買うだけの予定。護摩祈とうや、子どもたちのかわいい七福神さまより福豆をいただき、1年の息災を祈る行事には不参加。

「毘」の文字の入っただるまと、干支(えと)の丑(うし)人形、御朱印をいただき帰路。2013年お正月から、花の寺法満山一乗院にお参りするようになり、だるまを買うようになった。毎年、青空を背景にした日本一の毘沙門天(びしゃもんてん)を掲載。それだけでお福分け。

 

 

全長16mの毘沙門天像、足で邪鬼を踏みつけている。毘沙門天は武人からの信仰があつく、水戸城の鬼門除けとして佐竹氏や水戸徳川家にも崇拝。となりは吉祥天(きしょうてん 毘沙門天の妃)と、善尼師(ぜんにし童子 毘沙門天の子)とのこと。

毘沙門堂は、1000年以上前の桓武天皇の時代に創建。毘沙門堂に安置された像を大きくしたのが巨大な毘沙門天像。元になった像は鎌倉時代に運慶がまつったもの。長らく常陸国(いまの茨城県)の信仰を集め、県の指定文化財。800年近い歴史のある像とのこと。(HP参考)

 

 

だるま買い

福豆いただく

初詣

 

今までは、駐車場に止めることはできなくて、路上駐車。今年はコロナ禍の影響なのか、それとも早く行ったためか、正面の駐車場に駐車。30分ほどで帰路についたが、そのときは駐車場は満車、しかし路上駐車はなかった。

 

 

【余 録】

社会の発展には、「欲望」がなければならない。利己なしに発展はない。傍観者面の表面だけの論理では、見せかけだけの発展しか望めない。本物の幸せにはならない。自分の欲望の結果得たものを、どう社会還元するか。社会の豊かさのために、周りの人たちと何をするのか。「自分が」ではなく、「みんなが」・「社会が」という視点で、先ずは小さな行動することが求められている。挨拶からでいい!

 

 

【おまけ】 ーーー銚子行2ーーー

「常陸」で憧れの海鮮丼をいただいて、近くにある「妙福寺」に御朱印参りの予定でいた。Google で調べたならば「10分」ほどだったので、駐車場に戻らず徒歩でお参り。歩けども歩けども到着できず。改めて、携帯でGoogle 検索。大失敗! 車で10分! ショック! 家内は運動運動と急ぎ足! 空には黒い雨雲が!

 

 

境内には、4つの藤棚があり、樹齢約740年を超えるものもある。根元が龍のねている姿に似ていることから「臥龍(がりゅう)の藤」といわれ、見事な紫の花すだれを見せる。その時期に再び訪ねたい。

 

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