【記事のポイント】
〇私の哲学
〇木田さんの哲学
〇池田さんの哲学
「哲学」を考える
人間は世界を知りたい生き物だと思います。
世界を解釈したいから、世界を知りたいのだと思います。
これはわたしの哲学です。
本当のことを知る活動、と書いても良い。
宇宙の中で自分を考えてみたい欲求。
自分とは?
宇宙とは?
両者は、いつどこでどのようにして生まれて、これからどうなるのか。
強く意識しなくても、漠然と意識しているのではないですか、誰しもが。
木田元さんの哲学孝
哲学は麻薬。
「哲学」についてのわたしの考え方は、かなり変わっているかもしれません。わたしはどうも「哲学」というものを肯定的なものとしてうけとることができないのです。社会生活ではなんの役にも立たない、これは認めなければいけないと思います。しかし、それにもかかわらず、百人に一人か、2百人に一人か、あるいは千人に一人か割合ははっきりしませんが、哲学というものに心惹かれて、そこから離れることのできない人間がいるのです。わたしもそうでした。答えのでそうもないようなことにしか興味が持てないのです。
わたしも、やる前から、なんの役にも立たないことは分かっていました。それじゃあ、哲学から離れて、世の中の役に立つような人生を歩めるかというと、これができないのです。ほかの職業を選んだとしても、たぶん、ずっと哲学が気になって仕方がなく、中途半端な生き方をすることになったと思います。
*木田元、「反哲学入門」、21頁
人に哲学をすすめることなど、麻薬をすすめるに等しいふるまいだと思っています。
しかし、哲学にとり憑かれた人はもう仕方がありませんから、せめてそういう人たちを少しでも楽に往生させてやろう、哲学に導き入れてやろうと、そんなふうに考えて本を書いているのです。
わたしの書く入門書は、同じような不幸を抱える人を読者に想定して書いています。同病相憐れむですね。だから、「子供のための哲学」なんて、とんでもない話です。無垢な子どもに、わざわざ哲学の存在を教える必要はありません。
哲学なんかと関係のない、健康な人生を送る方がいいですね。
*同上、22頁
池田晶子さんの哲学孝
これは何かを考えた。
はじめに 哲学とは何か、むしろ哲学者とは何者か
もしも、それを知りたいと、ほんとうに希うのなら、まず、その言葉こそ、きっぱりと捨ててしまうべきなのだ。
*池田晶子、「考える人」、9頁
哲学史に残る偉大な哲学者たちとは、やむにやまれず「これは何か」と問い始めたのであり、決して「哲学とは何か」という問いから始めたのではなかった。
*同上、11頁
「哲学」とはすなわち「西洋哲学」であり、東洋には「哲学」と呼べるものはなかったと、普通言われている。著されたものの分類法などどっちでもいい、要はその人がどこまで考え抜いたか、それだけだ。
自ら考えて討死しなさい。病と心中してみせなさい。それだけの覚悟がないのなら、ぐずぐず悩まず、つべこべ言わず、哲学など徹底的に無視しましょう。無視して力強く生きて行きましょう。
*池田晶子、「考える人」、最終章
木田さんと池田さんは、師弟関係?
何故ゆえに、このお二方をここに書いたかと言うと、池田さんは木田さんに師事したそうだからです。
さらに、私はふたりの本を読んでいます。
上記の引用にありますが、木田さんは、「子供のための哲学なんて、とんでもない話です」と書きます。
池田さんには「14歳からの哲学」という有名な本があります。これ、2004年の刊行です。
「反哲学入門」の刊行は、2007年12月です。
「考える人」は、1998年6月です。
池田さんは、2007年2月に亡くなりました。
木田さんは教え子であり、哲学業界では知らない人がいない池田さんの本は知っていたでしょう。
二人の哲学孝を読むと、関係は分かりますね。
「哲学」するとは、七面倒くさい思考作業と言うことなんでしょう。
しかし、この七面倒くさいことに人生を費やした偉大なひとたちがいる。
それぞれお好きなようにやってください。
はい、おしまいです。