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朝虹窯:余宮 隆さん

2008-06-30 15:47:53 | 工芸館の作家たち
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昨年の初夏、長野県にて開催された『松本クラフトフェア』にて、陶芸家、余宮隆氏に出会った。松本に出かける前に『松本クラフトフェア』の出展者をウェブ検索していたところ、余宮氏のブログの内容に興味を持ち、是非、作品も拝見したいと思った。
ブログの内容は朧げな記憶であるが…錆びた車?耕運機?に草が絡まっていた写真で、その光景からモノが自然の中に返り消え行く儚さを感じ、対象物の捕らえ方に共感を覚えた。彼の背景にあるものを先に覗き見をしてから会ったのだが、イメージしていた像は、なかなかピッタリであった。

余宮隆氏は、唐津の陶芸家である中里隆氏に師事修行、国内窯業視察旅行の後、現在は独立され熊本県天草に『朝虹窯』を築かれ個展を中心に活躍中。

彼の器は、生活の中から生まれた副産物の灰と天草陶石で釉を作り、土と釉薬を素直に取り入れられたものである。松本では、多数の器の他に3点のオブジェを展示されていた。その中でも古代の遺跡から発掘されたような女性像に、なんだか惹かれた。

昨年、天骨洞企画の夏のイベントで使用するコーヒーカップ制作をご協力頂いたのだが、ほっこりする器であった。先日、又々一方的なお願いの為、電話で話したのだが、受話器の向こうから届く声を懐かしく感じた。ほっこり声の余宮さん!
近日中に、天草から器が届く予定です。瑠素番虫冥利に尽きまする~。   

「朝虹窯」のブログも是非ご覧くだい。          《瑠素番虫》
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モリアオガエル

2008-06-29 10:38:26 | 日記・エッセイ・コラム
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天骨洞から車で10分程走ると、数十年前には耕作地とされ利用、今は忘れ去られてしまった溜池がある。この季節、その溜池の周囲に立っている樹の上に、『モリアオガエル』の生命をやさしく包み込んだ泡状の卵塊が、溜池の水面に張り出した木々の枝に数十個付いている光景が見られる。その卵塊の大きさは、両手で包み込めるくらいの手まり大のもので、色といえば黄白色をし、牛乳を泡立てたような細かい泡が、美味しそうにも見える?!

産卵の際には、雌一匹に対して複数の雄が抱きつき、雌が産んだ卵塊を後肢でかき回し泡状にする。孵化したおたまじゃくは、泡の塊の中で雨を待ち、雨で溶け崩れる泡の塊と共に下の水面へ落下する。天敵のヤマカガシやイタチ、タヌキから逃れたものが、溜池の中で生命を誕生させる。『モリアオガエル』一匹の生命においても、ドラマチックであり、小さな小さな存在も愛しく思う。

子供の頃、夏休みには昆虫採集や、蝶や蝉の標本を作ったり、おはじきをはじいて遊ぶように、マルムシに触れ、コロッと丸くなったところを人差し指で飛ばしてみたりと…そのような夏の思い出がある。昆虫や魚、鳥、小動物に触れながら、ゆっくり時間をかけ生命の尊さを育んできたように思う。

最近、少子化、核家族化等の影響により葬送の形も多様化し、墓石の変わりに桜等の木を植える『樹木葬』に人気があるそうだ。「死後は自然に返りたい」という気持ち…。『家』という箱、『墓』という箱においても代々受け継ぐという日本人の昔ながらの考え方が、変化してきている。「自分らしく生き、自分らしく死にたい」という人が増えているらしい。
土地の狭い日本、墓石より樹木を墓標とするのも環境には良いかもしれない。
自然に返り、鳥たちの宿木に…モリアオガエルの産卵場所に…
あの世のご先祖様、どう思われるであろうか。   《瑠素番虫》
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《写真下段:天骨洞の住人、トノサマガエル》


厚ちゃん一家がやって来た:続

2008-06-28 15:25:21 | 日記・エッセイ・コラム
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水槽での儀式が終わり、更に龍安寺の家の庭に咲く時計草を天骨洞特製の鹿肥の埋まっている水槽脇の秘所に植え付け、厚ちゃんの一連の行事は終わった。
暫く子供達の虫捕りに付き合っていた彼は、午前中に捕らえた2匹の黒い蝶の入った虫籠を手に取ると「もうたくさん遊んだから逃がしてあげようね」と、子供達へ、二人の眼に少し惜しそうな光が宿っていたが、頭はコクンと頷いた。小さな浅黄色の虫籠の上についた蓋を開けると、黒い二つの花びらは互いにまとわりつく様に皆の視線から緑の空間へ消えていった。

厚ちゃんは、殺生を禁じるはずの禅寺古刹の風景を管理しているのだが、痛がる木々を毎日チョッキンチョッキン、一生懸命土にしがみ付いている草、少し目障りになると引っこ抜く見方を変えれば庭師という職業、結構残酷なのだが、小さな命には随分やさしい心配りをする男なのだ。
今回、俎上に載せているこの主人公、以前天骨洞で企画した『土面作り』のイベントに参加してくれた一家の長でもあるのだ。個人的見解ではあるが参加者中、最優秀?一番評価の高かったのが、彼の二人の子供達の作った土面(?)であったと記憶している。その後、何度か来訪、多少『粘道』に興味を覚えたのか古刹内の工事で姿を現した真っ白い土でちいさな碗を作り持って来ていたのだ。2~3kgずつ3種の土を卓の上に出して「この土はどうだ」という。そういえば前回来訪の際、境内の工事の報を聞き及び「粘り気のある土があれば……」と少し焼き物作りに水を向けた事を思い出した。一見、真っ白い土ではあるが……土というのは、見た目だけではその素性が解らない所が妙齢な女にも似ていて『粘道』を極めようとする者としては、心惹かれるのである。白い艶……
う~むっ、色っぽい土というのは、喰ってしまいたいくらいなのだ。(陶土としての良否を口の中に入れ味覚により推察する事もあるのです。)

随分昔、若かりし頃、京都を出発、北海道宗谷岬まで何百種かの岩石や土を採取、試料として処理、焼成、陶土としての可能性を探ったが、目視による判定の難しさを思い知らされた事を思い出した。最も確かな方法は作品と一緒に焼成する事、1200~1300度の熱を加えると土、岩石の類は衣を脱ぎ捨てすっぽんぽんになり、その正体を現すのである。
少し遅くなったが、昨日素焼きした『彼の迷作』心して本焼に入れるべし。   《頭目》

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《くりぱん》さんのパン

2008-06-22 08:39:55 | 日記・エッセイ・コラム
向田邦子が亡くなり、もう何年になるのだろう。
飛行機事故で帰らぬ人となった故向田邦子のエッセイ「父の詫び状」、“昔カレー”より。

(略)
 カレーライスがつかえて死にそうになったことがある。気管にごはん粒が飛びこんだのだろう、息が出来なくなって、子供心に「あ、いま、死ぬ」と思った。
 大人からみれば、大した事件ではなかったらしく、母は畳に突っ伏した私の背中を叩きながら、話のつづきで少し笑い声を立てた。

とある。向田邦子が、五つか六つの頃だったらしい。

 私もその年頃に、同じ様な事にあった。それは、ごはん粒ではなく、菓子鉢に入っていた“柿の種”に手を伸ばし、それを掴み取り、口に入れたその瞬間、気管に入り「あっ、ぐっ、ぐっ、苦しい~!死ぬ」と思った事があった。幼い頃には、結構同じ経験をするのでしょうかね~?皆さんは、そのような経験はありませんか??
 最近、始めた事が一つある。それは向田邦子さんがされていた事であるが『う』を集めた抽斗を作ること。「う」 というのは、うまいものの略で、商品の説明や住所等の切り抜きなどの情報をファイルし、私は食いしん坊の真似事をしている。
 先日、ご近所の《くりぱん》乙女さんに、手作りパンを頂いた。「試作品だけど、食べてください~!!」と、焼きたてのパンを両手に抱え持って来られた。天然酵母菌と良質の小麦粉が使われ、ドライフルーツ(レーズン)とナッツ(胡桃)が練り込まれ焼かれた“メランジェ”と“バケット”。ずっしり重みがあり、たいへん良い匂い…。残念ながら、その日にはワインとチーズ、ハム等々が揃わなく…美味しいものを目の前に置き、じっと見て我慢するのは耐えられず、ワイン、チーズ等なしで頂きました。それは、それは、と~~っても、美味しいもので、私の卑しい口も大満足!
 
 料理人、またその職人は、人を喜ばせたいという心を持っている人こそ“美味しいもの”を作れるようになるのだろう。料理人だけではなく、家庭でもそうかもしれない。
 昨今、巷に美味しいパン屋さんが増えている中、《くりぱん》乙女さんが作られた“メランジェ”と“バケット”は、そんなパン屋さんと比較しても遜色ないものであった。早速、私の『う』の抽斗に入れることにした。            食いしん坊、万歳!!  《瑠素番虫》
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厚ちゃん一家がやって来た

2008-06-21 10:00:38 | 日記・エッセイ・コラム
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赤いピッカッピッカの赤いワンボックスは、厚ちゃんの自慢なのだろう。いつもこれでもか~というぐらい磨き上げられている。古刹の庭師といういぶし銀、渋い仕事の反動なのかもしれない。一家はいつも一緒に行動?、天骨洞へはもう何度も来ているので、車から降りた二人の子供達も、特に緊張する様子もなく、手にした虫取り網を振り回し、獲物を追い回している。ここに来る前どこかで遊ばせていたのだろう、車から降ろした虫カゴの中には、2匹の蝶が、もう一つの小さな水ソウには、タニシがいくつか入っていた。奥方はといえば、時折子供達の動きに目をやりながらも、久かたの再会なのか瑠素番虫と淡々、しゃべくりに余念がないのは女の習性なのだろう。

厚ちゃんといえば、先に先兵として送り込んだ蓮の育ちが気になる様で、3つの鉢の周りをウロウロとしている。何やら葉の2~3枚が水面に立ち上がった頃、豆炭を小さくした様な肥料を入れねば気が済まないらしい。ああやこうやと観ていたが、まだその時期には少し早いらしく、その時が来たら、豆炭2~3個やるべしと、傍で見ていた瑠素番虫に小袋を渡し、蓮鉢の傍、水車の為に作った小さな貯水槽に目を移した。ここには天骨洞傍の清流、桜川で育った岩魚が、数匹放たれており、いつも何か落ちてこないかなと、物影に隠れながらも口を大きく開けて待ち構えているのだ、海での釣りを得意とする彼ではあるが、岩魚の獰猛さを深く理解しておらず前回蓮を持って来てくれた際、彼の手入れしている古刹の池に棲んでいた2~3cmの小魚十数匹を放っていたのだ。その子たちを探している様だが、実は小魚達は、新天地で一夜を越えることなく、待ち構えていた岩魚の胃袋に納まっていたのだ。お腹を空かしていた岩魚は夜まで待ってたのだろうか、人気(ヒトケ)の映らなくなった池の中、あの夜どの様な光景が繰り広げれれたのだろう。
 あくる日、今日の厚ちゃんの様に水槽の中に小魚を探した僕の目に、一匹の影も映らなかったのである。少しずつ減っていくだろうと思ってはいたのだが、改めて渓流魚の貪欲さに驚かされてしまったのだ。事の顛末を知った彼ではあるが、動じる様子は全くない。実はこれまで、子供達とそこ、ここで捕まえた獲物、川ニナ、ゴリ、ヤゴ等々小さな生き物達をこの池に放して来たのだ。当然ながら水温その他環境に適応出来なかったものは、いつの間にか姿を消してしまっているので、僕の話もさして大びっくりする程の事ではない様子、子供達と一緒に小さな小さな水槽から、いつもの儀式のように今朝獲って来たと思われるタニシを放していあたのである。

このタニシ、大きくなったらこの僕が……   《頭目》
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