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m+d+hs 展

2008-07-31 08:54:08 | 工芸館の作家たち
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京都の北野天満宮の近くで制作されている“hashi工房”の石橋秀泰、まきご夫妻の展示会が大阪・枚方市のカフェにて開催されています。

秀泰氏は日頃から“鉄”を主とした素材で彫刻に取り組まれている。今回も“物語”を感じる作品を制作されていた。開らかれた本のような?楽譜のような?ものから、芽が伸びた彫刻は、明るい未来を感じるモチーフであるのだが、錆びた?橙褐色の鉄素材で表現されたのが、彼らしく感じた。
まきさん、“陶土・磁土”にてカップ、鉢、花器等を制作され、新しい時代にあった器が並んでいた。器は、生活の一部、料理の一部であると感じる。
“静かに語りかけるモノ”をテーマにものづくりをされているお二人…。

大阪・枚方市は、江戸時代には淀川の港町として栄えた商人の町、宿場町であった“枚方宿”の地。三十石船に乗って枚方宿にやってくる客に酒肴を茶碗で売る「くらわんか舟」が名物であった。
そんな歴史の名残がある街並みに位置するカフェ・ギャラリー『Repos de midi(ルボ・デ・ミディ)』にてお二人の作品が展示されている。是非是非お出かけください。

耳を澄ませば「餅くらわんか~、酒くらわんか~」と、何処からともなく聞こえてくるような街並み…
カフェの自家製“梅ジュース”が清涼感もあり、と~っても美味しかったです。暑い夏の日にはオススメです!  《瑠素番虫》

『m+d+hs 展』  2008年8月2日(土)まで  (最終日は在廊されてます)
会場 Repos de midi(ルボ・デ・ミディ)
573-0057 枚方市堤町10-12(京阪電鉄・枚方公園下車、徒歩5分位)
TEL 072-843-1525
時間 11:00~18:00
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ビオトープ農園 (其の弐)

2008-07-26 22:46:36 | 日記・エッセイ・コラム
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そもそも天骨洞ビオトープ農園の基本的考え方とは、豊かな生物群と仲良く共存しながら有用植物を育てようという一見大変、今ばやりで偉そうな概念なのだが、わかり易く言い換えれば土は耕さず雑草?は、勿論ひっこ抜かない等々なんとか怠け者農業を正当化しようとしたものであり具体的にはもともと大層な深田であった休耕田の半分に水路を作り水路から出た土は少し高めの畝に盛り上げ、水中、水辺、乾燥の環境を演出し、其々の場所に適した植物を多種類移植するというものであり、その対象とする植物は、クレソン、セリ、ミズ、ワサビ、ギョウジャニンニク、ウド、ギボウシ、サルナシ、ツルニンジン等々、この地に元々自生している山菜等連れてくれば病虫害も問題なく雑草?の類いを押しのけ群落を形成するのではなかろうかと、夢みていた訳である。
誰かひま人、一緒にやるまいか?

最近、〝西村和雄氏(京都大学農学博士)〟の「有機農業コツの科学」という名著に出会った。
自らも豊かな知を背景に、グウタラ百姓を実践、本物のグウタラである僕に、いけない勇気を与えてくれた。環境や有機農業に興味がある方、是非一読を。   《頭目》
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ビオトープ農園  (其の壱)

2008-07-26 22:45:45 | 日記・エッセイ・コラム
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ここ百井で、爺婆が作る野菜は多少生産者に似て腰が曲がっていたり、ソバカス模様があったりと、見栄えがしないものが多いが、気温が市街より5~6℃も低い厳しい気候が関係するのか、葱など大量のネバヽ、甘く何故か懐かしいのでありジャガイモなどもホクホク、いわゆる高原野菜という類なのだろうか。

山口県の田舎で高校を卒業するまで過ごした実家には田、畑があり豊富に採れる季節の恵みは、時に近所の漁師の魚に化けたりと賑やかな食卓を演出していたのだが、遊び盛りの親不孝者は、とんと農作業を手伝う事をせず、海や山川で遊び惚けていたのである。思えば京都へ出て来て、海辺から山へ、その遊びの舞台が移った訳だが、基本的に自然栄えの恵みを分捕ってくるという姿勢に、大きな違いはない、つまり農作業の基本というのが、根本的に理解出来ていないのだが、無恥をいい事に昨年、天骨洞の道向かいにある休耕田というよりススキや小木が生え、原野と化した耕作放棄地七畝ばかりを借受け以前より妄想を膨らましていたビオトープ農法なる概念を大真面目に提唱し無謀にも実践しようとしたのである。
しかぁ~し、流石に二足の草鞋ならず百足の草鞋的性格の僕には時間的、体力的に余裕がなく藪を切り開いた僅かばかりのクレソン畑は鹿の餌場と化してしまった。道の上から藪の中に作った水路に植えた、クレソンの育ち具合を見ていたのだが、明日くらいに…と思っていると突然緑の茂みが消えるのである。水面上5cmくらいの所から見事に切り取られ、みずみずしい切り口が正確な平面を成しているのである。当初あまりの仕事振りに街からやって来る不心得者の仕業と熱くなっていたのだが、いやはや惨敗である。今年は前年度の反省から身の丈に合ったお遊びをと、4m×2mの畑?らしきものから再出発、しかし、たまたま訪れた何人かの村人、爺婆があまりのいい加減さに絶句したのが写真の畑である。しかぁ~し、この小さな畑には今までたぶん誰も使った事のないビックリ肥料が山ほど入れられているのである。
ビックリ肥料⇒ビックリ高原巨大野菜の図式が村の爺婆の驚きの面と共に明々白々鮮明に頭の中に出来上がっているのだ。

唯妄想を語っているだけではいつもの事かと…ここで今一番、昨年の大発想、ビオトープ農法の秘法を報告し尋常なる世人の批判と賛同を以後の活動のエネルギーとしたく少し書き述べてみたい。  《頭目》
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メタモルフォーゼ

2008-07-25 00:40:42 | 日記・エッセイ・コラム
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2週間前に独活の葉をモグモグ食べていたアゲハチョウの幼虫が姿を変え、大きな羽をひらひらとさせ宙を優雅に舞っていた。アゲハチョウが、土面の野焼きを終えた場所に広げられた木々の灰がある場所に、栄養になる源を求めてやって来た。蝶は、アルカリやミネラル成分を好むので、水分を含んだ大好物の灰の山に大喜び?であったのだ。

夏到来により、山の様子にも変化が…。アゲハチョウアキアカネ(アカトンボ)の姿、杉苔?にしがみついている蜩の抜け殻が一面に広がっている光景もあり、この世に誕生した時の姿とは思えない驚きの大変身をし、短い生命を精一杯生きる。身近な小さな生き物は、素敵なお手本である。
もしかして、人間は今、変身の準備段階の中で生きているのかな???と思ったり…

過日、眩しいくらいの小麦色の肌に、紫色のウエアを身に着けた女性が自転車に乗りやって来た。「ちょっと、見せてもらってもいいですか~?」と愛車らしき自転車を置き、歩く姿は軽く脚を引きずっていた。彼女は早朝に大阪方面を出発、琵琶湖を周り、その後地図を見ながら国道477を走り、天骨洞の土面に出遭ってしまった。
彼女はトライアスロンのトレーニングの為に愛車のバイク(自転車)で一人、ひたすらひたすら走り続け、やって来たのだ。
私には、トライアスロンというスポーツは、どう考えても不可能な事である。走って、泳いで、自転車で走るなんて、軟弱な精神者にとっては拷問でしかない。
様々な人が天骨洞に立ち寄られたり、通り過ぎたり…、人には其々ドラマがあるようだ。
トライアスロンのアイアン乙女は、彼女が走って来た“国道477”が“酷道477”である事を知らなかった。天骨洞の前から鞍馬へ抜け、家路へ戻る計画であったようだ。
心優しき?頭目はアイアン乙女に「この道は、ここから後はもう緩やかだから、大丈夫!気をつけて~。」と言って見送った。あ~ッ、何て事を……

トレーニングによって鍛えられた彼女の締まった足首にはドルフィンの刺青があったのを、私は見逃さなかった。きっと、彼女はイルカに変身する準備をしているに違いない…。  《瑠素番虫》
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収穫の日に…

2008-07-19 23:08:54 | 日記・エッセイ・コラム
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子供の頃、夕方まで友達と遊び、家に戻る前に皆で西の方角に向かい、片方の靴から踵半分脱いで「あ~した、天気にな~ぁ~れ!」と言いながら靴を飛ばしお天気予想(ごっこ)をしたものだ。脱ぎ飛ばした後、その靴の足を入れる方が上に向いていたら晴れ、底が上なら雨、横に転がったら曇りだったか?雪だったか?…と。当たる筈はないが、明日の天気を思う時間が楽しかった。
日本には、色名以上に雨の名前が多い事に驚く。方言での雨の表現もその土地ゝの言葉に美しさがある。雨の思い出も人其々ある事でしょう。

送り梅雨と共に祇園祭りも終わり、いよいよ夏到来。
天骨洞の住人である昆虫、蓮も梅雨明けを喜び、いきいきとしている。中でも蕨を好む昆虫は、お祭り騒ぎである。夕方には、日暮蝉の鳴き声…そんな中で天骨洞の畑のトマトの収穫をした。幼い頃、食べたトマトの味に似ていたので懐かしさを感じた。味の記憶は不思議なものですね。

夕刻、土面を焼いていると珍しいものを観察するかのようにしてお二人が来訪。先月作り始めたアースリングのツボにはr来訪された男性もはまってしまわれたので、私は心の中で大きくガッツポーズをした。
女性は白い色の帽子を被られ、鍔が広くその張り具合のラインが美しく、ぐるりと巻かれたリボンには隙がない。久しぶりに帽子が似合う方に出会ったと思った。
以前に読んだ岡本太郎著のエッセイの中に“帽子を被った姿が素敵な女性に惚れてしまった話”が書かれていた事を思い出した。
麦わら帽子では、駄目ですか~?

帽子を被る事による魅力、魔力?はどこからくるのだろう、とトマトを食べながら思った。  《瑠素番虫》
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