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厚ちゃん一家がやって来た:続

2008-06-28 15:25:21 | 日記・エッセイ・コラム
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水槽での儀式が終わり、更に龍安寺の家の庭に咲く時計草を天骨洞特製の鹿肥の埋まっている水槽脇の秘所に植え付け、厚ちゃんの一連の行事は終わった。
暫く子供達の虫捕りに付き合っていた彼は、午前中に捕らえた2匹の黒い蝶の入った虫籠を手に取ると「もうたくさん遊んだから逃がしてあげようね」と、子供達へ、二人の眼に少し惜しそうな光が宿っていたが、頭はコクンと頷いた。小さな浅黄色の虫籠の上についた蓋を開けると、黒い二つの花びらは互いにまとわりつく様に皆の視線から緑の空間へ消えていった。

厚ちゃんは、殺生を禁じるはずの禅寺古刹の風景を管理しているのだが、痛がる木々を毎日チョッキンチョッキン、一生懸命土にしがみ付いている草、少し目障りになると引っこ抜く見方を変えれば庭師という職業、結構残酷なのだが、小さな命には随分やさしい心配りをする男なのだ。
今回、俎上に載せているこの主人公、以前天骨洞で企画した『土面作り』のイベントに参加してくれた一家の長でもあるのだ。個人的見解ではあるが参加者中、最優秀?一番評価の高かったのが、彼の二人の子供達の作った土面(?)であったと記憶している。その後、何度か来訪、多少『粘道』に興味を覚えたのか古刹内の工事で姿を現した真っ白い土でちいさな碗を作り持って来ていたのだ。2~3kgずつ3種の土を卓の上に出して「この土はどうだ」という。そういえば前回来訪の際、境内の工事の報を聞き及び「粘り気のある土があれば……」と少し焼き物作りに水を向けた事を思い出した。一見、真っ白い土ではあるが……土というのは、見た目だけではその素性が解らない所が妙齢な女にも似ていて『粘道』を極めようとする者としては、心惹かれるのである。白い艶……
う~むっ、色っぽい土というのは、喰ってしまいたいくらいなのだ。(陶土としての良否を口の中に入れ味覚により推察する事もあるのです。)

随分昔、若かりし頃、京都を出発、北海道宗谷岬まで何百種かの岩石や土を採取、試料として処理、焼成、陶土としての可能性を探ったが、目視による判定の難しさを思い知らされた事を思い出した。最も確かな方法は作品と一緒に焼成する事、1200~1300度の熱を加えると土、岩石の類は衣を脱ぎ捨てすっぽんぽんになり、その正体を現すのである。
少し遅くなったが、昨日素焼きした『彼の迷作』心して本焼に入れるべし。   《頭目》

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