9月1日(金) 7555歩
早くも9月ですね。暑い毎日も朝夕涼しくなりました。
温泉の玄関のリースが変わりました。
市住からの夕景も秋の気配が・・・
民生委員の仕事を辞めて10ケ月、でも市住にはどうしても足が向き
今日は4人の気がかりな方に会えました。
中野医師(先日の24時間テレビの)が週一回 在宅医療で見舞っていた
Tさんが春に亡くなりました。係も変わって訪問もためらっていました。
今日はばったりお会いできました。私がお世話したのは3年くらいです。
外国暮らしで大きな地震水害で引き揚げてこられた方でした。
寝たきりのご主人、機械に繋がれて・・なんと45年その状態だった
そうです。「まぁそんなに長かったんですね。本当にご苦労様でした。
どうかこれからは奥様の人生を・・」するとすぐ横で長女の○○さんが
「私は42ねん・・・でした」 ハンディのある娘さん。生れたときから
不自由な体の親子を、お世話されたお母様。いつも笑顔しか見せません
でした。
91歳になったyさん。若いころ失対事業で働いていた。私が鹿児島に来
た頃「ニコヨン」と呼ばれていたその職場によく出かけました。
長女を連れて、アコをもって、こんな歌を教えに行きました。
♬ 1 太い手 細い手 日焼けの手と手
みんな生きてる わしらの手
雨にはあぶれても 風にはおびえても
たたかい抜いてきたみんなの手と手
えんやこらどっこいしょ えんやこらどっこいしょ ♬
2 太い手細い手 日焼けの手と手
色気はないが わしらの手
夜には針仕事 子どもたちの服縫えば
勇気が湧いてくるみんなの手と手
えんやこらどっこいしょ えんやこらどっこいしょ ♬
3 太い手細い手 日焼けの手と手
筋の入った働く手
ざる持ちゃ 血も通う シャベルに力込めて
明日の幸せ勝ち取る手と手
えんやこらどっこいしょ えんやこらどっこいしょ ♬
うたごえ祭典でおばちゃんたちの元気な声が響き渡ったものでした。
今日は炊き込みご飯をたくさん作ったので おすそ分けでした。
週1回デイケアに行っていること。私がいつか差し入れた魚の
煮つけの味が忘れられない・・ うれしいなー。
100歳までは大丈夫・・とデイケアで言われました。 とにっこり。
素敵なスケッチ画の太原さん宅も覗いてみました。春に著書を出されて
頂いたまま、何度か訪問しても会えなかったのでした。仏前に炊き込みご飯
本当は好物のお饅頭何度か届けても会えなかったからです。
わたしには親戚も身近にいないので、こんな形で出会えた方に少しでも
親しくできたらうれしいですね。
時々会う人たちも目に見えて老いていきます。関わり合わせて
いただいたことで、私が育った田舎の集落の付き合いのように気軽
に声をかけ会えるのは私の財産みたいに思えます。
1年前のブログです。てんがらもんの日でした。
http://blog.goo.ne.jp/chidori-t?fm=follower
とってもすばらしいとおもいました。
どなたにもできることではないですものね。
でも民生委員のかたがいなくても大丈夫な世の中の
日がいつかくればとも願います。
とてもつらい人々ですものね・・。
労働哀歌、とても胸に響きました。
今日もお疲れ様でした。
明日も、元気で、良いこと有りそうですね!
民生委員という、大役をしたことにより
素敵な方達との出会いが、ありましたねぇ
初めての土地で、不安だった方もchidoliさんの優しさに救われましたよね
皆の太陽ですね
大きな力にはならなくて、隣のおばさんや姉さん的なこと
しかできませんでしたが これからもご近所さん付き合い
を続けていきたいです。
全日本自由労組という組合の皆さん いつもうたごえ
祭典で 元気いっぱい歌っていました。
その時代からの知り合いでした。
市営住宅の5階に住んでいてエレベーターもなかった
ので足腰がとても丈夫です。今は新しい市住に入れて
それでも一人暮らし、買い物にも病院にも一人で出かける方です。
ありがとうございます。
そうです。やめてから改めてこの仕事をさせてもらえたことに感謝です。
やりたくてもチャンスがなければやれない仕事でした。
保育の仕事と合わせて、このめぐりあわせを幸運に思います。
〈太い手細い手 日焼けの手と手/色気はないが わしらの手〉
と、二番 三番まで歌ってしまいました。
『炭掘る仲間』なども、思い出しました。
この歌を挿入した「桃太郎異聞」などと名付けた寸劇を書いてご披露したことも。
ずいぶんと、昔のハナシですが。
最後の桜島写真、空が高く大きいですね。
秋が近づいていることを実感です。
ふと 子のうた知っている人いるかしら?半世紀も前に
歌った歌ですね。大行進のうたも自労のおばちゃんたち
大好きでしたね。炭掘る仲間は全国の労働者が歌った。
今でも空でうたえます。
うれしくて2番3番も追加しました。
他にこのうた知っている方がいるといいな。
しか撮れない・・・おかげさまで少し違う場所からの毎日の
姿におめにかかれるので楽しみが増えました。
ありがとうございます。
はっきり言うと、こちらのブログを最初訪れたときは、チョット私と距離があるな?と思ってコメントを差し控えたんですが、否、やはり少しご縁があったようです。
40年前、私が学生の時、東京麹町にある小さなお茶屋さんでアルバイトをしていました。
お店の名前は「薩摩園」。
お茶の葉は「知覧茶」でした。
私はそのバイトで「川内」を「せんだい」と読むことや、知覧のことを知りました。
2、3日おきに川内から大きな袋に入ったお茶葉が届けられ、私はそのお茶っ葉を小売用の300㌘の袋に詰める作業をしていました。
お店は若い女性が経営していました。
当時、鹿児島選出の衆議院議員、有馬元治さんの娘さんでした。
私とお店でよく一緒に仕事をしたのは、有馬議員の1番若い私設秘書の人でした。
10年くらい前ですが、娘が高校の修学旅行で鹿児島へ行きました。知覧飛行場の特攻隊の展示館へも行ったそうです。
東京人の私には九州は遠いところなのですが、でも意識の中では、九州と言えば鹿児島であり、川内であり、知覧なのです。
同じように言われた方が(コメントではっきり) 思いだ
すだけで3名いました。 そのうちお二人はそれでも続
けているうち分かり合えたのか続いています。一人の
方など私の兄一家の旅行案内までしていただきました。
100人いれば100の考え方があり、生き方があり、
ちょっと違うかな?と思われて当然です。
わたしにもその感情がありますのであえて読者登録や
コメントは遠慮します。
観客数の多いブローガーさん。そうでないけどまじめに
懸命に自分を見つめている方。どちらにも興味があります。
私はぽちっとしてください。には参加していません。
それを励みにアップされている方偉いなーと関心はし
ても、自分はちょっと違うのかなーと設置していません。
私がコメント差し上げたのは ビーンさんのこれからに
人生を学ばせてもらえそうで…人は無になった時どう
いう風に立ち直ろうとするのか、期待と一緒に乗り越え
てみたい、身近にそんな環境に人もいるのでどうしていけ
ばよいか学ばせてもらえそうな 下心があってです。
鹿児島にたくさんのご縁があるビーンさん。
かってにコメントしましたがもしや興味本位でと受け止
められないかと少し気にしていました。
真意を伝えたくて長いコメントになりました。