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Delightful Days

tell on BLOG - ささやかな日々のしずく

歩いても 歩いても

2009-03-06 | movie
是枝裕和監督『歩いても 歩いても』を観た。
今は離れて暮らすある家族が、帰省のために実家に集まった1日余りの様子を、丹念に練り上げられた脚本と構成、美しいシーンで紡ぎ出す、静かだけれど強く心に沁み入る作品。

セリフも自然で、舞台の実家は昔からの日本家屋。ごくありふれた家族の、ごくありふれた日常のひとコマに見える。
ただ、この家族には重く、悲しく、忘れることのできない恐ろしい過去があり、現在もそれぞれに抱えるものは大きくて、厳しい。
でも、そんなこの家族は特殊だろうか。人間の数だけその人生があり、家族の数だけそのあり方があるのだ。だからたぶん、特殊ではない。本当に、日本のある家族のある夏の日を掬い取ったという映画。だから、胸に迫る。

一番近い存在であるはずなのに、それぞれに人生があるから、家族は家族に嘘をつく。表面上では笑っていても、辛く寂しい思いを抱えているから。
ときどき、それが溢れ出す。自分の家族が背負っているものの重さに、戸惑い、立ち竦む。

でも、歩くしかないのだ、「いつも少し間に合わなくても」。
歩いても歩いても、辛く悲しい過去はいつまでも振り切れないかも知れない。
歩いても歩いても、ふとした瞬間に想いが溢れ出してしまうかも知れない。
歩いても歩いても、いつまでも取り繕って、嘘をつき続けるのかも知れない。
歩いても歩いても、やっぱりいつも少しだけ間に合わないのかも知れない。
だけど、歩いても歩いても、僕はどこまで行っても僕だし、僕たちはどこまで進んでも家族だ。

タイトルはいしだあゆみの『ブルーライト・ヨコハマ』の歌詞から採られている。

 歩いても歩いても 小舟のように
 私はゆれて ゆれて あなたの腕の中

愛憎渦巻く老夫婦を演じる原田芳雄と樹木希林の演技が圧巻。
スクリーンの中で家族が生きている、素晴らしい映画だと思う。

切腹

2009-02-07 | movie
昔ほど映画を観なくなった。劇場からは足が遠のく一方だし、DVDを借りる本数も減った。
これは僕の生活環境の変化による部分もあるけれど、観たいと思う映画が減ったようにも感じる。
せっかくなので今年は(と言ってももう2月だけれど)見逃してきた過去の名画と呼ばれる作品を観ていこう、と決めた。
今夜は、小林正樹監督『切腹』。

舞台は江戸末期。平安の世でサラリーマン化した武士たち、主家の没落により溢れ返る貧乏浪人。
そんな世では切腹を楯に取り大名家から金をせびる風潮があったらしく、その顛末を静かで重厚なタッチで描いた時代劇の傑作。

井伊家家老の三國連太郎の回想から、訪れた浪人仲代達也の回想シーンに連なり、刻々と真相が明らかになる展開は見事。舞台はほとんどが屋敷内で、静かで緊迫感に満ち溢れた空気が、やがて全てが明らかになったあと一気に解き放たれ、映画は泥臭い立ち回りシーンによってクライマックスを迎える。泥臭いながらもリアルに動き始めた解放的な殺陣のシーンが続いたあと、権威と誇りの間で揺れながらも三國連太郎が断固たる表情で吐き捨てる最後の台詞が、また作品を重く、深い空気に戻してのラストシーン。その後はしばらく動けない。

仲代、三國、丹波哲郎を始めとした演者、武満徹の音楽、現代に今も残る人間の本質、抑圧者と被抑圧者という普遍的テーマを分厚く含みながら大きく展開する物語。どれも見事で、やはりこういう映画を傑作と言うのだろう。

キリクと魔女

2009-01-13 | movie
ミッシェル・オスロ監督『キリクと魔女』を鑑賞。
舞台はアフリカの村。自力で誕生した幼い男の子キリクは、村を脅威に貶めている魔女カラバの存在を知り、大人たちに「どうして魔女は意地悪なの?」と問いかける。もちろん、大人たちは答えられない。だって、魔女だから意地悪なのは当然なのだ。すべては魔女のせいなのだ。
物語の本質がここにある。
僕たちが見過ごしてきた数々の「当たり前のこと」は、実は当たり前なんかじゃなく、だけど僕たちはそこに言及することはない。魔女だから悪いのだ。僕たちの不幸はすべて魔女のせいなのだ。だけど、魔女は恐ろしいから太刀打ちできないのだ。
でも、魔女を恐れ、悪を見過ごし、自分たちの不幸を受け入れているばかりでは本質は見えない。真実は得られない。それこそ、「当たり前のこと」だ。
キリクは魔女を恐れない。だから、知恵を絞って魔女に近づき、真実を得る。赦しを知り、愛を勝ち取る。「当たり前のこと」だと看過していては得られないものを得る。
ユッスー・ンドゥールの音楽も素晴らしい、人間と物語の本質を根源的表現で描く、慈愛に満ち溢れた素敵な寓話。

ザ・マジックアワー

2008-12-30 | movie
これまで休みの日には昼前後まで寝てしまっていたのが、子供がいると早起きになる。今朝も8時過ぎにannに起こされる。でも、一日が長くていいね。

昼前からパートナーとannが出掛けたので、駐車場の落ち葉を掃いて、ベビーベッドを解体して、トイレや洗面所や風呂場の換気扇を掃除し、金魚の水槽を洗って水を換える。いわゆる大掃除の取っ掛かり。

終わって、三谷幸喜監督・脚本『ザ・マジックアワー』を鑑賞。

良くも悪くも相変わらずの、ウイットとユーモアに富み、勘違いと騙し合いが絶妙に絡み合うコメディ。良くも悪くも観る者をヤキモキ、ハラハラさせながら、ハートウォーミングなシーンやとことん笑えるシーンが散りばめられながらも、全体としてテンポ良く流れていく。
でも、あくまで「良くも悪くも」な、相変わらずの三谷作品。安心して観て、笑えるんだけど。それに、こういうパターンは、昔の彼のドラマで、俳優が弁護士になりすまして…てのがあったけれど、そっちの方が面白かったような。
佐藤浩市のコミカルな演技は面白かったし、妻夫木聡の慌て振りも笑える(それにしても彼はこういう役がよく似合う)から、普通に楽しんで観る分には充分だけど、なんだかそのこと自体が既に「良くも悪くも相変わらずの三谷作品」となりつつあるような気がして、彼には「もっと」と期待してしまう分、物足りない気分は残る。

SHINE A LIGHT

2008-12-18 | movie
マーティン・スコセッシ監督『SHINE A LIGHT』を観た。全編のほとんどをローリング・ストーンズのライヴが占め、ところどころに本当に少しだけ過去のインタビュー映像などが挿し込まれる。
スコセッシ自身も登場し、映画冒頭では今回のライヴについてメンバーと連絡を取ることの難しさやミック・ジャガーとのやり取りのすれ違い、なかなか送られてこないセットリストにイライラする様子が描かれていて、なかなか面白い。
ライヴ直前、ようやくセットリストがスコセッシの手元に届く。
「よし、1曲目だ!」
と叫んだ瞬間、カメラはキース・リチャーズを捉え、世界一有名なあのギターリフが鳴り響く。

しわくちゃの顔を真剣に結んで、背中を丸めて「Jumpin' Jack Flash」を奏でるキース。
両手を大きく振って、背筋をピンと伸ばして、引き締まったお腹を出して弾むミック。
この瞬間、全身に鳥肌が駆け巡り、僕は本当にちびりそうになったのだ。

知っていたつもりだけど、観て改めて驚くのが、このバンドが未だ現役のロックバンドだということだ。
途中で挟まれるミックの1972年のインタビューで「60歳を過ぎても続けている?」という問いに、間髪入れずに「もちろんさ(Easily)」と答えていたのが印象的だ。
実際、65歳のミックは、何もそこまで…と思うくらい、ステージの端から端まで駆けずり回り、飛んで跳ねて、激しく奇妙に踊る。大御所のステージングではない。現役の、ロックバンドのヴォーカリストだ。

だから、これまでもウッドストックや数々のブルース映画、ザ・バンドやボブ・ディランを手掛けてきたスコセッシは、この世界最強の現役ロックバンドを撮るに当たり、余計な演出はしなかったのだろうと思う。
舞台を整え、カメラを完璧に配置し、1曲目さえ分かれば、あとは素材の素晴らしさで十分に魅せられる。
ロック草創期から21世紀の現在に至るまで、あくまでも現役として舞台に立ち続けるローリング・ストーンズを撮るということは、つまりロックを撮るということだ。それをスコセッシは十二分に理解していて、素晴らしいライヴ映画として提供してくれた。

肥大化したロック産業の中、今なお問われる「ロックとは何か」という問い。
それに対して、根源的な意味でも、膨張し続ける広義のロックの限界を押し広げているという意味でも、スコセッシはこの映画で断言している。
「ロックは、ローリング・ストーンズだ。」

アフタースクール

2008-12-15 | movie
内田けんじ監督『アフタースクール』を観た。
前作『運命じゃない人』が素晴らしかったが、こちらも(それには敵わないかも知れないが)秀逸。
何度も繰り返されるどんでん返しに途中から脳は引っ切りなしに回転し、めくるめく展開をハラハラと追う。
視覚効果による刷り込み、何重もの意味がある台詞、前後する時間軸、交差し、逆転する人物像、練りに練り上げられた構成。こんな脚本書ける日本人脚本家兼演出家はなかなかいないんじゃないか。
騙されまいと思って観てるんだけど、見事に騙され、でもここまで見事に騙されると、前に観たシーン、伏線がピタリと繋ぎ合ったり、新しい意味を持ったりするその「ハマる」感覚が気持ち良い。
大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人などの、映画の構成と時間に沿った演じ方も見事。

ただ、これは寝る前に観る映画じゃないね。驚く展開に目は離せないし、ちゃんと考えながら観ていないと分からなくなるから脳は覚醒する。
疲れてない、休みの日の昼間に観るのがお勧め。

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国

2008-12-06 | movie
『インディ・ジョーンズ』シリーズは、『失われたアーク』も『魔宮の伝説』も『最後の聖戦』も好きで、だから、まぁ劇場で観る気にはなれなかったけれど、この4作目『クリスタル・スカルの王国』の製作が発表され、公開が決まったときにはワクワクした。
で、本日DVDで鑑賞。
これは…。う~ん、どうでしょう……。
ユーモア溢れるテンポある台詞は面白いし、とことんおバカなくらいハラハラする展開も健在。まぁ、あのハット被ってハリソン・フォードが登場するだけでテンション上がる部分もあるんだけど。頑張ってアクションもやってくれてるし。
でも、あの展開はないんじゃないか。なんだか有耶無耶曖昧なまま終わってしまう。
スピルバーグはやる気なかったのかなぁ。ていうか、ルーカス、スピルバーグ、ハリソン・フォードの中で、誰が4作目をやりたかったのだろう?作る必要あったのかなぁ…?
う~ん。好きなシリーズだから新作が作られたら観ちゃうし、せっかく作るんならノスタルジーだけじゃなく、それなりのものをお願いしたいなぁ。

プリンス&プリンセス

2008-11-25 | movie
ミッシェル・オスロ監督の初監督作品である『プリンス&プリンセス』を観た。って、オスロ監督作品自体初めてなんだけど。

6つの独創的な寓話を、影絵という手法を使って描く。表情が見えないのに、逆にそのことによって伝わってくる感情の揺れの大きさに驚く。すごい。
特に最後の表題作は影絵という手法を最大限に生かし、表現豊かに描かれる、大人が笑える素敵な物語。

セリフも多く、テンポも良い。アニメーションだけど、機知に富み、ファンタジックだけじゃない。世界の光を描き、だからこそできる影を描く。それでいて人間愛に溢れている。
『キリクと魔女』など、違う作品も観てみよう。

FROZEN TIME

2008-10-21 | movie
ショーン・エリス監督『フローズン・タイム』を観た。
監督はファッション雑誌などで活躍するフォトグラファーらしく、なるほど、映像が写真的で美しい。
でも、そればかりではなかった。
突然彼女に振られたショックで不眠症になってしまったショーン・ビガースタッフが、時間潰しのために深夜のスーパーマーケットでバイトを始める。そこで、ふと時間を止める術を覚え、たまにそれを使って女性客の服を脱がしてデッサンをしたり(彼は美大生なのだ)。やがて同僚の女性と恋に落ち、美しいラストシーンへと進むラヴストーリー。
彼は時間を止められるけれど、過去に戻ることはできない。誤解や過ちを取り返すことはできないのだ。自分にとってはそこで止まり、固まってしまった「時」を溶かすのは、やはり愛の温かさしかない。
こうやって書くとなんだかありふれたラヴストーリーみたいだけど、脇を固める出演者のおバカ加減とか、突然スポコンものかと思わせるような展開を持ってきたりとか、なんとも不思議な雰囲気の映画。
そして、何と言っても美しいラストシーン。なんだか妙に惹き付けられる、個人的には「あり」の映画だった。

アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生

2008-10-18 | movie
『アニー・リーボヴィッツ レンズの向こうの人生』を観た。ありとあらゆるスター(この出演者の豪華さを観るだけで彼女のすごさがわかる)とアニー本人へのインタビューを交え、文化と政治と人間を撮り続けてきた写真家に迫るドキュメンタリー。
ローリングストーン誌で衝撃的な写真を発表し続け、今なおスターの肖像を捉えさせたら右に出る写真家はいない。

写真家としてはすごい才能だ。視線がフレームで区切られているよう。
被写体の人生の一瞬を見事に読み取り、それに合った舞台装置の演出も見事。一瞬を撮る写真だけに、そこに自分の本質を読み取られまいとする被写体もいるだろうけれど、それさえもその人の一部分として切り取る。見事。
スターと家族、戦争と愛、ロックとファッションと政治。あらゆる物を対象にしても、アニー・リーボヴィッツにしか撮れない写真がそこにある。
悲しい偶然とはいえ、死の数時間前に世界一愛する人に全てを曝け出してしがみつくジョン・レノンの姿を撮る写真家に、畏敬にも似た凄みを感じる。

ただ、製作・監督・脚本が実妹なだけに、アニーの人間としての内面に鋭く入り込めていない。もっと彼女の正直な家族への、恋人への、子供たちへの思いを観たかった。人生に入り込んでほしかった。
そこら辺がちょっと残念ではある。