Delightful Days

tell on BLOG - ささやかな日々のしずく

理性の限界

2009-07-31 | book


高橋昌一郎『理性の限界-不可能性・不確定性・不完全性』を読んだ。アロウの不可能性定理、ハイゼンベルクの不確定性原理、ゲーデルの不完全性定理を軸に、選択の限界、科学の限界、知識の限界を分かりやすく解説し、それぞれを絡ませながら人間存在の限界と可能性を描く。社会科学から自然科学、哲学、数学、論理学まで広範な学問をカバーしつつ、それぞれの専門家と大学生や会社員といった初心者までを架空の登場人物としてシンポジウムに参加させ、ディベートさせるという形をとっているため、初心者にも分かりやすい入門書となっている。

選択の限界とはつまり民主主義の限界であり、科学の限界とはマクロとミクロに広がる広大な世界に対する自然科学の限界であり、知識の限界とは数理論理的思考の限界を言う。つまり、すべてがこれまで人間が長い年月をかけて培ってきた拠り所の限界を曝け出す内容となっているため、その不可能性・不確定性・不完全性には驚くばかりだ。
社会の在り方として理想的だとされる民主主義には実は完全なる民主的選択によるシステムなどないことが暴かれ、根拠の絶対的拠り所としての自然科学は(特にミクロの世界では)実に不確定だ。論理的・数学的思考は完全に不完全(変な日本語だけど)で、数学は証明し切れない「真理」を内包する。
もちろん理性の限界という広範なテーマに渡っての入門書なので、それぞれの定理・原理を深く掘り下げているわけではなく、この著書ですべてが理解できるわけではないが、現代学問の知の最前線を垣間見るだけでもその内容は衝撃的だ。

特に自然科学における客観的認識の不確定性には驚かされた。ミクロに物質に迫るとき、その認知の方法に限界があるのではなく、物質そのものがそもそも不確定なのだという理論は衝撃的で、そこから導き出される「多世界解釈」にはこれが科学なのかと驚くばかりだ。
もっと言ってしまえば科学は「客観」や「真理」の概念ではなく、あくまでも科学者集団の「主観」や「信念」の「合意」に過ぎないことになってしまうという論にも目から鱗。

もちろんここで語られているのはあくまでも「限界論」であり、民主的選択、自然科学、論理的思考が人類の叡智を支えていることは間違いない。ただ、それらの限界を知らずに何の根拠もなく全幅の信頼を置いてそれらに依拠してばかりでは、人類はそのうち壁にぶつかって途方に暮れるしかない。

シンポジウムに参加しているカント主義者、ロマン主義者は著書内の扱いとしては話を哲学的・観念的に広げようとして止められるという役回りだが、人間に理性的、科学的、論理的限界があり、それが見えているからこそ人間は哲学や芸術をせっせと創り上げてきたとも言え、著者もそのことを時折ちらちらと垣間見せるために彼らを登場させているのかも知れない。

2009-07-30 | movie
ヱヴァンゲリオンは、そのブームの頃はあまりの過熱振りとガンダム世代の変な意地もあってまったく観ていない。でも、相当気にはなっていた。そのうちDVDで観ようと思っていた。
で、最近周りで『ヱヴァンゲリオン新劇場版:破』を観てやっぱり面白かったという話をちらほら聞き、そろそろ僕もやっぱり観たいなぁと。
でも、テレビ版やら旧劇場版やら新劇場版やら色々あって、どれから観れば良いのか全く分からない。
そんな話を会社でしていると、同僚の娘さんがDVDを持っているということで、まずはそれを借りて観ることに。『ヱヴァンゲリオン新劇場版:序』。



テレビシリーズの6話までをダイジェスト的に構成した(正式には「リビルド」した)ものらしく、確かに背景や細部の構造は深く徹底されているし、デザインもかっこいい。
ただ、人間や社会への批評や少年少女の深層心理にある傷など、哲学的テーマがどこか薄っぺらく色づけされているだけのようで、この程度ならばガンダムを始めとする数多のアニメーションと比べて突出しているわけでもないな、と。
ただ、そういった印象はおそらくこの映画がテレビシリーズのダイジェスト版、いわばヱヴァンゲリオンという物語の紹介という構成になっているからなのだろうと思う。だから、これを観ただけではまだ何も語れない。ただ、少なくとも続きが観たいという気にはさせられたし、きっとそこからヱヴァンゲリオンの物語が始まるのだと思うとワクワクする。
とりあえず『破』を観にいこう。で、また会社の人にテレビシリーズも借りよう。

Life is Party !

2009-07-29 | stage
今夜はmasterpeaceのワンマンライヴだというのに仕事が一向に終わらず、焦り逸る気持ちを冷静に抑えつつ19時過ぎまで残業。職場から荻窪velvet sunまでは軽く1時間以上はかかる。ライヴ開始は20時なので完全に間に合わないのだけれど、ベタベタの熱帯夜の中を駅まで走る。荻窪駅からも走る。
velvet sun到着が20時20分頃。すでに3曲が終わっていて、なんとか4曲目『summer's the sun philosophy』の出だしに滑り込む。あぁ…。



『summer's the…』に続きレゲエ調の新曲と夏らしい曲が続き、空を見上げ、夜を歩く。
そして、ピアノ弾き語りで紡ぐ『faraway music』と予約時のリクエストから厳選された渡辺美里の『Lovin' You』。
まさしくこの2曲は前半のハイライトだった。
音楽がここではないどこかへと連れて行ってくれる魔法なのだとしたら、慈しむように歌う『faraway music』(こんなに良い曲だったのかと再認識)で僕は楽曲の持つ世界にストンと引きずり込まれたし、『Lovin' You』では学生時代の記憶の中に飛ばされた。

MCも冷静で(曲順間違えたりもしてたけど)、ワンマンで演るということを身体全体、心全体で味わうように、刻み込むように語り奏でるマスピの言葉と歌と表情が、とても印象深かった。

『ミキノネ』を久し振りにライヴで聴け、『spiraldays』から『DAYS』へと連なるクライマックスで、ふいに土田くんとの出会いからこれまでの日々が想い出され感無量になる。
アンコールは『アイアルセカイ』と『Rising in the blue』。客席後方には、同じ時間を共有してきて、今夜はここに来られなかったryuuからの贈り物。本当に、なんだか泣きそうになってしまったのだ。



グランドピアノがあって、赤いnord stageのキーボードがあった。マスピライヴにはもはや欠かせない存在となったオクノ君のギター、楽曲に彩りと奥行きと深みを与えてくれるユキさんのパーカス、そしてMC的にも音楽的にもマスピをしっかりとサポートするkotoeちゃんのフルート。彼だけのために集まった満員のお客さん、素晴らしい環境を与えてくれるvelvet sun。音楽、ステージ、仲間、MC、コーヒー、タンブラー、ブルースハープ、小笠原、そして親友からの花束。
今の時点でのmasterpeaceの世界が、すべてここにあった。素晴らしい夜だった。

でも、まだまだ行くのだ。

続いていく日々を
轍を踏みしめ
探していく
求めていく
こころよ あるがまま



OK

虹を見たかい?

2009-07-28 | weblog


昨日の会社帰り、最寄駅を降りると携帯を空に向けて構える人々。降り返ると、大きな虹が空に架かっていた。

久し振りに虹を見た。

虹自体ももちろんだけど、それを見て楽しそうに写真を撮ったり、きっと大切な人に電話で知らせたりしている人たちの姿が、なんだか嬉しかった。

しばらくすると、虹は薄暗い空に霞んで消えていった。日々の性急な暮らしの中で、ひとときの微笑みを与えてくれたようだった。

青、赤、黄色、緑、ピンクはほぼ理解できるようになったannが、7色の虹を見てどう感じるだろう。
次に虹が架かったら、いっしょに見たいな。

小説の読み方、書き方、訳し方

2009-07-27 | book


柴田元幸と高橋源一郎による対談『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』を読了。
水村美苗によるとそもそも文学を表現する日本語は普遍語である英語を翻訳するところから国語へと高められてきたわけで、そうやって「訳された」言語で「書かれる」小説を「読む」というそれぞれの行為には連なりがあり、本書のまえがきで高橋源一郎が「訳す」「書く」「読む」という行為を同じ物質の「液体」「気体」「固体」に例えて話しているけれど、なるほど一般人は自分を主に「読む」側として捉えている節があるけれど、それらの行為は三位一体というか、「訳す」や「書く」ことも知ることによって小説をより楽しめるということがよく分かる内容。
まぁそれでも具体的に「訳し方」「書き方」「読み方」をレクチャーしている訳ではもちろんなく、海外文学(主にアメリカ文学)や近代以降の日本文学(高橋源一郎的に言うと「ニッポンの小説」)の作品や作家を題材にあれこれと2人が語り合うという内容なのだけれど、これが実に面白い。
やっぱり高橋源一郎の小説に対する立ち位置、自らも小説の世界にいるんだけれど、比較的詩の世界側から見ている視線は、小説に対する愛情に溢れていながら冷静でとても興味深い。特に大江健三郎と中上健次について言及している箇所では、俯瞰のパースペクティブと独自の分析に唸らされた。
2人がそれぞれにセレクトした海外の翻訳小説と、海外に紹介したい日本の小説を30冊ずつ挙げているのだけれど、それにしても僕は小説に限っても読んでいない本が多いなぁと自分の遅読を嘆くのだった。

真っ赤に燃える

2009-07-26 | family
朝5時に起きて、渋滞を避けるため6時に出発。今日は義母や義姉義妹家族全員で、海でのBBQ。場所は南房総の保田。
天気は快晴。だからか早めに出発したにも関わらず車の数も多く、少し渋滞しているくらいだった。みんな早くから出かけるのね、と自分のことを棚に上げる。

8時半頃海に到着すると義母と一番上の義姉家族はすでに着いていて、その後2番目の義姉家族、義妹家族と続々到着、総勢16名+犬1匹。
テントや敷物などをセッティングし、とりあえず海で遊ぶ。
ここ保田の海水浴場はあまり大きくないんだけれど、水もきれいだし人も多くなくて素敵。おまけに天気も最高。



先週の海も天気が良かったんだけど、今日の日差しはそれ以上にきつかった。まさに夏という感じで、なんだかテンション上がってずっと甥っ子姪っ子と遊んでしまった。海に入ったり磯でちいさなウニを捕まえたり。BBQのとき以外はほとんど休憩なしだったなぁ。大人の海の楽しみ方とは程遠かったなぁ…。

annも義弟得意の砂遊びに大好きなばーこと参加してご機嫌。


前日、annに「明日海に行くよ」と言うと、「うみだ うみだ!」とはしゃいでいた。まだ抱っこして海の中に連れていくと少し怖がるけれど、波打ち際では先週よりもはしゃいでいたし、基本的に海好きみたい。というか、スイカにアイスに海に花火…。夏が好きみたい。

14時過ぎまで遊んで帰り仕度。近くの風呂屋で海水を洗い流してさっぱり。ただ、遊び過ぎたせいか全身真っ赤っか。
あまり眠れなかったannとKもずっとご機嫌で、よほど楽しかったみたいで良かった。


渋滞の帰り道の運転をパートナーに任せて(ありがとう)、後部座席でannと眠る(ごめん)。
帰宅すると楽しかった余韻とともに、疲れがどっと襲う。annも疲れているはずなのに、テンション上がったままなのか帰りの車で眠ったからか、なんだかずっと元気で全然眠らず、疲れ切った親は正直困った。それに僕の場合、時間が経つに連れ日焼け後がヒリヒリと痛む。こんなに焼けたの何年振りだろう。
ただ、これも夏の醍醐味。正しい夏の休日。

Blend & Tumbler

2009-07-25 | design
いよいよ来週水曜日に迫ったmasterpeaceワンマンLive。それに向けて作っているマスピオリジナルグッズの仕上げのため、つっちーが来宅。
僕がささやかにお手伝いさせてもらっているデザインとその印刷までは今日中に仕上げるため、彼が来てからは微調整で済むように進めていたんだけれど、やっぱり何事も仕上げるってことはそんなに簡単なことではないわけで。
デザイン的にはほとんどOKのところから、ロゴの大きさや角度、印刷の設定やプリンターのトラブルなどなど…。細かいところまで乗り越えて、ようやく完成。



土田くんの許可済みで、ライヴ前だけど発表です。
マスピ自身がコンセプトを発案して懇意の珈琲店にブレンドしてもらった珈琲と、彼が大好きなファイヤーキングのジェダイカップをモチーフにしたタンブラー。
珈琲大好きのマスピがついに自分オリジナルのブレンドを作ってしまい、タンブラーまで!タンブラーはともかく、オリジナルブレンドの企画なんてそんじょそこらのミュージシャンにはできないだろうし、とても面白いグッズになったと思う。

来週のワンマンはすでに満席(というかほぼスタンディングライヴのような格好らしい)で、そこでお披露目されるマスピオリジナルグッズ。もちろんたくさん売れてほしいけれど、とりあえずささやかなお手伝いはお役御免。
あとは僕自身も、当日のライヴを堪能しよう。

真夏の夜の今昔怪奇譚

2009-07-24 | stage
仕事を終えて、雨で濡れた道に転ばないように細心の注意を払って急ぎ、友人のナレーター広瀬未来さんが怪談を語る、『語座ミニ公園文月会~真夏の夜の今昔怪奇譚~』へ。



現代の、隣人に起こるような身近な怖い話を3人交替で語る第一部。休憩を挿んで第二部は『今昔物語』から、女の執念・情念を中心にした話。これを解説付きで語るという趣向なんだけど、この解説も『怪談の科学 パート2』という本の語りになっているという凝ったもの。実はこの『怪談の科学 パート2』、なんか見覚えがあるなぁと思ったら、大学時代の心理学の授業で読まされたものだった。読まされたとはいえ、なかなか面白く読んだ記憶がある。

今回は4人という少人数での語りで、語る話もそれぞれ短いもの。怪談というテーマもあって、短い時間で客席を話の世界に惹きずり込む語りは、やっぱりすごい。ぐぐっと、話を放出して客席ごと包み込むんだもんなぁ。

実はホラーやお化けや幽霊や怖い話は苦手なのだけれど、今回選ばれたものは怖がらせるだけというよりも、程よい余韻を与えたり、和風情緒を感じさせてくれるものだったから、語りの世界に引きずり込まれても身の毛もよだつこともなく良かった。

会場はフランク・ロイド・ライト設計の重要文化財自由学園明日館。これがなかなか素敵な西洋館なので、早めについて是非写真を撮ろうと思って行ったのに、雨だし夜だし、何よりカメラ忘れるし…。残念。
でも、とても素敵な建物でした。



携帯の写真じゃ雰囲気伝わりにくいよなぁ…。

とにかく、真夏の夜の怪談を聴くにも良い雰囲気だった。和風の館もいいんじゃないかとかフト思ったりもしたけれど、それだと怖過ぎるかも知れないし。

足立の花火

2009-07-23 | weblog
帰宅してご飯を食べてから、マンションの廊下に出て真向いに見える足立の花火を見る。今年最初の花火大会。





現場は結構遠いんだけど、音も聞こえるしよく見える。annも打ち上がる花火の色を言いながらご機嫌。
同じフロアの人は廊下にテーブルを出して飲み物やお菓子を食べながら見ていた。ああいうのもいいな。ただ、ちょっと廊下だと狭いか。屋上ならいいんだけど。

足立の花火を荒川河川敷までryuuとつっちーと見に行ったのも、もう2年前なんだなぁ。ついこの間のことのような気がするけれど。

今年は江戸川区や神宮外苑の花火大会のお誘いも受けていて(両方現場ではないが)、いよいよ夏本番といった感じ。
なのに、梅雨明けしてからのこの曇天続きで、いまいち気分が盛り上がらない。

スカッと暑く晴れて「仕事なんてしてられんっ!」という気持ちになってこその夏。
青い空が待ち遠しい。

皆既日食を見逃して

2009-07-22 | weblog


東京だと午前11時過ぎから部分日食だということだったので、仕事中屋上に上って少し空を見上げてみるも、雲が広がった空には太陽の姿すら確認できず。諦めて仕事に戻るも、あとからニュースを見ると東京でも一時的に雲が晴れ、少し観測できたそうで。もう少し粘ればよかった。残念。

何しろ日本の陸地から皆既日食が観られるのは46年振りだとかで大いに盛り上がった今回の天体ショー。普段特別意識していないのにこうやって触れる機会があると、日食自体の仕組みだとかプロミネンスだとかコロナだとかダイヤモンドリングだとか、全然分からないくせにすごく興味を惹かれる。何と言うか、未知のものに接して、とてもワクワクする。

これ、何だろう?知的好奇心のようなものが、年を取るほどに大きくなっている。本当はもっと若いときに知的好奇心に溢れ返って熱意と若さと勢いと暇にかまけて、いろんな物事を勉強すれば良かったなぁとか、ほろ苦い後悔さえする。

空や海、宇宙や深海。広大な世の中にはもちろん人間などまだ見ぬ世界が大きくも小さくも広がっていて、限りある人生の中でできる限りたくさんの物事に触れたいなぁと、最近はよく思うのだ。

次に日本の陸地から見える皆既日食は26年後らしい。もう60歳過ぎてる…。そのときの僕はどういう状況で、どういう気持ちで空を見上げるんだろう。

金環日食は3年後に関東からも臨めるらしいので、とりあえずはそれだな。

あ、今日の画像は鹿児島県喜界島で撮られたダイヤモンドリング。もちろん僕の撮影ではございません。