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Delightful Days

tell on BLOG - ささやかな日々のしずく

人のセックスを笑うな

2008-10-15 | movie
友人が以前勧めていたこともあり、井口奈己監督『人のセックスを笑うな』を観る。山崎ナオコーラの原作小説は読んでいないので、純粋に映画として観た。

39歳の女性(永作博美)と大学生(松山ケンイチ)との恋。その大学生に恋する女子大生(蒼井優)。
劇的な部分などは一切なく、セリフも展開も日常を切り取ったまんまのように淡々と描き出される。
だから、人間が恋するときの昂揚感や切迫感やジレンマが、観ていてクスクス笑ってしまうほどリアルに描かれている。そういう意味では英題の『Don't laugh at my romance』の方がピンとくるかも知れない。
それにしても本人はいたって大真面目なのに、傍から見ると滑稽にも感じてしまうあの恋独特の味わいって何なんだろう。
ていうか、年齢的には永作博美に近いのに、年上の女性に恋して翻弄されてそれでも恋する松山ケンイチに感情移入して観てしまう僕って、何なんだろう。男だから、だろうな。

Y字路にある黄色い風船。長閑な田園を走るカブ。
映画的演出効果も美しい秀作。

でも、やっぱり他人の恋を観るのに137分はちょっと長いな…。

earth

2008-10-14 | movie
『ディープ・ブルー』のスタッフによる映画『アース』を観た。
太陽と水の恵みによって生命溢れる地球という惑星を圧巻の映像美で描く。北極から南極まで、徹底的に人間が排除された地球の映像は息を飲むほどに美しい。
ただ、今地球を描こうとすると、画面の外に見え隠れする「人間」の存在を抜きにしては描くことはできない。
その象徴として、ホッキョクグマは氷の大地をなくして、ひたすらに陸を目指して泳ぐのだ。
どうしてホッキョクグマがどこまでも泳がなければならないかを考えたとき、そこに「人間」が浮かび上がってくる。残念ながら、地球に溢れる生命とは別の意味での存在として。
結果、悲しい映画となる。自然が美しければ美しいほど(本来自然は人間の創作物などよりも圧倒的に美しい)、そこに登場しない人間の愚かしさが浮き彫りにされる。

それにしてもホオジロザメが獲物を捕える瞬間の映像は圧巻。他にもどうやって撮ったんだ?という映像が目白押しで、メイキングの方をむしろ観たくなるよ。

AMERICAN GANGSTER

2008-10-06 | movie
リドリー・スコット監督『アメリカン・ギャングスター』を観た。
1970年初頭のニューヨークを舞台に、ドラッグに汚染されたアメリカを描く。裏社会を取り仕切る実直なギャング、だらしないながらも正義を貫く刑事。
デンゼル・ワシントンとラッセル・クロウが、男臭さ満開で演じる骨太ギャング映画。
ギャング物は好き。この映画はドンパチが少ない分、リアルな切迫感(物語は実話に基づいている)が迫り、2時間半という長時間を感じさせず、グイグイと力強く展開する。

アメリカ映画はこういうの作るとやっぱり良いなぁ。
楽しめました。

My Blueberry Nights

2008-10-04 | movie
ウォン・カーウァイ監督『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観る。
カフェを経営するジュード・ロウとそこに現れたノラ・ジョーンズ。お互いに傷を負っていて、でも、それぞれがその反対側に渡って抱きしめ合うことは、すぐにできることではない。
自分を変える。新しい恋に落ちるために、新しい自分になるために。ノラ・ジョーンズはニューヨークを離れ、それぞれに傷を負いながら生きる人たちと出会い、やがてカフェに戻ってくる。ジュード・ロウは日々を生きながら彼女を待つ。

こう書くと深そうだけど、そうでもない。相変わらずウォン・カーウァイはさらりと描く。だから、まぁ、さらりと観れる。
ライ・クーダーとノラ・ジョーンズの音楽が素敵。光を印象的に使った映像が美しい。そんな映画。

それにしても、ノラ・ジョーンズ。
綺麗だと思っていたけど、こうやってレイチェル・ワイズやナタリー・ポートマンといった女優陣と並ぶとやっぱり芋臭いね。
ま、それがこの映画では良い方に働いてるんだけど。

歓喜の歌

2008-10-03 | movie
松岡錠司監督『歓喜の歌』を観た。原作は立川志の輔の創作落語という異色作。
物語自体はほのぼの系予定調和の典型で、先も読めるしベタベタだし(もちろん笑える箇所は何か所もあるけれど)特筆すべきところはない。ただ、原作の落語は聴いていないから何とも言えない部分はあるけれど、きっと落語で聴くとそうは感じないだろうと思う。
爆笑噺や怪談噺などあるけれど、基本的に落語は人情噺だ。だから、このベタな物語も落語で聴くと楽しめるものになるのだとは思う。というのも、映像がない分、噺家の力量にもよるだろうし、聴き手の想像力による補完も大きいから。もっと柔軟な世界になるのだと思う。
ただ、それを映画にしちゃうと、こういうことになるのだなぁ。
やはり映像の力は大きく、情報のほとんどが映像に依ることになりがちなので物語世界が限定されてしまい、その結果矛盾点も気になるし、誇大演出も気になるし、ベタな展開も気になる。
残念だけど、仕方ないか。落語の噺は落語で聴いた方がいいということ。
今度志の輔の噺で聴いてみたい。

おくりびと

2008-09-18 | movie
仕事を終えて、目黒へ。
ryuuと会ってから彼お勧めのカレーうどんが食べられる『こんぴら茶屋』で夕食。カレーの味も美味しいし、その中にもちゃんとうどんとしての出汁の味もする。うん、これは美味。


場所をタリーズに移してコーヒーを飲みながら四方山話。
ryuuとは久しぶりに会う。
お互い忙しくなったし、僕には家庭ができた。以前のように頻繁に会うことはなくなったけれど、会った瞬間にその間にあったはずの時間はかき消され、以前同様、心の内を正直に話す。
こういう友がいることは素直に嬉しいものだ。
今年の行き当たりばっ旅も、これまで通り「だいたい」決まった。あとは、行き当たりばったり。

品川に出て、滝田洋二郎監督『おくりびと』を観る。

納棺師というあまり耳慣れない職業の男の人生の一部分を切り取った物語。
人気放送作家でもある小山薫堂が映画初脚本というのも楽しみにして行ったのだが、死というテーマを重くなりすぎずに描く(笑えるシーンもたくさんある)テンポの良い展開はさすが。本木雅弘の演技の力もあり、人間の人生、生と死の重さと多様性が自然と伝わってくる。
死を描くことは生きている人間にしかできず、だから死を描くことによって同時に生は描かれる。その意味を考えさせられる。
僕たちは、どうして生きているのか。
必ず来る死へと向かって、人生をどう歩むべきか。
とても難しい問題で、その難しさがこの映画でも浮き彫りになっている。ただ、それを意識して、考えて生きていくことはとても大事で、この映画はそのことを教えてくれる。
個人的には広末涼子が駄目だった。役柄になり切れていないし、やっぱり大事な役柄だけに他の女優だったら…と思いながら見てしまう。
だから、彼女のお腹にこの映画の核となる「新しい生命」が宿り、ラストシーンでそれが死と対照的に描かれるときに、自然に感情移入して見ることができなかった。
それが残念。

崖の上のポニョ

2008-09-06 | movie
朝一から日比谷に出て、宮崎駿監督『崖の上のポニョ』を観る。

賛否両論巻き起こっているだけに観る前は少しドキドキしていたんだけれど、何のことはない、やっぱり素敵な映画だった。ちょっと吃驚したくらい。
子供向けか大人向けかなんてどうでもいいし、脈絡がないとか矛盾が多いとか言う批判はこのエネルギーとダイナミズムに満ちた映画の前ではかき消されてしまう。車の運転の仕方だとか親の呼び方だとかリアリティと緊迫感の欠如だとかは、正直どうでもいい。だいたいそんな小難しい批判を言ってるとフジモトみたいにグランマンマーレに叱られるよ、と作中で宮崎駿はすでに指摘しているではないか。
「人間になりたい!」と大声で言い切るポニョによって、人間であることは力強く肯定される。僕たちは人間として生きて行く。
「宗介が好き!」とこれまた大声で叫ぶポニョによって、人を好きになりそれを相手に伝えるという人間としての営みの素晴らしさが再認識させられる。
子供が発する根源的オプティニズムは大きな波となって「小難しさ」を飲み込み、様々な問題が乱立するこの世界に、シンプルで確かな光を差すじゃないか。
いやぁ、いい映画だったよ。

午後からは買い物へ。
保育園でも靴を履き出してからはすぐに靴がイヤじゃなくなった(というか屋内でも履きたがるくらい好きになった…)annは、もうベビーカーになんて乗ってられない。

トコトコ歩いてお買い物。
お姉さんぽくなってきたなぁ。

監督・ばんざい!

2008-09-05 | movie
北野武監督『監督・ばんざい!』を観た。
映画は芸術という分野に属すると同時に、(多くの他の芸術もそうであるように)また安くはないお金を払ってもらって観てもらう製品だという観点から観たとき、前作『TAKESHI'S』と今作は、自分自身の内へとばかり向かっているベクトルにたぶん多くの観客は戸惑い、憤る人もたくさんいるだろうと思う。
ここに描かれているのは、映画監督北野武の迷いというフィルターを通して、むしろもはや下らないギャグを笑ってもらえない芸人ビートたけしの姿だ。
ぴったりバイク事故以降、その歪んだ顔を世間に曝して「顔面麻痺ナスターズ」というギャグを記者会見で投げた瞬間から、ビートたけしはどんなに下らない格好をしようとも、下らないギャグを言おうとも、お笑い芸人として心の底から笑われることはなくなった。
早くから死を見つめ、実際に死に近付いたとさえ思える「お笑い芸人」を、どこか遠くを見詰めているような深いその眼差しを、誰が笑えるだろう。
『監督・ばんざい!』は、そんなビートたけしの姿を無惨なほどに浮き彫りにする。そして、それこそが監督北野武の狙いなのだと思う。
だから、映画としては面白くないし、そんなことは北野武にだって分かっている。
ただ、その先へ進むために前作と今作は北野武にとってもビートたけしにとっても必要だったことはこれからの彼の作品で証明されるだろうし、一映画作品として観たときには、北野武/ビートたけしがそれぞれ違った場所でとてつもなく大きくなってしまったという一点のみでかろうじて成立しているのだと思う。

ディボース・ショウ

2008-08-28 | movie
最寄駅近くのTSUTAYAは火曜日がサービスデイで、DVDを借りるときはだいたい火曜日に1週間レンタルで借りる。だから、返却も自動的に火曜日になるので、ついそのまままた借りて帰っちゃうという連鎖が起こりやすい。

この間の火曜日も返却したあとフラフラと店内を物色。
コーエン兄弟の映画のうち見ていない『ディボース・ショウ』と『ビッグ・リボウスキ』と迷って、今回は『ディボース・ショウ』を借りてきた。

そして、今夜観賞。
ジョージ・クルーニーとキャサリン・ゼタ=ジョーンズというまたアクの強い役者が、婚前協約(日本ではあまり馴染みがなくその辺りがなかなか分かりづらいが)を巡ってそれぞれがお互いを出し抜こうとする、騙し騙されのコメディ。
コーエン兄弟らしく、コメディなんだけどドタバタで笑いをとるのではなく、やはりテンポの良い会話と所々に散りばめられた細かい笑いが面白い。
かなり開き直って作ったんだろうなと思われる(何てったってラスベガスロケがあり、そのシーンにトム・ジョーンズの『恋はメキメキ』を使うという確信犯的大技!)、コーエン兄弟にしてはゴージャスでメジャーな映画。
ま、肩の力を抜いてそれなりに楽しめる。

それにしても、ジョージ・クルーニー。3枚目が似合う。
キャサリン・ゼタ=ジョーンズはCMや写真なんかで観るよりも断然きれいだったな。
2人とも相当アク強いけど。

潜水服は蝶の夢を見る

2008-08-26 | movie
ジュリアン・シュナーベル監督『潜水服は蝶の夢を見る』を観た。
華やかな生活を送っていたファッション誌『エル』の編集長が脳梗塞で倒れ、全身麻痺状態の中、唯一動かせる左目瞼だけのコミュニケーションで自伝を綴り、その出版後すぐに命を引き取ったという実話の映画化。
自分の生命の終焉を目の当たりにして、自己と自分の周辺を振り返るのだけど、そこはさすがに(?)フランス映画。不必要に感動大作にするわけでもなく、斬新なカメラワークとともに、主人公の自虐的でユーモア溢れる独白によって、人間臭い温かさに包まれた性が淡々と綴られる。
ただ、もちろん必要以上に盛り上げなくてもいいんだけど、この主人公の最後に言いたかったこと、左目瞼だけを頼ってでも残したかったこと(何しろ考えられないほどの時間と労力、根気、文字にしてくれる協力者の多大な寛容と優しさが必要なのだ)が、観る者に訴えてこなかったのが残念。
左目だけで圧巻の演技をしたマチュー・アマルリックは素晴らしいんだけど…。