Delightful Days

tell on BLOG - ささやかな日々のしずく

from tomorrow

2009-08-31 | family
出張前、最後の出社。
書類やPCや持って来てと頼まれているモノなどをまとめて、こちらでの仕事の区切りをつけて引き継ぎをして。台風の影響の雨の中、大量の荷物を積んで車で帰宅。出張前日は荷物が嵩張るので車で出勤することにしている。

今夜も激しく喋り飛び跳ねるannと、刻み込むように(大袈裟)遊ぶ。

明日から海外出張。まず台北。3日からバンコク。

いつものようにパートナーにキレイに荷物をまとめてもらい、最後の夜をワインで楽しむ。
annは突然寝た。
少し鼻水や咳が出ているのが心配。気温の差が烈しいからね。



帰国は9月20日の予定。仕事の進行具合によっては早まることもある(遅まることもあるけど)ので、頑張って行ってきます。

サカスのち桃園文庫

2009-08-30 | family
annを母に任せて午前中にパートナーと2人で投票を済ませる。
昼前に出発して、赤坂サカスまで。初めて。

夏休みのイベントをやっていて、小さな簡易水族館にはシーラカンスの本物の冷凍保存や剥製が展示されていて興奮する。



まぁでも小さな簡易水族館なのですぐに出て、ペンギンの散歩ショウの時間までお茶してまったり。
annはソフトクリームを食べてご満悦。



14時から広場でペンギンの散歩ショウ。



ペンギンが大好きなannは最前列に陣取って拍手でお出迎え。



赤坂サカスって大して何もないのね。
買い物の用事があったのだけどお店も少ししかないので、有楽町のマロニエゲートに移動。移動の車内でannは爆睡。

買い物を終えて品川駅まで母を送る。赤坂サカスからannはずっと眠っていたけれど、泊まりでゆっくりannを独り占めできて母も満足そう。

品川から中野へ。友人が店主を務めるカフェ桃園文庫でryuuと会う。
お店では今月末までのmya-myaさんによる『はまやらわ展』がやっていて、店内のあちこちにかわいいデザインのひらがな達が。



ryuuからそんなかわいい50音が描かれたmya-myaさんのポスターを、annへの誕生日プレゼントとしてもらう。ありがたい。こんなかわいい文字で覚えるなんて素敵。

美味しいフレンチトーストやベイクドチーズケーキを食べながら、またしばらく東京を離れるryuuと話す。
と言っても散々眠って元気百倍のannが走り回り、じっくりとというわけにもいかなかったけれど。



朝から盛りだくさんの日曜日。
出張前の、和みの休日。

夏の終わりの週末

2009-08-29 | family
8月最後の週末、朝から友人家族と一緒にプールへ。おそらく今年最後のプール。
天気は快晴で、もうそろそろ日射しも緩くなってきてるのではないかという予想は大きく外れ、ギラギラ太陽が肌を射すプール日和。



annはカルピスの美味しさを知ってしまった。
一気飲み。



午後早めにプールを出て帰宅。夕方から母が泊まりに来た。
父が一緒だとどうしてもannはテンションの高い父と激しく遊んでしまうので、父抜きの時はannもばーばとまったり遊ぶ。

と言っても最近はずっと喋ってるけど。

お土産のケーキは美味しくて、いつもはイチゴしか食べないのに生クリームもスポンジも(順番に別々に)平らげる。



ここが美味しいの。



ばーばのお泊りでやっぱり少しいつもと違うannは、嬉しかったのかいつまで経っても寝ない。ばーばのために敷いた布団にぬいぐるみをならべて添い寝。彼らを寝かしつけることに一生懸命で、自分は全然寝ない。仕方ないか。忙しいし、楽しいのだ。



それでもベッドに連れていって僕とパートナーも一緒に横になると、しばらくしてスヤスヤと眠る。
子供ってもっとコテッと寝ちゃうイメージだったけど、annを見ている限りそんなことは全然ないなぁ。

集中講義!日本の現代思想

2009-08-28 | book


仲正昌樹『集中講義!日本の現代思想~ポストモダンとは何だったのか』を読了。
たまに読む批評や何かの本にその著者が依拠している思想家や思想がちょこちょこ出て来たりして、まぁ、何となくは分かるんだけどせっかくなのでこれまでの思想の流れとか位置関係とかをざっと把握しておきたいなぁ、と思って読んだもの。
マルクス主義から、80年代の現代思想ブームを中心に、その日本の現代思想が拠り所としたフランスの思想家たちのイデオロギーも盛り込みながら、比較的分かりやすい言葉で流れを振り返る良著。

今後の読書のためにあくまで個人的な知識の把握と整理のために読んだものなので詳細は書かないけれど、あれだね、80年代に大ブーム(?)となった浅田彰の言うスキゾ化した運動(キッズ)がリゾーム状に展開していくという展望は正しかったものの、今となっては予想を遥かに超えてそれは発展し、ポストモダン的に複雑化する世界はもはやポストモダン的には捉えることなど出来なくなってしまっている。だから、あの時代をリードした思想家の中には自己否定とも取れる批評を展開している人がいたりして、すっかり混乱してしまっている時代になってしまったなぁと。
そんなこと考えながら読むと、だいたい思想や批評などが実社会のリアルな機能にどれほどの影響力を持ち得るのかさえ疑問に思えてくるのだけれど、逆に、このような時代だからこそ(大きな物語として世界や時代全体を捉えようとするのではなく)それぞれに細分化された分野で現代思想的な批評は社会の分析装置として少なからず機能するのではないか、という気はする。

faraway music

2009-08-27 | stage
仕事を終えて荻窪へ。予定よりも少し早目に着いたので駅前のラーメン屋で一人腹ごしらえをしていると、ryuuから電話。ラーメンを食べ終えて、ryuuと3カ月振りに会う。
久しぶりの対面の瞬間こそ「あぁ、久しぶり~!」となったけれど、その後はもうあっという間に以前のまんま。以前と同じ空気、距離感、リズム…。それはなんだか拍子抜けするほどだったけれど、だからこそ…なのだと思う。

黒田百合ちゃんとも合流して、少し急ぎ足で荻窪velvet sunへ。

先月ワンマンライヴを大好評の内に終えたmasterpeaceの約1カ月振りのライヴ。
ワンマンの直後だからか、今夜は人の入りが今一つ。だからか、土田くんの進行も少々急き気味だったような気もするけれど、今夜も素敵なマスピの音をゆったりと楽しむ。



当初はサポートなしの弾き語りの予定が、パーカッションのユキさんが急遽参加できることになり、やっぱり彼女のパーカスが入ると音の奥行きがぐっと深まり、世界が引き締まる。『eversky on my mind』のリズムなんてとても良かった。

masterpeaceの楽曲には、基本的には切なさ/儚さと、そんな中にでも希望を垣間見る絶妙のバランスがあるんだな、とか再認識。つまり、寂しいことや辛いことはたくさんあるけれど、そんな中にもある一筋の光と穏やかな温もりを見つめて歩いていこうよ、とマスピは歌うのだ。
ワンマンのときも感じたんだけど、だから『faraway music』のような楽曲は弾き語りでその瞬間の土田くんの感情が赴くままの強弱/出し入れで演奏されると、とてもグッとくる。これは断然ライヴが素晴らしい曲だと思う。

本日2組目の演奏を聞いて、皆で荻窪駅前で晩御飯。ライブ前にラーメンを食べていた僕はビールと冷や奴とソラマメ。
ライヴの反省会的内容とは程遠い会話で盛り上がり、終電で帰路につく。
久しぶりのこのメンバーでの食事。やっぱりしっくりと馴染むし、時間は全然足りない。

New Passport

2009-08-26 | weblog
朝、先週切替申請していたパスポートを受け取りに行く。
入れ込まれた写真と古いパスポートの写真を見比べて改めて愕然とする。年を取ったもんだ。太ったもんだ。
ただ、10年前の写真の方が良いというわけでもない。なんだかひょろりとしていて、頼りない若者という感じ。ウブだったのね。



まぁ、10年も経てばいろいろあるからね。結婚したり、生命を授かったり、衝撃的に娘が誕生したり…。

そういえば最近はブログを書籍化できるサービスがいろいろあるみたい。annの成長記録として残すべく、ちょっと考えてみようかな。

そのannは今日は仕事が休みだったパートナーと、友人の実家ビルの屋上でプールに入ってきたようで。
僕が仕事から帰宅すると、最近はその日にあった出来事を報告してくれようとする。まだ完全には伝わらないけれど…。
今日も、「ぷーる はいった。えこちゃん(nicoちゃん)と るきちゃんも」と話してくれた。
「プールは大きかった?」と聞くと、「おっきい!おっきい!」。
「こやって こやって」とうつ伏せになって足をばたつかせ、プールでバタ足をしたことを教えてくれる。
疲れも吹き飛ぶ時間。



最近はぬいぐるみにも語りかけたりして、とにかくよく喋るようになった。

ちなみに新しいパスポートの写真を見せると「パパ!」と言っていたannだけど、古いパスポートの写真には「わかんない」だって…。

傘がない

2009-08-25 | music
次の海外出張まで残りちょうど1週間。今度の出張は3週間弱と最近では特に長いものになりそうで、まだあと1週間あると言えばあるのだけれど、やはり少しずつ気が急いてくる。
特に社内では社長が先週末帰国したばかりなのにまた明日から出張に出るし、同僚の男性は8月初めから9月後半まで北京に行きっぱなしなので、どことなくバタバタとした空気があって、それがさらに僕の気を急かすのだ。

今日も気持ちが先行して実はもう感じているほど出張前の忙しさもないのではないかとふと疑いもしつつ仕事を終え、帰宅。
今週に入って、朝晩はすっかり爽やかに涼しくもなってきた。

出張自体は仕事とはいえ非日常なので、行ってしまえばバタバタと日は過ぎ行く。ただ、annと長期間会えないのがやっぱり寂しいもので。

すっかりおしゃべりになったannと今夜もよく遊び、彼女が寝静まったあと、NHK教育テレビで昨夜から4夜連続で放映されている『LIFE 井上陽水~40年を語る』を観る。今夜は第2夜だけれど、録画してあった第1夜の方を。

久しぶりに聴く『傘がない』の歌詞に、改めてぶったまげる。



全共闘による学生運動の熱気冷めやらぬ1970年代初頭、同時代のフォークシンガーたちが声を振り絞って「社会派」の歌を歌っていた時代に、やっぱり彼は異質な存在だったのだろうなと感じる。
だからこそ、『傘がない』を始め『人生が二度あれば』、『心もよう』や『夢の中へ』などデビュー当時の名曲が、今になっても色褪せることなく歌われるのだろう。

 つめたい雨が今日は心に浸みる
 君の事以外は考えられなくなる
 それはいい事だろう?

シニシズムも利己主義も超越した、まさにぶったまげる詞だ。

そういえば今週末はもう総選挙か。
マニフェストを読む時間もないし気力もない。どうしようか…。

僕は自分の小さな周囲のことで精いっぱいだし(何しろ傘がない)、政治はそこにまでは及ばないし及んでほしくもない。
だから、選挙のたびに困ってしまうのだ。

CHANGELING

2009-08-23 | movie


クリント・イーストウッド監督『チェンジリング』を観た。
1920年代のロサンゼルスで実際に起こった事件というが、まず観ていて嫌悪感を覚えるほど凄まじい権力の不正が実話だということに驚く。
140分を超える長い映画で、ストーリーも色調も音楽も重く、心の奥底にズシリと響く。それなのに観ている者に時間の長さを感じさせないのはさすが、イーストウッドらしく人間を丹念に描いている結果だと思う。
人間の汚らしさ、崇高さを丁寧に描き、愛の深さと揺るぎなさをあぶり出す。
これほどまでに人間は薄汚いものなのか。
これほどまでに人間は愛ゆえに強くなれるものなのか。
そして、人間は戦う。もちろん、愛ゆえに強くなった人間が戦うとき、そこには銃も剣も要らないのだ。
イーストウッドはいつもながら物語を過度に強調することなく、ありのままを描き、だからこそ、そこからあぶり出されてくる物事に僕たちは深く考えさせられることになる。
最後にアンジェリーナ・ジョリーが口にする「希望」。その意味を考えたとき、「希望」とはそれぞれの心のあり様で様々な形となって見出されるものであり、決してありきたりの形を持ったものではないと気付かされる。例えそれが「絶望」と隣り合わせでも、人によっては「絶望」だと捉えようとも、彼女にとってそれは確かに「希望」だった。
アンジェリーナ・ジョリーを始め、役者陣の魂のこもった演技も素晴らしい名作。

Midnight Baby

2009-08-22 | family
午前中からパートナーが出掛けていた土曜日。昼間は僕とann、2人で留守番。
クリーニングを出しに行って新聞を買って、スーパーでハムを買って冷やし中華を作って2人で食べる。annは最初は上に乗っているトマトとキュウリとハムを順番に。最近流行っているのが、「これ、なに?」と聞いて「○○だよ」と言うと「へぇ」と言う遊び(?)。
今日のお昼時も、
ann「これ、なに?」
僕「キュウリだよ」
ann「へぇ」
というのを何十回も繰り返しながら食べる。

夕方パートナー帰宅。
バーゲンをやっていたらしく、ディズニーのグッズをあれこれとお土産で買ってきた。

プーさんの水着は来週、今年最後のプールで着なくちゃね。



昼寝が2時間弱だったので今夜は早めに眠くなるann。
21時過ぎに眠るも、その後24時を回って起き出してしまった。少しすっきりしたannは止まらない。こうなったら止まらない。
お土産でもらったプルートやチップとデールや、元々持っていたミッキーやミニーを並べて、それぞれに積み木をプレゼントして「あっと(ありがとう)」とお礼を言ってもらっていることを自分でぺこりとお辞儀してアピール。



久しぶりの夜更かしbaby。今夜、寝てくれるかなぁ…。
明日が休みで良かった。

世界は分けてもわからない

2009-08-21 | book


名著『生物と無生物のあいだ』の続編ともいえる、福岡伸一『世界は分けてもわからない』を読了。
僕たちが世界をわかろうするときには、必ずそれを「分けて」見ないことには始まらない。断絶された絵画、観念的に引かれる国境、顕微鏡の内と外、そして生と死。
分子生物学はもちろん、他のあらゆるマクロな現象でもミクロなふるまいでも、それを理解するためにはそれを「分けて」見るしかないのだ。「部分」と「全体」、「切断」と「連続」。僕たちは同時にそれらを見ることができない。

「全体」は必ずしも「部分」の総和ではないし、切断された連続性の中に動的な平衡である生命現象のすべてを見出すことはできないのだ。もっと言えば、「全体」の中に「部分」など存在しないし、生から死への「連続」を「切断」することなど不可能なのだ。
世界に存在するのは緩やかに広がる「全体」だけだし、生から死へと至る動的な平衡の穏やかな「連続」だけだ。でも、僕たちはそれを鳥瞰的に見渡すことなどできない。

だから、僕たちは困惑する。
世界をわかるためには分けて見るしかない。そうすると、世界はもっとわからなくなる。そして、なんとか世界をわかろうと、さらに世界を分断する。
もちろん、この矛盾に満ちた果てしない作業によって人類は数多くの進歩を重ねてもきた。と同時に、だからこそ世界には未だに錯誤と誤謬が溢れ返り、それは誤解を生み、新たなる断絶を引き起こす。

本著の構成自体が、それぞれが独立したように見える各章が実は有機的に結びついて最後のクライマックスを迎えるという展開で書かれており、相変わらず生物学者とは思えない文学/詩的な表現により、読み手は心地良い知的高揚感に揺られ、上質なミステリーを追うような緊迫感を味わうことができる。

『生物と無生物のあいだ』を読んだときの衝撃には正直及ばないけれど、著者の生命、世界に対するアプローチとその姿勢にはやはり強い説得力と真摯さがあり、読み手を知の深みへと連れていくポテンシャルに満ちている良著。