Delightful Days

tell on BLOG - ささやかな日々のしずく

Land of Plenty

2006-06-30 | movie
ヴィム・ヴェンダース監督『ランド・オブ・プレンティ』を観た。
9・11以降のアメリカ。あらゆる方法でそれは解釈され、表現されてきたけれど、やっぱり難しいのかも知れない。

パレスティナから母国アメリカに戻った姪。ベトナム戦争の枯葉剤の後遺症が抜けない叔父。
姪はアメリカ人だけれど、反対側の世界も知っていて、母国の虚勢も脆すぎる強がりも内包している貧しさも知っている。その上で、アメリカに、母のように包まれて眠る。
叔父は、国家が政治的に作り上げた虚像を疑うことを知らない。被害者としての象徴。それと同時に、アメリカそのもののメタファーとなる。

描こうとしているものは分かるし、世界が知らない、いや、もはや世界中は知っているのにアメリカだけが隠せていると思っている巨大国家の脆さを剥き出しにするという意図も分かる。
ただ、なんというか…。象徴や記号や暗喩が極端すぎるんじゃないのかな……。
意欲的に大きなテーマに挑み、その対象のあまりの巨大さに押し戻され、消化しきれずに持て余している感じがした。

ちょっと残念でした。

誕生日

2006-06-29 | weblog
夜、久しぶりの友人から電話があった。なんと、明後日結婚するという。
おいおい。急すぎだろ…。驚いたよ。
なんでも2年くらい付き合った彼女と明後日身内だけの小さな式をするのだと。で、入籍は日曜日だと。7月2日が彼女の誕生日だから、結婚記念日と誕生日を同じにしたんだと。

ちょっと待って。その日は僕も誕生日だと伝え、なんだか盛り上がってしまった。その奥さんには是非会ってみたい。
とにかく、おめでとう!


今日はパートナーの誕生日。
この間、僕の母が来たときにはプレゼントにお皿をくれた。妹からは手作りバースデーカード(画像)とスカート。そして、義妹はさっき電話をくれて、僕達にプレゼントがあるんだけどと言ってきれくれた。
嬉しい限りですな。ありがたいことです。
生まれてきて、こうして周りに支えられて生きている。そのことに改めて感謝したい日。

パートナーはまだ仕事から帰ってきていない。誕生日だっていうのに…。ていうか、もうすぐ誕生日終わるって……。
でも、それが彼女なんだ。一生懸命、生きている。

おめでとう!

いつか風になる日

2006-06-28 | music
その曲が始まっただけで、身体中に電気が走ったように、深く心に響く音楽がある。
例えば、Bob Dylanの『Desolation Row』、The Rolling Stonesの『Let It Bleed』、The Beatlesの『Get Back』、Bill Evans Trioの『Waltz for Debby』、Robert Johnsonの『Cross Road Blues』、Mr.Childrenの『イノセントワールド』、masterpeaceの『monogatari』…。

masterpeaceのデビューマキシ『lovers』はいよいよ本日発売です。タワレコやアマゾンのサイトでも買えますよ!

もちろん、数え上がればキリがない。
そんな中に元ちとせの『いつか風になる日』も入る。久しぶりにCDの棚から引っぱり出して聴いたアルバム『ノマド・ソウル』。あの歌声に乗って届けられるうたは、やはり豊潤な世界を創っていて、僕の心を揺さぶる。
『いつか風になる日』は、沖縄への郷愁(僕は沖縄出身ではないけれど、この気持ちには”郷愁”という言葉がぴったりくる)を誘う。
忙しく、せわしなく生きている都会の僕達が人間本来の姿ではないはずだ。大いなる自然の恵み、厳かな自然への畏れ。そして、誰かを愛するという気持ちが持てた、自然界唯一の動物である人間。そんな自分達への謙虚な思いと、愛する人と寄り添える喜び。このうたは、素直な気持ちを思い出させてくれるのだ。

改めてi-podに入れようと思ったら、なぜかPCがi-podを認識しない。
なぜ?why ??
i-podの調子が悪いみたい…。明日見てもらおうっと。

運命じゃない人

2006-06-27 | movie
DVDで『運命じゃない人』を観る。
劇場公開はいつだったんだろう。まったく知らなかった。それが不思議なくらいの快作。
キャストの中では板谷由夏くらいしか知らないし、内田けんじという監督も知らない。すごい低予算で作られているんだと思う。
それなのに、こんなに素敵な映画が出来上がる。

何人かの登場人物それぞれの視点から、少しずつ時間を逆戻りつつ描かれる一晩のエピソード。徐々に真相が明らかになっていく種明かし的手法の脚本が見事だし、キャストの自然体の演技がそのストーリーをさらに魅力的に肉付けしている。
張り巡らされた伏線がどんどん繋がっていく様はテンポが良くて勢いがあるし、観ていて気持ち良い。そして、観客に解釈を任せたような、含みのあるラストシーン。お見事です。

母と

2006-06-25 | family
今日は上半期競馬の総決算、グランプリ宝塚記念の日。ここを滑走路として、ディープインパクトは世界へ飛び立つ。
もちろん、彼は雨の稍重馬場も物ともせずにいつも通りの圧勝。完勝。分かっているはずなのに、この馬の強さには毎回毎回バカみたいに感動させられる。「うっわ~、すっげー」って。身体中を衝撃が突き抜け、鳥肌が立つ。
レース後、武豊は5本の指を全て立てて天を指す。そう、シンザンに並ぶG1、5勝目。そして、この秋。日本のどの馬も立ったことのない凱旋門賞の頂点へ。世界中の強豪馬を引き連れて、真っ先にゴール板を駆け抜ける。
楽しみやぁ~。

午後からは母が来ていた。特に用があったわけじゃない。沖縄のときの写真を取りがてら、のんびりしに来たというわけ。
ウチで昼食をとり、僕は競馬をしながら、パートナーと3人で会話を楽しむ。
夕方からヴィーナスフォートに行くと言ったら、「ついてってもええんやったらついてく」と、ついてきた。
服や食器や犬を見ながら、久しぶりの母とのショッピング。昔はよく家族4人で買い物に行ったもんだ。なんばシティとか。
晩ご飯を食べて、品川駅まで送って、母の背中を見送る。猫背はやめな、と言ってるのになぁ。
次は来月、父の還暦祝いだ。

色を知る 色をみる

2006-06-24 | art
午後一から散髪。またかよっ、と言うなかれ、2ヶ月振り。僕としては間が開いた方。

夜はパートナーの実家に行くことになっていて、パートナーは今日銀座で仕事だったので、20時過ぎに待ち合わせて行く予定だった。せっかくだから少し早めに行って、紙百科ギャラリーの企画展『色を知る 色をみる』に立ち寄る。
日本の四季から学び育まれてきた独自の色彩を、「赤・桃色系」「青・紫色系」「黄色・柿色系」「黒・鼠色・白系」「緑色系」「茶色系」の六つに分けて、それぞれの色を紹介、由来等を解説している。
色の世界はとても深遠で、少しの違いで大きくイメージは異なるし、それぞれが象徴する意味も違ってくる。同じピンクでも微妙な違いにより、「桜色」、「紅梅色」、「撫子色」、「牡丹色」、「躑躅(つつじ)色」、「桃色」と変化する。そんな繊細で、豊かな色彩の世界に、すっかり魅了される。
例えば、珊瑚礁のある沖縄の海の色は、「瓶覗」から「水色」「水浅葱」「浅葱色」「新橋色」「縹色」「藍色」と、生きている色彩見本のように、美しい青のグラデーションを見せてくれることになる。そうやって少し色のことを知ってると、ただうわぁっと感動するよりも、もっと深く色んな風景を感じ取れそうな気がする。

パートナーと合流し、彼女の実家へ。
義父がこの間の沖縄旅行のこと、改めて楽しかったと言ってくれた。
でも、やっぱり…。あの美しい青のグラデーションを見せてあげたかったな、とつくづく思った夜でした。

masterpeace on air

2006-06-23 | sports
もうご存じの通り、今朝未明、日本代表はブラジルに完敗。
先制点は見事だった。素晴らしいゴールだった。ただ、その後が続かない。やっぱり続かない。
ロスタイムのロナウドのゴールなんて集中していれば防げたはずだ。何度同じことを繰り返すのか…。

あそこが駄目だったとか、ここがダメだったとか、色々あるけれど、とにかく日本のW杯は終わった。今回の代表には若くてピチピチした選手もいなかったし、また1からだな。

でも、もちろんW杯はまだまだ終わらない。ていうか、むしろこれから。決勝トーナメントの組み合わせを見ているだけでワクワクしてくるし、ね。

深夜0時から、FM横浜の番組を聴く。部屋のラジカセでは雑音がひどかったので、車で。
masterpeaceがゲスト出演していたのだ。6月28日発売のマキシから2曲が流れた。普通にこうやってメディアに出ていって、トントンと行けばいいなぁ。そして、早くカラオケでmasterpeaceが歌いたい。
それにしても、つっちーは上手く喋るなぁ。オモロイし、柔和だし、説得力あるし。
とか、ラジオ聴いてて思ったりした口下手な僕なのでした。

うれしい知らせ

2006-06-22 | design
なんか良い喩えはないか…。

えいやっ!っと投げ込んだボールは見事にズバッとストライク。
投げ込んでくれたボールを見事に捉え、弾き返す。

弾き返すっていうんじゃないな。ヒットにするとか。


このブログでも何度かその過程を書いてきたけれど、パンツのデザインが90%採用になりました。
90%ってのがよく分からないけれど、この企画をしている会社が店舗をオープンさせ次第、僕がデザインしたパンツが売り出されます。

それってスゴクない?

この企画は、名のあるデザイナーやアーティストにパンツのデザインをしてもらって売り出したら面白いんじゃないの?というもので、そんな中に名も無きデザイナー(の卵や精子)たちにもチャンスを与えようって企画で、もちろん僕は後者。
担当してくれているMさんがメールで他のデザイン提供者さんを教えてくれ、「tellさん、この人たちと名前が並ぶのですから、さらに頑張ってくださいね」と書いてあった。
そう。プロのデザイナーたちに混じって、店頭で売り出される僕のパンツ。

これって、スゴクない??

連絡のメールが来て、それを開く瞬間はとても緊張した。
そして、文面を読んで、身体が震えた。

お店はまだ決まってないし、価格はまだ分かりません。
詳細は分かり次第またここでお知らせします。

だから、売り出されたら買ってね。
一応女性用もデザインしたんで。


いや、ホントにうれしいです!

ちなみに画像はパンツデザインとは関係ございません。遊びで作ってみただけのモノ。

Yいについて

2006-06-21 | weblog
仕事後一旦帰宅し、着替えてから上野の焼き肉屋「板門店」に向かう。
パートナーの部下のYいが、いつもお世話になってるからと、歩合が出たからと、奢ってくれた。ありがたい。
板門店は相変わらず美味しい。特上ハラミは残念ながら一人前しかなかったけれど、とにかく美味しい。

Yいは真面目で、でも、面白く、だけどやっぱり真面目な、かわいい女の子(という年でもないか…)。パートナーのことを信頼し、尊敬しているのがありありと分かるし、僕にとってもかわいい妹みたいな(娘ではない)存在になりつつある。

ただ…、お酒を飲み過ぎなければ……。

Yいはお酒が好きで仕事が好きなので、酔っぱらうと仕事の話をクドクドとし始める。ま、それはそれで良い面でもあるのだけれど、いい加減ウザイ時もある。

今日は素直で良い子で、真っすぐ帰った。
こうなると、「あぁ、たまにはとことんカラオケにでも付き合ってやるかな」とか思わせる、かわいらしい奴なのです。

Plastic Soul

2006-06-20 | book
また難しい小説読んじゃったなぁ。感覚でしか分かんないくせに…。

阿部和重『Plastic Soul』を読了。
『ニッポニアニッポン』から『シンセミア』へと続く彼の作品と、『無情の世界』以前の作品との間の”切断線”と著者自身も語っている。単行本には珍しく、この本には本編のあとに福永信による解説が添えられている。そこには著者と福永氏との対談の一部も掲載されているのだけれど、その中で著者は「苦しんで書いた作品」、「全面的に自信を持って出せるものではない」と語る。
もともと『批評空間』という雑誌に連載されていたもので、なるほど、連載小説という手法にとことんこだわっている手法。帯にもあるように、あるいは解説で福永氏が語っているように、アイウエオやアルファベット、数字などに象徴される記号が全編に散りばめられ、語りの主体は一人称から三人称、さらには「わたし」と「私」は別人物でありつまり3人の主体が目まぐるしく話者として入れ替わる構成。それでいて読み手が大して混乱することもなくすらすらと読み進めることができるのは、主体の転換についていっているというよりもその行為の途中で客体である僕達が逆に分裂させられてしまっているからだろうか。あらゆる出来事はすでに第1章で完結し、その後の6章は、始まりに戻る経緯が妄想癖があり記憶力の極めて弱い話者によって語られているに過ぎず、ということは全ては妄想なのかも知れないし単なる記憶違いなのかも知れない。

この小説は確かに阿部和重の転換点という意味合いを強く出していて、そういう意味ではとても興味深く読める。ただ、福永氏の解説のように主人公のキャラクター設定に合わせて行き当たりばったり的な手法として確信犯的に書かれたものなのかはとても疑問で、逆に著者自身が認めているように書き進められるにつれて最初のプランに破綻が生じ始め、結果的にそこに批評性が現れているのだと思う。
だから、記号的な解釈にばかりこだわってこの小説の批評性に迫ろうとしても、後付け・こじつけの感が強くなるし、阿部和重という希有な小説家の現在に至る分岐点、そこにおける実験的な試行錯誤として捉えれば良いんじゃないかと。
ただ、試行錯誤に見える全ての方法(例えば主体の解体による客体の分裂の手法の中途半端さや、クスリとセックスしか存在しないアパート内部と希薄で薄っぺらく虚構の可能性が強い外部とをリンクさせようとして結果的にこれも中途半端に終わっていること)が、全て著者自身の狙い、計画だとしたら…。いや、それは、恐ろしいくらいの傑作ということになる。