黒沢清監督『トウキョウソナタ』を観た。
会社をリストラされたことを家族に告げられず、それでいて虚勢の権威を未だ振りかざす父親。
誰かに引き上げてほしいという心をひた隠しにしながら、ただ「母親」という役を演じる母親。
世界の平和を守るには世界の警察であるアメリカに飛び込まなければならないと信じ込む長男。
冷めた目で家族を見、自身はほのかな恋心から親に黙ってピアノを習い始める次男。
家族はバラバラだ。崩壊寸前だ。
でも、本当に崩壊するのも簡単ではないのだ。崩壊したその先に待つ、再生を信じられないから。本当に再生などできるのか、どうすれば再生できるのか、いや、本当に自分はこの家族の再生を願っているのか、それすら分からないから、崩壊寸前の家族は危うい均衡を保とうと不自然な日々を繰り返す。ただ、もはやそれを支える柱は腐り、やがて家族は崩れる。
一度は崩壊した家族が再生に向かって歩み始める、なんて映画ではまるでない。
もはやそこにしか戻れない父親と母親は、形の上での「家」に帰るしかなく、自分の役割すら分からないままだ。
長男はアメリカに飛び込んだものの自身の願望が満たされないことに気付くのみで、まだアメリカから逃れられない。
ただ、次男だけが自分が何ができるかを知り、その道を歩み始める。
その次男の才能を見守る両親。そっと肩を抱く父親。
小泉今日子の冷めた、がらんどうのような目が恐ろしい。
映画全体が絶望と恐怖に覆われたような雰囲気の中、最後に流される美しすぎるソナタ。
ただ、この美しいソナタでさえ救いにはなっていない。
ここまで救いを差し伸べられなかったほど、黒沢清は世界に深い憂いを抱いているのだろうか。この作品はそれを表現し、警鐘を鳴らすためだけに創られたのだろうか。
だとしたら悲し過ぎるし、何とも後味の悪い映画だ。
会社をリストラされたことを家族に告げられず、それでいて虚勢の権威を未だ振りかざす父親。
誰かに引き上げてほしいという心をひた隠しにしながら、ただ「母親」という役を演じる母親。
世界の平和を守るには世界の警察であるアメリカに飛び込まなければならないと信じ込む長男。
冷めた目で家族を見、自身はほのかな恋心から親に黙ってピアノを習い始める次男。
家族はバラバラだ。崩壊寸前だ。
でも、本当に崩壊するのも簡単ではないのだ。崩壊したその先に待つ、再生を信じられないから。本当に再生などできるのか、どうすれば再生できるのか、いや、本当に自分はこの家族の再生を願っているのか、それすら分からないから、崩壊寸前の家族は危うい均衡を保とうと不自然な日々を繰り返す。ただ、もはやそれを支える柱は腐り、やがて家族は崩れる。
一度は崩壊した家族が再生に向かって歩み始める、なんて映画ではまるでない。
もはやそこにしか戻れない父親と母親は、形の上での「家」に帰るしかなく、自分の役割すら分からないままだ。
長男はアメリカに飛び込んだものの自身の願望が満たされないことに気付くのみで、まだアメリカから逃れられない。
ただ、次男だけが自分が何ができるかを知り、その道を歩み始める。
その次男の才能を見守る両親。そっと肩を抱く父親。
小泉今日子の冷めた、がらんどうのような目が恐ろしい。
映画全体が絶望と恐怖に覆われたような雰囲気の中、最後に流される美しすぎるソナタ。
ただ、この美しいソナタでさえ救いにはなっていない。
ここまで救いを差し伸べられなかったほど、黒沢清は世界に深い憂いを抱いているのだろうか。この作品はそれを表現し、警鐘を鳴らすためだけに創られたのだろうか。
だとしたら悲し過ぎるし、何とも後味の悪い映画だ。