僕はすでに夏休みを終えているので今日も出社だけれど、世間一般はお盆。ウチの会社は海外との取引も多いのでお盆も誰かしら事務所に出ておいた方が良いという名目はあるが、やっぱり暇。
しかも、今は社長と他の男性社員が海外出張中だし、女性社員数名は夏休みを取り、本来出てくるはずだった女性も風邪で休み。経理は一応来ているけれどフロアが違うし、営業の事務室は僕一人という状況だった。
普段できない雑務を黙々と進めたりもしていたんだけれど、やっぱり暇。
14時過ぎ、社長からの電話に「特に何もありませんね。電話もメールもファックスも…」と言うと、だったら早めに切り上げても良いんじゃない?と社長のお許しが出たので、15時前に事務所を出る。
せっかくなので映画でも。細田守監督『サマーウォーズ』。
前作『時をかける少女』が甘酸っぱい青春をシンプルに描きとても面白かったので、今作も期待して行った。
細田監督はここで現代社会に広がるヴァーチャルなネットワークの対抗軸として、田舎の古い親族の血縁を置く。いや、対抗軸ではないな。何しろヴァーチャルのネットワークが悪くて家族の温もりあるコミュニケーションこそが大事だとかいった単純な物語ではないのだから。
細田守が言いたいことはただ一つ。現実世界であれネット世界であれ「繋がり」こそが大事なのだよ、ということ。
ヴァーチャルネットワークは時に暴走してそれを作り出した人間の不完全さに付け込んで世界を危機に陥れるかも知れない。けれど、その世界だって、基本的には人間が誰かと「繋がり」たくて作り上げたもののはずだ。本来の節度を持ってウェブを行き来すれば、ヴァーチャル世界での「繋がり」だって本物だし、その広大な世界だって悪くない。現実社会の血の「繋がり」があったって、何年かに一度しか会わないような親族もいるわけだし、それならばヴァーチャルで繋がっている遠いドイツの子供との「繋がり」の方がよっぽど深い場合だってあるだろう。
インターネットを通した「繋がり」自体がすべて希薄なわけではない。もちろん、黒電話でジーコジーコとかけたり年賀状で一年に一度だけ文字を通したりして「繋がる」ことも含めて、そのコミュニケーションの方法自体が問題なのではない。
要は、誰かと「繋がっている」こと。
繋いだ手を離さないこと、信頼した友達を最後まで信じきること、その友達が戦っているときには(優しくでも力強くでもいいから)背中に手を置いてあげること。
そうすれば、甲子園にだって行けるし、世界だって救える。
誰かと手を繋いだときに感じる温もり。ヴァーチャル世界でだって、その温もりの記憶が僕たちを守ってくれる。だって、人間は記憶と歴史の上に立って、これからも進んでいくんだから。
だったら、手を繋いでいよう。いっしょにご飯を食べよう。
途中からは溢れ出る涙が止まらなかった。日本アニメ史に、いや、邦画史にも残る素晴らしい作品だと思う。