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Delightful Days

tell on BLOG - ささやかな日々のしずく

インフォーマント!

2010-01-28 | movie
出張の往きの機内で観て、途中でどうしても眠くなって止めてしまったスティーヴン・ソダーバーグ監督『インフォーマント!』の続きを帰りの機内で観る。



自社の不正をFBIに内部告発する男。とにかくよく喋るこの男の実際の姿が映画後半になってどんどんと暴かれ、観ている観客も映画内のFBI捜査官のように口をあんぐりと開けて驚くという仕掛け。
実話だというが60年代コメディのような画、これまた昔風の音楽がかなりの効果を上げ、驚くべき話なのにブラックなコメディとして楽しめる。
ただ、ややこしい話がどんどんと進むのでコメディなのに集中して観ないと訳が分からなくなる(この辺りも最初寝ちゃった原因)し、事件がとても大きなものなのに映画自体がこじんまりと納まってしまっている感は否めない。

それにしてもこのための役作りに20kg太ったというマット・デイモン。映画自体、彼のワンマンショウなのだが、初めて彼の演技をちゃんと観て、その力に脱帽。
なるほど、ただのイケメン俳優じゃなかったのね。

つみきのいえ

2009-12-28 | movie


加藤久仁生監督、昨年のアカデミー賞で短編アニメ賞を受賞した『つみきのいえ』を観た。
約12分の作品で、台詞もない。ただ、切なくも温かい音楽が身体中に沁み入り、目頭は熱くなる。

日に日に水かさが増す水没した街で、おじいさんは水面から頭をのぞかせるように積み重ねられた家に住む。周りには、ほとんど住む人はいない。おじいさんは一人だ。でも、孤独の寂しさよりも、彼の人生で積み重ねられた歴史に心は温かくなる。

きっと、曖昧に広がる浅薄な世界よりも、深く深く積み重ねられた歴史の方が、人には確かなのだ。
おじいさんには、温かくも幸せな歴史がある。今も、彼の足下にそれは深さを増しながら積み重なっている。
だから、おじいさんは一人でも、独りではない。

たぶん、この映画で僕が泣くのは、僕が家庭を持ち子を持つ親になったことも大きいと思う。
広くても浅い世界より、濃密で深い繋がりの方が、確かだ。親となってそのことをより深く感じることができるようになった。

長澤まさみのナレーション入りも良いけれど、音楽だけの方が世界と歴史をより堪能できる。想像力は大きく掻き立てられる。
絵本を読んでいるような、短くても濃密で深い素敵な物語。

少年メリケンサック

2009-12-23 | movie
年末にポツンとある感じの祝日。パートナーは仕事だし、annは義母とお出かけ。夕方から義妹の家に行く予定はあるものの、さて昼間をどう過ごそうか。映画でも行こうかと思って調べるも、重い腰を上げてまでのものが見付からず、義母とannを駅まで送ったついでにDVDを借りてきて家で観る。

宮藤官九郎監督・脚本『少年メリケンサック』。



80年代に活動していたパンクバンド「少年メリケンサック」の動画がネット上で現代のバンドとして評判になり、実は中年バンドだということを隠したまま再結成ツアーに出かけるという導入部分から色々と筋が通らないことが多すぎてスムーズじゃない。いや、もちろん映画だから全てにきちんと筋が通っていなきゃいけないという訳じゃないんだけど、色々と無理がありすぎるとそちらばかりが気になる。
もちろん、宮藤官九郎だから小ネタは散りばめられ笑える部分はたくさんある。でも、映画作品として観た場合、宮藤官九郎作品として完成しているとは到底思えない。
クドカンはどうして映画だとダメなんだろうか。自分で監督すると余計にそうだ。脚本自体に独特の表現とテンポがあるのだから、少なくともそれを生かしてくれるプロフェッショナルの演出家に作品にしてもらった方が良い。
この映画にしても、彼の魅力であるキャラクターや構成やテンポなどがとっ散らかってて自分でも整理できていない印象を受ける。誰か整理上手な映画監督がいれば良いのに。あるいは、映画というカチッとした2時間前後の尺では上手く納まらないのか。ドラマはあんなに面白いのに。

それにしても、宮崎あおいと佐藤浩市はすごい。彼らの抽斗の深さと広さに改めて驚く。

GOEMON

2009-12-16 | movie


紀里谷和明監督『GOEMON』を観た。
今年はここまでそれほど外れの映画を観てこなかったのに、年の瀬も押し迫ったここにきて観ることになるとは…。

方向性は分かる。ピタリと嵌ればとてもカッコイイものになることも、分かる。だから、もったいないなぁと思ってしまう。

映像の色使いはとても美しい。衣装も独特で綺麗。スピード感も満点で、五右衛門は人間とは(動物とは)思えないほどピョンピョン飛ぶ(まぁ、一番「飛べよ」って思う大事な場面では全然飛ばないが…)。
これだけ画をいじくり回しているのだから目玉はCGなんだろうけど、そのCGが驚くほどショボイ。予算や技術の問題なのか。比べちゃいけないんだろうけど、ハリウッドのCG作品には遠く及ばないし、いじくり回し過ぎて最早ゲームのようにも観えるが、それならFFの方がよっぽどすごい。
史実や時代考証を意図的に完全無視して独自の世界で実在の人物を生かしたいのは分かるが、その荒唐無稽具合がこちらの想像以上のものになっていないし、その世界で生きる信長や秀吉や家康や服部半蔵がまったく魅力的に描かれていない。言い伝えられてきた誰もが知っている彼らの強烈なキャラクターや伝説を前にしては、紀里谷版はただただ凡庸だ。
裏切るならもっと驚かせてほしかったし、コンピューターでいじくり回すならもっと圧倒的な映像美を見せてほしかった。

まだまだ言いたいことはあるけれど、あんまり文句ばかり言うのもオトナゲないのでやめとこ。
映画館で観れば違ったのだろうか。
そんなこともないな…。

8人の女たち

2009-11-25 | movie


フランソワ・オゾン監督『8人の女たち』を観た。
外部との出入りを雪に断たれた豪邸で発見された主の死体。電話線は何者かに切断され、大雪で外に出ることも立ち行かない。邸内にいるのは8人の女だけ。さて…。
というあらすじだけを書くと定番と言うのも憚られるほど陳腐なミステリー劇に見えるが、もちろんそうではない。フランソワ・オゾンにとってそれは単なる仕掛けに過ぎず、本当に見せたいことは別にある。

ただ、物語は過剰なほどミステリータッチで進んでいく。効果音は過剰で、次々と明かされていく登場人物たちの秘密は愛憎渦巻き過ぎるドロドロもの。
そこに挿し込まれるミュージカル風な踊りと歌。コミカルにも感じる女優達の喜怒哀楽。
そのような落差の中で、実力派揃いの新旧フランス女優達が匂い立つような演技を魅せるのだ。
きっとフランソワ・オゾンが見せたいのはミステリーでもミュージカルでもなく、それらにオマージュを捧げながら作り上げた世界でそれぞれの魅力を解き放つ自国フランスの女優たちそのものなのだ。

実際あまりにも陳腐なストーリーの中にあり、カメラワークと女優たちの妖演だけが際立つ。だから、僕たちはすっかり彼女たちの演技にうっとりし、その茶番とも言える結末に苦笑いを浮かべながらも、最後に誇らしげにカメラを向いて並ぶ8人の女優たちに思わず「ブラボー!」と拍手を贈りたくなる。
これは映画や舞台の体裁を借り、ミステリーやサスペンスやミュージカルやコメディといったジャンルにオマージュを捧げ、何よりも鬼才が女優たちにこの上ないリスペクトを贈る、とびきり上質で贅沢なショウなのだ。

THIS IS IT

2009-11-23 | movie
マイケル・ジャクソンの、特別なファンではない。でも、マイケル・ジャクソンという存在はファンであるとかファンではないとかいう区別を軽々と飛び越えて、ずっと身近にあった。音楽もダンスも、ゴシップも。
彼が今年の7月に久しぶりのコンサートを行うと発表したときには、心が奮えながらも声や動きは大丈夫だろうかといった心配が先立ったし、彼の死後にそのリハーサルの模様を収録した映画が発表されると聞いたときも、彼の名前を利用した商売目的ではないかと疑心暗鬼だった。
でも、公開されてみると、ファンからもファンではなかった人からもすこぶる評判が良い。
ケニー・オルテガ監督『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』を観てきた。



そこには、マイケル・ジャクソンのあらゆる面での素顔が映し出されていた。
50歳にして衰えないボーカル、ダンスパフォーマンス。このコンサートのために世界中から集まったダンサー達の前で、彼らが肩で息をしているその先頭で、マイケル・ジャクソンは呼吸が乱れない。マイケル・ジャクソンはステージ上を走らない。ただ、滑るようになめらかに移動するのだ。右へ左へ、前へ。そして、後ろへ。
シンガーやダンサーやエンターティナーとしての成熟とはレベルが違う。マイケル・ジャクソンという唯一にして無二の存在として、彼はずっと進化し、巨大化してきたのだ。
だから、コンサートに関わるスタッフ全員が彼に敬意を払い、いくらか畏れていることも映画からは伺える。
でも、そんな彼らに的確でいて大胆な指示を与えるマイケル・ジャクソンは、愛に満ちている。
「怒ってるんじゃない。愛だよ、L、O、V、E。愛してるんだ」
「ここが君の最大の見せ場だ。一番高い音を出して。僕が一緒にいる」

この映画は公開されるべきだった。
マイケル・ジャクソンは、とんでもないステージを創り上げようとしていた。歌とダンスと映像と、大いなる愛に満ち溢れた、キング・オブ・ポップにしか創れない世界を。

『THIS IS IT』本番のステージはその幕を上げることなく、マイケル・ジャクソンはもうこの世にはいない。
でも、この映画を観て、思う。始まらなかった『THIS IS IT』は、だからこそ永遠に終わらないのだと。

BURN AFTER READING

2009-11-16 | movie


コーエン兄弟監督『バーン・アフター・リーディング』を観た。ブラッド・ピット、ジョージ・クルーニーにジョン・マルコヴィッチ、フランシス・マクドーマンドといった豪華な面々が集ったコメディ。
コメディ?なのか、これ?
相変わらずコーエン兄弟らしいブラックなユーモア、スリリングな展開、複雑に絡み合うストーリー。ブラピやジョージ・クルーニーらの過剰な演技がこの映画がコメディであることを証明しているけど、先の読めない展開や緊張感溢れるシーンの連続はむしろサスペンスに近い。
ただ、それでも冷戦後のCIAとアメリカという国家、いや、鳥瞰的視線からのちっぽけな人間全体への強烈な皮肉と風刺が、悪趣味とも言える皮肉っぽさで表現され、やっぱり面白い。
コーエン兄弟らしいブラックコメディ。好きな人は好きだけど、ダメな人はダメだろうなぁ…。

LE CODE A CHANGE

2009-11-07 | movie
往きの日が10月で、帰りが11月。当然機内の映画や音楽のプログラムが11月分に変わっているだろうと思って機内誌を見てみるも、往きとまったく同じ。どうやら往きからすでに11月分になっていたようで。

何の映画を観るか散々悩んだ挙句、ダニエル・トンプソン監督『LE CODE A CHANGE』を観る。



舞台はパリ。アラフォーを迎えたそれぞれのカップルや夫婦達がそれぞれにまだまだ恋愛(つまり浮気)やら妊娠やらに奔走する、全員が腹に一物抱え込んではいるのだけれど、それを小粋にまとめたブラック恋愛コメディ。
う~ん、フランス映画だ。複雑な大人(の恋愛)事情。人生を楽しむパリジャン。この「フランス映画だ」という感じが個人的には久しぶりで、今度こそ気軽に楽しめた。

SWEET NOVEMBER

2009-10-28 | movie
往きの機内で映画でも観ようと機内誌をチェック。観たい邦画があったのだけどこれはちゃんとDVDで観ようと思い、もっと気軽に観られる恋愛物でもと思ってパット・オコナー監督、キアヌ・リーヴスとシャーリーズ・セロン共演の『スウィート・ノベンバー』を。



ところがこれが気軽な恋愛映画などではなかった。前半こそ軽妙なタッチで(恋愛物にありがちの)無理はあるが観やすい展開が続くも、後半は重く切なく、ラストは暗い。
スウィートなのは本当に11月だけだったのだ。そして、毎月が11月であってほしという望みが叶うわけもない。
重く切なく暗い割には心に響くものよりも展開や構成に引っ掛かるものの方が多かったけれど、それは他人の恋愛を観ているわけだから少なからずあるわけで、だからこそ恋愛映画は明るくハッピーエンドの方が良いんだけどな。

大阪ハムレット

2009-10-26 | movie


光石富士朗監督『大阪ハムレット』を観た。出張やら引っ越しやらで映画観るの久しぶり。

大阪の下町に暮らす家族5人。冒頭でいきなり父親が死に、その後の家族の歩みを描く。3人兄弟はそれぞれに父の死を受け止めながら自分の道を歩み、奔放な母親はなぜか同居し始めた夫の弟に支えられながら家族の中心にドカリと座っている。
こう書くとベタベタの家族劇みたいだけど、この映画がそうなっていないのは独特の空気を持つ大阪弁と、個性溢れる大阪の街が舞台になっていることが大きい。
この世に生まれてきたこと、家族であること、自分の人生を生きること。そんな強いメッセージが大阪の街と大阪弁にほんわかと包まれ、押し付けがましくなくしんみりと心に沁みる。
良い映画。