ネット爆弾(帝国ネット研究所)

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【コピペ】従軍慰安婦問題とは・その1

2013-05-20 11:33:05 | 色々なコピペ
■1.従軍慰安婦問題とは

戦争当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開業させていた。
戦地であるから、業者の指名、移動、監督などは軍の関与が当然あった。
これらは当時、合法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。

従軍慰安婦問題とは、「本人の意思に反した強制連行を、日本軍が組織的に行ったかどうか朝鮮の女性を無理やり連れ去り、日本軍の性奴隷にしたのかどうか」という問題である。

朝日新聞が言うように強制連行が事実であったなら、これは日本の国家的犯罪となる。
もし朝日側の捏造であるのなら、日本と韓国の政治問題にまで発展させ、尚現在においてまでも日本人を苦しめている責任は重い。
さて、どちらが正しいのか?

■2.米軍がレポートする慰安婦の実態■

米軍情報部は、北ビルマの慰安所で収容された慰安婦からの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。

「女性たちは、経営主が600円前後の前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還している。女性たちの稼ぎは月に1500円前後、兵士の月給は20円前後。慰安婦たちは、二階建て個室付きの大規模家屋に宿泊して業を営んだ。・・・・彼女たちの暮らしぶりは、贅沢であった。慰安婦は接客を断る権利を認められ、負債の弁済を終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された」

また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手記ではその生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポートを裏付けている。

「支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと靴を買い母のためにもなにか買った。将校さんに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像をみに行った」

ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、当時貯めた2万6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。
千円もあれば故郷に家が一軒買えると体験記で述べているが、現在の貨幣価値なら、4~5千万円程度の金額を3年足らずで貯めたことになる。

「従軍慰安婦」というと、日本軍によって郷里から強制連行され、戦地では何の自由もなく無給でひたすら兵士にもてあそばれたというイメージが定着している。
しかし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されている。
一体、どちらが真実に近いのか?

■3.慰安婦問題の経緯■

1) 1983年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で昭和18年に、軍の命令で「挺身隊」として韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたという「体験」を発表。
朝日新聞は、これを1991年から翌年にかけ4回にわたり報道し、日本と韓国で大騒ぎとなる。
※後日、吉田清治は「この本は全て嘘でした」と認め、「文章に主観を混ぜるぐらい新聞でもやってる」と開き直る。
※この偽書を信じた日本の主婦が韓国に渡って宣伝した事が「慰安婦騒動」の始まり。

2) 同3年、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出た、と報道。

3) 同4年、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道。
この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。

4) 同5年、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘言、弾圧による本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。
この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを公式に認めてしまったことになる。
これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に「従軍慰安婦」が記述されることになった。
今日では各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけの事実に基づいていたのかが明らかになってきた。

以下、この4点を検証する。

■4.吉田清治の慰安婦狩り■

まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」では韓国斉州島での慰安婦強制連行を次のように描写している。

若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がおびえてそばの年取った女にしがみつくと山田は・・・・台をまわって行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはいっせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い背中や尻を打ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人であった。

■5.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■

吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だが、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善女性記者が、現地で調査し、以下のような記事を書いている。

島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対して強く疑問を投げかけている。
城山浦の住民のチョン・オクタン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と語った。

郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。
現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女性記者から「何が目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮したという。

この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に4回も紙面に登場させたのだが秦教授の調査の後は、ぷっつりと起用をやめた。
今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。