このエントリは、ネッタイムス・ブログのアーカイブ(11月15日のエントリ)なのでヨロシク!
昨日14日、野田佳彦首相が解散する旨を表明し、永田町の内外は右往左往のパニック状態となっている。
私は、それらの関連ニュースをチェックしていたら思わぬ記事を目にした。
元毎日新聞記者で政治評論家の三宅久之(82)が15日午前、自宅で倒れ病院に搬送された。が、都内の病院で死去したと言うニュースである。
三宅久之は1930年(昭和5年)1月10日生まれ、東京都杉並区出身で、1949年早稲田大学に入学し、同大学卒業後の1953年に毎日新聞社に入社。
政治部の記者として政界に深く関わり、永田町の裏表に精通、特別報道部長等をを歴任。
1976年に毎日新聞社を退社後、フリーの政治評論家となり、1978年10月~1985年3月迄、テレビ朝日のニュース番組のキャスターを務める。
その後、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」や、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」等、政治バラエティ番組にレギュラー出演していた。が、である。今年の3月末、健康上の理由により、講演活動やテレビ出演等、評論家活動の引退を表明。
しかし、例外として「たかじんのそこまで言って委員会」は、病気療養中の司会者やしきたかじんが復帰する迄の条件で出演していたのだが、体調不良により同番組も降板し、現在は、ブログ「三宅久之の小言幸兵衛」やフェイスブック等で発言をしていた。
三宅久之は、糖尿病を患っており、80歳過ぎから心肺機能が低下し、車椅子と携帯酸素の使用する事が多かったと言う。
ここまでウィキペディアを参考にしながら、ざっと三宅久之の経歴等を書いて来たが、三宅久之の笑顔を思い出し、何とも言えない気分になってしまった。
80歳を超えても、元気な姿を拝見していたが、ここに来て急に老けた印象が強い訳で、人の一生とは本当に判らないもんだな。と、改めて思う。
惜しむらくは、永田町の裏話を全て暴露してから旅立って欲しかったなと・・・。
もう二度と、三宅久之の政界に関する話が聞けないのは、非常に残念無念であります。合掌。では。
【ネッタイムス・東坊京門・作】
昨日14日、野田佳彦首相が解散する旨を表明し、永田町の内外は右往左往のパニック状態となっている。
私は、それらの関連ニュースをチェックしていたら思わぬ記事を目にした。
元毎日新聞記者で政治評論家の三宅久之(82)が15日午前、自宅で倒れ病院に搬送された。が、都内の病院で死去したと言うニュースである。
三宅久之は1930年(昭和5年)1月10日生まれ、東京都杉並区出身で、1949年早稲田大学に入学し、同大学卒業後の1953年に毎日新聞社に入社。
政治部の記者として政界に深く関わり、永田町の裏表に精通、特別報道部長等をを歴任。
1976年に毎日新聞社を退社後、フリーの政治評論家となり、1978年10月~1985年3月迄、テレビ朝日のニュース番組のキャスターを務める。
その後、テレビ朝日「ビートたけしのTVタックル」や、読売テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」等、政治バラエティ番組にレギュラー出演していた。が、である。今年の3月末、健康上の理由により、講演活動やテレビ出演等、評論家活動の引退を表明。
しかし、例外として「たかじんのそこまで言って委員会」は、病気療養中の司会者やしきたかじんが復帰する迄の条件で出演していたのだが、体調不良により同番組も降板し、現在は、ブログ「三宅久之の小言幸兵衛」やフェイスブック等で発言をしていた。
三宅久之は、糖尿病を患っており、80歳過ぎから心肺機能が低下し、車椅子と携帯酸素の使用する事が多かったと言う。
ここまでウィキペディアを参考にしながら、ざっと三宅久之の経歴等を書いて来たが、三宅久之の笑顔を思い出し、何とも言えない気分になってしまった。
80歳を超えても、元気な姿を拝見していたが、ここに来て急に老けた印象が強い訳で、人の一生とは本当に判らないもんだな。と、改めて思う。
惜しむらくは、永田町の裏話を全て暴露してから旅立って欲しかったなと・・・。
もう二度と、三宅久之の政界に関する話が聞けないのは、非常に残念無念であります。合掌。では。
【ネッタイムス・東坊京門・作】