正直な気持ちを伝えてみよう~true to the haert

家族のこと・・・そして世界平和のことも。
すべての人の幸せを願って・・・

平和への希求

2006-09-14 10:22:57 | 平和や人権のこと
過去のエントリーにも少し書きましたが、私には、政治的ポリシーも特別に支持する主義主張もありません・・・

その私がどうして政治や世界の戦争や紛争に関心を持つのか?

それはただただ罪無き人々が理不尽に殺されているのに我慢ができないから・・・

世界中の子ども達を含むすべての人たちが、戦争や紛争や占領や独裁によって命が脅かされない世界。
命の危険や拷問に怯えることなく自由に意見が言える世界。

そんな世界が実現することが私の願い。

でも現実はそれとは程遠いものだし近づくどころかますます遠ざかっていっているような気配さえ感じます。



追悼される死と追悼されない死

2006-09-12 11:53:18 | 平和や人権のこと
9.11から5年が過ぎました。

あのWTCビルの跡地をはじめとするそれぞれの現場では追悼式典が催されメディアによって世界中にその映像が届けられましたね。

一周年の時と同様に今回もWTC跡地ではすべての犠牲者の方々の名前が読み上げられたそうです。

あの日、澄み切った青空の下それぞれの日常をいつもの通り過ごしその日の終わりには愛する家族の元へ帰ることを疑いもしなかったなんの罪もない3000人もの人々が残酷な形で人生を断ち切られてしまったことは確かに大きな悲劇だしこれから先何年経とうともご遺族の気持ちが癒されることはないだろうし・・・忘れずに追悼し続けることはとても大切なことだと私も思うよ・・・・

でも、この悲劇だけがいつも大々的に取り上げられて追悼されることには大きな違和感を感じずにはいられません・・・

この、憎しみの刃がアメリカという大国の象徴に向けられた原因とも言われているアメリカによるこれまでの横暴な外交戦略やその後のアフガニスタンへの空爆やイラク戦争などで失われていったたくさんの命の追悼なしには・・・9.11の犠牲者の方々への本当の意味での追悼はないんじゃないかと私は思うのです。

アフガニスタンやイラクで無残な形で命を奪われてしまった人々だって、9.11で亡くなられた人々と同じようになんの罪もなかったし同じようにかけがえのない命だったはずなのに・・・・

一方では世界中の著名な方々の前でお一人お一人名前が読み上げられそれが映像として世界中に発信され追悼の意を送られるのに対して、もう一方では名前はおろか「数」としても数えてもらえない・・・・・

この救いようのないほどの「命の差」がとても悲しい・・・・


こんなことを考えて心を痛めて憂鬱な気分になっているこの瞬間にもパレスチナでもチェチェンでもアフガニスタンでもイラクでも・・・・「対テロ戦争」という一方的な名目でたくさんの罪無き人々が殺され心がずたずたになるまで痛めつけられているという現実。


私の憂鬱なんて取るに足らないちっぽけな不幸なんだと痛感します。


核兵器

2006-09-05 09:52:08 | 平和や人権のこと
数年前、「パキスタンが核実験に成功した」というニュースを目にしたとき、パキスタン人の夫はまるで自分が宿命のライバルとの勝負で勝利を手にしたかのようにテレビの前で喜びました。

私はとても複雑だった・・・。

そして夫に聞いてみた。

「核兵器がどれほど恐ろしくて残虐な兵器か知ってるの?」・・・と。

夫は答えられませんでした。

パキスタンが数十年間に亘ってインドとカシミール地方の領有権を巡り争って、しかも何度も戦争を繰り返していることを考えれば、インドに先を越されたときはさぞ悔しかったであろうし一刻も早く自分の国も核を持たなければ・・・と思う気持ちは理解できなくもない・・・・

相手が持てば自分たちも持たなければ・・・・いつ飛んでくるか恐ろしくていられないだろう・・・

でも!本当に恐ろしいのはそういった国の為政者や一般の人々が「核兵器」の恐ろしさをまったく理解していないということなのじゃないかと私は思うのです。

「核」が相手に与える脅威や抑止の力ばかりが強調されて、万が一それが使われたときの甚大な被害や莫大な損害、被害に遭った人々を何世代にも亘って苦しめ続けることの恐ろしさがほとんど無視されていることが本当に恐ろしいことなんだと・・・

世界中の人々がスミソニアン博物館ではなくて広島や長崎の平和記念館を訪れて核の本当の恐ろしさを知ってくれればいいな・・・と願います




本当の「テロとの戦い」

2006-09-04 20:17:02 | 平和や人権のこと
高遠菜穂子さんのブログにときどきお邪魔させていただいています。

2004年4月にイラクで拘束され日本中が大騒ぎしたとき彼女たちに向けられた強烈なバッシングはまだ記憶に新しいと思います。

私が当時参加していたネット上のコミュニケーションの場でもさまざまな意見のぶつかり合いがありました。

中には彼女をテロリスト呼ばわりする者までいて、挙句の果てには殺されて当然だとか個人的な容姿への中傷などここで書くのも憚られるような攻撃をする者までいて本当に酷いものでした。

でも彼女のイラクに寄せる想いは確かなものだったし、あれだけの行動力を持って実行していた・・・今でも実行し続けていることはとてもすばらしいと思うし私は応援したいと思っています。


本当に平和を希求しテロを無くしたいと願っているのは誰か?

彼女が書いた文章を読んでたくさんの人に考えてほしい・・・・

(高遠さんのブログより引用)
「私は私の『テロとの戦い』をやることにしよう。どんな状況に置かれても武器は持たず、全身全霊で相手と接し、できるだけたくさんの楽しい時間を分け合い、本音で語り、本当に必要な支援を届け、一緒に働き、苦難と憎しみの淵で『テロ』に走ろうとする人がいたら、その人の両手に武器ではなくてスコップを持たせよう。
これが私の『テロとの戦い』。

憎しみの連鎖は武器では断ち切れないんだもの。」
(引用終わり)