私は、大学は生物学で鳥の研究などをしていた。その後、インターンシップは公衆衛生の分野で、それから3年間でNPになれるコースにイェールで入学した。
1年目は、1年で正看護師になってしまおうというすごいメニューで、いやはやその勉強の激しいことといったら、なんと自殺未遂が一人出たくらいだった。
その時に習った看護診断は、本当に不思議な感じがした。
クラスメートたちと看護診断についてのディスカッショんをした時、人種などに話題が及んだ。(なにしろ、社会学をベンン今日した人も、プロのバレリーナの人も、コンサルタントもいる。同級生はいろいろ面白い過去を持っていた)
マイノリティーは、自分たちのアイデンティティーの確立と、unionを狙うため、自然と自分たちの言語を形成する。だからblack englishはあのように独自の文法と言葉を発展させたとである。看護診断も同じことで、「自分たちは医師の手伝いではない。看護は看護だ」と主張する際に、自分たちの診断システムと言語があった方が都合よかった。
とは、同級生の説。面白いなと思った。
医療が高度化していなかった昔は、確かに看護の幅は狭く、看護診断で間に合った。そしてもちろん、医療の中における医学と看護というのは、重なり合う部分もあるが、別個の部分も多かった。
現在では、看護は医学化し、また、(大変よろしいことに)医学の一部も、「看護化」というか、ケアの部分に重点が置かれ始めている。
だからこそ、看護診断だと間に合わなくなってきた、感もある。
自分はNPなので、もちろん医学診断を使っている。学生のころ、間違えて、看護診断をSOAP NOTEのAのところで使用したら、「それは、診断ではない。ICD-9に載ってないものは、診療報酬がつかない」と怒られた。
医学診断はお金がつくから強力なのか。That makes sense too.
看護診断は、10年後、使用されているのだろうか。
1年目は、1年で正看護師になってしまおうというすごいメニューで、いやはやその勉強の激しいことといったら、なんと自殺未遂が一人出たくらいだった。
その時に習った看護診断は、本当に不思議な感じがした。
クラスメートたちと看護診断についてのディスカッショんをした時、人種などに話題が及んだ。(なにしろ、社会学をベンン今日した人も、プロのバレリーナの人も、コンサルタントもいる。同級生はいろいろ面白い過去を持っていた)
マイノリティーは、自分たちのアイデンティティーの確立と、unionを狙うため、自然と自分たちの言語を形成する。だからblack englishはあのように独自の文法と言葉を発展させたとである。看護診断も同じことで、「自分たちは医師の手伝いではない。看護は看護だ」と主張する際に、自分たちの診断システムと言語があった方が都合よかった。
とは、同級生の説。面白いなと思った。
医療が高度化していなかった昔は、確かに看護の幅は狭く、看護診断で間に合った。そしてもちろん、医療の中における医学と看護というのは、重なり合う部分もあるが、別個の部分も多かった。
現在では、看護は医学化し、また、(大変よろしいことに)医学の一部も、「看護化」というか、ケアの部分に重点が置かれ始めている。
だからこそ、看護診断だと間に合わなくなってきた、感もある。
自分はNPなので、もちろん医学診断を使っている。学生のころ、間違えて、看護診断をSOAP NOTEのAのところで使用したら、「それは、診断ではない。ICD-9に載ってないものは、診療報酬がつかない」と怒られた。
医学診断はお金がつくから強力なのか。That makes sense too.
看護診断は、10年後、使用されているのだろうか。