とある病院を見学させていただいた後は、東京で、のんびりしています。
前回は家族とほとんど時間が過ごせなかったので、今回は数日、家族と会えるということで、そのほかに予定を入れないようにしたので、連絡来なかったよ!という方、本当にごめんなさい。おじいちゃんの本棚から本を拾い読みしたり、近くのスーパーに買い物にいったりもしました。
明日から一気に忙しくなります。
アメリカでも日本でもあまりテレビを見ないたちなのですが、日本のニュースやドラマをちょこっと見て、医療や介護が「売れる」テーマである(だからそれに関する番組が多く作られる」ことに気がつきました。
さて、下のようなコメントをいただきました。
****
認定看護師のほうが役割が見えやすい。。。確かに領域によってはそうかもしれません。しかしみえやすい役割はほんの一部であってみえにくい部分にこそ認定看護師の存在の意義があるのだと思います。例えば、薬剤の調整は極端なはなし、看護師でなくても、薬剤師でもできると思います。認定看護師の本当の存在意義は現場の看護師の力を引き出し、組織の力を高めていくところにあると思います。このことは専門看護師でも同じです。おそらくNPの仕事にはこういった要素が入っていないのだと思います。NPの仕事と認定看護師の仕事は似ているようですが、全く性質が異なっていると私は思います。NPの仕事は医師が肩代わりをすることができるように感じます。しかし認定看護師や専門看護師の仕事の多くは医師が肩代わりすることが出来ません。それは看護独自の機能を発揮しているからです。NPの方のお話を聞いていると、たしかに先進的ですが、NPが看護師である必要性が見えてきません。
****
以上のコメントを、
認定看護師さんのビデオのページから、ma-maさんにいただきました。(ありがとうございます!)
「認定看護師の本当の存在意義は現場の看護師の力を引き出し、組織の力を高めていくところにあると思います。」素晴らしいと思います!認定看護師についてはまだ勉強中ですが、専門看護師は、日本でもアメリカでもまさにそれが役目の大きなひとつです。大変重要な役割ですし、NPにはありません。NPはその代わり診療、診断が役割で、教育もそちらに重きが置かれています。
CNSとNP、果たす機能が違うだけでなく、勤務現場も違っています。簡略化して言えば、CNSは主に病院内(精神科CNSは外来もあり得る)、NPは主に外来(NPのごく一部である、急性期専門NPと新生児NPを除く)です。
NP歴史の本、ビデオを見る、インタビューをするとよく聞くのですが、「NPなんか看護じゃない、看護師の必要がない。ただの医師ヘルパーじゃないか」という言葉は、アメリカでも1960-1970年代でよく聞かれたそうです。医師会は彼らなりの理由でNPに反対し、看護協会も一部の人をのぞき反対していたそうです。
現に、1960年代前半、フォードがNP講座を既成事実で作ってしまった前、NPのような構想があり、アメリカ看護連盟につぶされたといいます。
システム全体を良くすることに関心が高い看護師さんは、管理職になるか、CNSの勉強をするでしょう。(それはそれで、素晴らしいことですね。)しかし、たまたまシステムのことよりは、直接の臨床の方に興味があり、実際知識や技術が豊富な看護師さんもいます。今は、どんなに優秀で、実際、皆に信頼され、研修医師に指導するぐらい知識が豊富でも、看護師、つまり「医師のヘルパー」としてしか、現場でしか参加できません。しかし、もっと勉強して、より患者さんのためになりたいと思っている方も多いでしょう。
そういう方が、夢を追いたいと思った場合、認定看護師に注目することもあるようです。ある程度自立して患者さんと関われるからです。「日本では無理だ」と判断し、アメリカのNP留学プログラムを夢みる方も、大変数多いようです。そのような方が、日本に残って日本での経験を活かせるチャンスは、将来できるのでしょうか?
また、NPが始まった1960年代のコロラド州では、医師があまりに不足していたため、看護師が予防接種の判断、健康相談など、ほとんど診断、診察行為に近いことを強いられていました。しかし、看護の勉強をしてはいるが診断の勉強はしていない看護師たちにそれを求めるのは、酷なことです。経験に基づいて判断しているとはいえ、彼女たちは、もっと知識を求めていたのです。NP制度は、このような看護師たちに正しい知識と訓練を与え、また、一定の基準をもうけ、このような行為を合法化しました。また、さらに重要なことに、これらの行為で診療報酬が受けられるようにしたのです。このため、NPとなった看護師たちの診療行為は「サービス」や「あったらラッキー」ではなく、正当な、プロフェッショナルな形で、医療の一端を担うことになったのです。
日本の老人施設などや、訪問看護でも、患者さんに必要とされるため、診察に近い重い責任を看護師は受け持っていることもあると聞いています。(実際、何を聞いても「医師に聞きますね」と答える看護師は、決して有能なナースではありませんよね。高度な看護的な、そして医学的な判断力は、患者を助け、命を救います。)
一部の優秀な看護師さんはそつなくこなしているでしょうが、もっと知識を得たいと願っている人の方が多いのではないのでしょうか。そして、万が一のことが起こったら、「診療行為は違法なのに、事実上診療していた」と、監督していた医師だけでなく、患者さんの必要に応じて提供していた、このかわいそうな看護師も責任を取らされるのでしょうか?
それよりは、一部の、システムじゃなく臨床の高度な知識、技術に興味のある看護師さんたちに、NPを学ぶ、NP資格を取るというオプションが開かれていた方がいいのではないでしょうか。
さらに、最後になりますが、医師たちは診察のエキスパートかもしれませんが、患者さんや家族の必要なことをすっと探知できる能力は、多くの看護師がより優れている、と思いませんか。医師よりも、患者さんに分かりやすい言い方で、説明できたり、治療以外に心のケアなどにも気を配れる看護師ですが、自分や自分の家族が病気だったら、その担当医にも治療以外にも気を配れる医師であってほしいと、願いませんか。
看護師で、学校に入り直して医師になった人も知っています。その看護師としての経験故、ユニークな能力を備えた医師となっています。NPも全く同じです。診察の知識以外に、看護師としての視点を診療できる立場になっても忘れないため、「すごくいい」診療師になることができるのです。
私は大学時代、かかりつけがNPでした。医学校に行く予定が、NP学校に行くように変更したのは、色々な理由がありましたが、その人がとっても素敵なかかりつけだったからというのも大きな理由です。
今でも、患者さんや友達で、「かかりつけはやっぱりNPがいい」という人も、少なからずいます。「話をちゃんと聞いてくれるから」というのが一番よく聞く理由です。もちろん、これはアメリカの話ですし、日本では違うかもしれません。
長くなりましたが、お返事、ほかの皆様のコメントお待ちしています。
緒方さやか