光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

東京国立博物館(2013.1.2、1.13、2.26) 西域の美術 その1 舎利容器

2013年02月28日 | アート アジアの古美術

2週間ほどブログをお休みしました。

理由はPC移行に、手間暇がかかったためで、メール、膨大な写真データ、音楽データなど、転送ツールを使ってもなかなかスムーズにいかず、トラブル対策に時間を取られました。  

一息ついたところで、一昨日は久しぶりにトーハクに行き、特別展「書聖王羲之 」を見てきました。  平日なのに人の多さにびっくり。

そして、東洋館で一部の展示替えがあったのを写真に収め、2時間ほどでトーハクを後にして、パナソニックミュージアムで開催されている「日本の民家 1955年」を

見てきました。  二川幸夫の建築写真の原点となったものです。  見応えがありましたが会場内は撮影禁止のため、紹介ができるかどうか微妙。

で今回は、東洋館で撮りだめしていたものと、一昨日撮ったものをあわせて西域の美術を紹介します。  最初は、タイトルキャプションにでている舎利容器です。 

 

 キャプションにある将来品という言葉は調べると、’持ってきたもの’という意味。  使わない言葉ですね。

説明はさておき、作品の彩色、デザインは素晴らしい。

右側の羽根をつけた天使の像、仏教と天使?

 

伎楽の図が多いのと、鳥が多く描かれている。  以前、西域では鳥は聖なるものとして扱われると聞いたことがある。

 

 詳しい説明を、トーハクのWebサイトから引用させていただきます。

木製布貼彩色  スバシ遺跡出土  高31.0 径38.0  6-7世紀
   
 轆轤(ろくろ)で成形した蓋と身に麻布を貼り,下地を整えて彩色した大型の舎利容器で,ストゥーパ(仏塔)内部から発掘されたものと考えられる。蓋には樹枝などをくわえる双鳥と,箜篌(くご)や五弦琵琶などを演奏する有翼裸形の奏楽天使を内部に描くメダイヨンが交互に配される。身の側面には人面・獣面をかぶって踊る舞人や堅笛・角笛などを演奏している楽人ら計21人からなる行列が左方向に進むように描かれている。蓋頂部の鉄製環と身側面を貫通する4つの穴を利用して蓋を固定していたと考えられる。隋唐時代の宮廷伎楽の一つであった亀茲楽のありさまを偲ばせる,西域美術を代表する名品である。 

 

 

 

 

 

 

 この舎利容器は、2011年1月18日~3月6日まで開催された特別展「仏教伝来の道  平山郁夫と文化財保護」で見て、感動した記憶があり、今回、再び見ることができ、非常に嬉しく思いました。

一昨日の2月26日に行ったときには、展示されていなかったので、次回の展示まで当分みることはできないのが残念ですが、東洋館の至宝として誇れるものだと思います。

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東京国立博物館(2013.1.2、1.13) 中国の青銅器

2013年02月13日 | アート 古代

トーハク東洋館リニューアルオープンの紹介続編です。  

今回のリニューアルで展示方法の素晴らしさに驚いたのが、3Fの中国の青銅器のコーナです。

作品も素晴らしいのですが、展示のガラスケースが素晴らしい。  ガラスがあることはわかるのですが、透き通って反射がない!

 

白い展示台の周りを囲むガラスは、ガラスのつなぎ目のところの線がわかる程度で、ガラスの存在を感じさせません。   

ドイツに特注したガラスのようで、こうした技術は日本ではまだなのが残念。

 

下の写真は1月13日に撮ったもので、右側にある揺銭樹のガラスケースを中心にしています。

 

位置関係はこんな感じです。

 

以前、表慶館で見た時の「揺銭樹」にくらべ、展示方法の違いでぐっと引き立って見えます。

 

この写真も1月13日に撮ったものですが、写真を見て気が付いたのですが、天井部にミラーがある!

作品を上からの視線で見る工夫でしょうが、会場内では気が付かなかった。 

 

展示ケースの横端から見ると、ガラス内面への反射が顕著に見えます。

 

さて、作品の中でも目玉となる、饕餮文瓿を紹介しておきましょう。 

これも表慶館で以前撮りましたが、背景のある以前の写真のほうが気に入っています。

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立川断層トレンチを見学

2013年02月11日 | 自然科学

 2月8,9日に立川断層トレンチの一般公開があるとの新聞情報で、9日に朝一番で行ってきました。

あとで調べると、7日の夜7時のNHKニュースでも詳しく取り上げられていました。  その関係でしょうか、見学者が多くて驚きました。 

午前10時開門で、広大な旧日産武蔵村山工場の跡地に入りました。  中央部の土盛りをした箇所がトレンチ現場です。

 

説明板 に ①立川断層の概要 ②本調査地について ③榎トレンチの特徴 が記載されていました。

 

今から57年前の1956年に米軍が撮った写真。  日産(当時は合併前のプリンス自動車)が村山に工場を建設着手するのが1961年、翌62年10月には完成している。

 

 

 土盛りの中央部に見学用の切通があり、そこまで歩きます。  土盛りの先に富士山が見えるのですが写真では分かりずらいですね。

 

 トレンチの現場に来ました。  まず、断層の東側の説明です。  本来、逆断層であれば生じているはずの撓曲が見当たらない!と

 

トレンチの写真。  向こう側N面(北面)の人のいるあたりが断層。   そこからこちらまでの立川礫層には確かに撓曲はない。

 

断層手前です。  白っぽい粘土質のものが気になる。

 

主断層帯の説明。     やはり、白い粘土質塊は不思議と書かれており、解明されていないようです。  時は前後しますが、会場出口近くで、地質学会の腕章を巻いた方と、その知己の方が会話していて「あの白いの何だい?」「あれは全くわかんないんだ。 不思議なんだ」と言っていました。

 

その粘土質の塊あたりまで、人工の攪乱層があります。  日産の工場建設で手を加えられたのか、それ以前の旧残堀川の河川改修で手を加えられたのか、も興味あるところ。  またトレンチ底面に置かれてある赤白ポールにも注目。 断層面が西側にずれているのです。

 

 

 立川ローム層の説明。

 

 

 

 トレンチの西端から   ローム層が北と南では高低差があるのも気にかかる。  南に向かって傾斜していくのはわかるのですが、その差が大き過ぎるように思う。

 

トレンチ北側からS面(南面)を見た説明。    旧残堀川の河床堆積物の違いからひょっとすると、断層活動の周期が読み取れるかもしれない。 

 

河床堆積物の層です。(ローム層の上)。   なお、その上にいるヘルメットをかぶった方は地質学会のかたで、エンジのコ-トを着た方に、英語で説明をしていました。


主断層帯に向かって進みます。 

 

 主断層帯が見えてきました。  見学者も増えています。

 

S面の主断層帯の説明です。

 

主断層帯の白い粘土質の塊が右に傾斜しています。  N面のほうも右傾斜でしたから、?  また、位置が西側に数mずれている。(トレンチ底面に赤白ポールが置いてあるのでわかります。)

このことを指して、斜交しているといっているのでしょうか。  この説明板で唯一、わかりずらかったところです。

 

主断層帯付近から、S面西側を見た写真。

 

 白い粘土質の塊のアップです。   立川断層ではここより北側にある旧狭山ケ池の底の地層の一部に粘土質の層があります。 旧狭山ケ池も川が断層によってせき止められた池と考えられていますので、関係があるのでしょうか、興味があるところです。

 

S面では主断層帯の東側にローム層が残っています。

 

 ここまでの総括。  逆断層だと思っていた構造がそうではなくて、横ずれが主、また走行も立川断層線とは斜交している・・・謎が深まったというか、事実は奇なりで、今後の解明が楽しみです。

 

 トレンチ北側の跡地を見たもの。 左側に走る溝のようなものは、断層線の目印でしょうか。人工的に作ったもののようです。

 

トレンチ東側の端から。  中央部に富士山がみえます。    立川断層は遠いですが富士山の外周方向に生じていることになります。  フィリピン海プレートと関係あるのかな?

 

見学客は続々と来ていました。 トレンチの紹介は以上です。

 

帰りに立川断層と玉川上水が交差した場所、上水の大曲りによってみました。  断層と出くわした場所で、上水は右(南側)に曲がっていきます。

 

北側の断層崖上の場所から南側を見たもの。  上水もローム層の下にいかないよう断層と並行して流れています。 

 

 やがて、崖も過ぎたあたりで、元の方向に戻るよう、徐々に左側に曲がっていきます。  ここは金毘羅橋の近くで、玉川上水水衛所があったところ。

 

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国立科学博物館 上野本館の建物

2013年02月06日 | アート 建築・庭園

昨年12月6日にチョコレート展などを見た折に撮った、日本館のドーム天井や階段付近です。

この建物の由来などを国立科学博物館の公式サイトから以下に引用します。

「日本館(旧本館)は、昭和5(1930)年に文部省の設計により、ネオ・ルネサンス様式を基調として建設された重厚な建物で、平成20年には国の重要文化財として指定されました。

・建物を上空から見ると、当時最先端の科学技術の象徴であった飛行機の形をしています。
・平成16年から耐震補強、展示改修を行い、平成19年4月にリニューアルオープンしました。
・展示のテーマは「日本列島の自然と私たち」で、日本列島の自然と生い立ち、そこに暮らす生き物たちの進化、日本人の形成過程、そして私たちと自然のかかわりの歴史が展示されています。」
 
ステンドグラスと吊りランプが雰囲気を醸し出します。

 

3階の廊下からみた天井

 

あちこちにステンドガラスがあります。  右側のパイプ柱は耐震補強の産物でしょうか。

 

階段と展示室

 

階段の踊り場のステンドグラス。

 

階段の手すり越しに見た博物館のシロナガスクジラの像の一部。

 

1階のラウンジから見た天井。   東京駅のドーム天井に比べると、クールで、均整のとれたデザイン。 展示もいいけど建物も面白い博物館です。

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ワンコの散歩ファッション

2013年02月04日 | 

ワンコファンの方から苦情がきそうなのでワンコを挟みます。

土日の午前中は犬の散歩が多く、その時に撮った写真をいくつか。   すべて携帯電話のカメラで撮影。

2012年11月17日の写真。  赤と黒が目立ちます。  女房が外にでていたのでリードを持ってもらってパシャ。

 

こちらは2012年12月28日、武蔵野美大などの近くで全国スモンの会の施設などがある小平市小川町、写真の柵の向こうは玉川上水です。
ワンコはウサギ服を着ています。  ただし、ピンクの耳は恥ずかしいので外しています。

 

 

こちらは2013年1月19日。   陽影に残ったシャーベット状の雪の上で

 

 

 

昨日(2月2日)に撮った写真。 けやき台小学校横の崖上で。

 

ハイキーになってしまった娘犬レナの写真

 

こちらはキラ。 散歩は嫌いなので表情に精気がありません。 

服はお揃いですが微妙にデザインが違っている。  ワンコの衣装、一体どれだけあるのやら。

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チョコレート展  チョコレートができるまで

2013年02月03日 | 自然科学

チョコレート展の最後は、カカオ豆の採取から製品になるまでのプロセスの紹介です。

 

カカオの実。  収穫は楽そうです。

 

カカオ豆を発酵させてつくっている!  チョコレートも発酵食品とは知らなかった。  世の中のおいしいものは、発酵させているものが多いですね。

 

 ここからは、カカオの実になったつもりでチョコレートになるまでの行程が、体験しながら見れます。
右側の入口はローラですりつぶす行程、人もローラーをくぐって入ります。  もちろん柔らかいクッション材でできていますので、人がすりつぶされることはありません。

 

焙炒の行程。  人も熱風(温風)のカーテンエリアを通り抜けます。 

 以下、いろんな行程があるのですが割愛して、チョコレートの表装に自分の姿がはいるコーナ。
左側の若い女性達はいろんな表情をつくって楽しんでいました。  ・・・出口では、この自分の写真がはいった表装のチョコレートが売られていました。(有料) 

 

口溶けの秘密。・・・へーそうなんだ。

 

カカオが人の健康にも良い理由。 

 

 ここらあたりの展示はアメリカの展示をそのまま持ってきたのでしょうね。

 

 

 

 

 

 チョコレートでできた古代の恐竜トリケラトプス。  制作は藤本美弥氏でパティシエさんのようです。  かえったばかりの卵に赤ちゃんが見えます。

 

 こちらはシーラカンス。  制作:横田秀夫氏、やはりパティシエさんのようです。

 

 会場風景。   出口のショップでは各種のチョコレートがおいてあり、私もお土産を買ってしまった。

  

 

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チョコレート展  チョコレートの工業化

2013年02月01日 | 自然科学

 今日は、チョコレート展でのお堅い話ですが、工業化を紹介します。

 おいしいチョコレートが食べられるようになった歴史です。

 

 

ココアはたまに飲みます。  バンホーテンはココアの代名詞ですが、発明者の名前だったのですね。

 

 

ネスレ社は、この方達が礎を築いた。

 

発明や発見には偶然の産物が多い。  

 

日本のチョコレートの歴史は長崎から

 

 

このコーナでは、森永(日本で一番最初にチョコレートをつくったメーカ)や明治、不二家、ロッテなどのチョコレートメーカの資料や製品が展示していましたが撮影禁止でした。

 

 

ベルギーやオランダのチョコレートがおいしくて多いのもよくわかります。

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