光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

映画「658km、陽子の旅」を観て

2023年09月01日 | 音楽・映画

8月30日(水)午前、久し振りに映画鑑賞 「658km、陽子の旅」  テアトル新宿で

午後は写真展 新田 樹「Sakhalin(サハリン)」、太宰治展示室「三鷹の此の小さい家」 いずれも三鷹市美術ギャラリー

午後の鑑賞も良かったので、別途、記事予定です。

 

さて、夕刊の映画評(7月28日)がトリガーとなり、3年振りに映画鑑賞。

ストーリーを映画公式サイトから
ストーリー
東京から青森へ 明日正午が出棺。
父親の葬儀にも、人生にも何もかも間に合っていない―
42歳 独身 青森県弘前市出身。人生を諦めなんとなく過ごしてきた就職氷河期世代のフリーター陽子(菊地凛子)は、
かつて夢への挑戦を反対され20年以上断絶していた父が突然亡くなった知らせを受ける。従兄の茂(竹原ピストル)と
その家族に連れられ、渋々ながら車で弘前へ向かうが、途中のサービスエリアでトラブルを起こした子どもに気を取ら
れた茂一家に置き去りにされてしまう。陽子は弘前に向かうことを逡巡しながらも、所持金がない故にヒッチハイクを
することに。しかし、出棺は明日正午。北上する一夜の旅で出会う人々―毒舌のシングルマザー(黒沢あすか)、人懐
こい女の子(見上愛)、怪しいライター(浜野謙太)、心暖かい夫婦(吉澤健、風吹ジュン)、そして立ちはだかるよ
うに現れる若き日の父の幻(オダギリジョー)により、陽子の止まっていた心は大きく揺れ動いてゆく。冷たい初冬の
東北の風が吹きすさぶ中、はたして陽子は出棺までに実家にたどり着くのか…。

 

菊地凛子の演技に感動!! 演技と分かっていても、その迫真力が凄すぎて、生命ほとばしる

アートを感じました。

恥ずかしいのですが、菊地凛子は初めて知った女優でした。

 

いくつかのシーンから

陽子が、PCの動画を見ながら寝落ちした朝、従兄の茂が、ドアをノックし、陽子がヨロヨロと玄関ドアを開けたシーン。

スマホを前日に落として故障中だったので、突然の来訪となったのだ。

引きこもり生活で、コミュにケーション障害の感がある陽子、ほとんど会話がなく、茫とした後ろ姿の演技。

 

 

 

以下も公式サイトから

夢やぶれて20数年。引きこもり孤立をしていた42歳の陽子は、長年断絶していた
父親の葬儀のために、郷里の青森県弘前市に渋々帰ろうとする。しかし、あろう
ことかヒッチハイクをする羽目に…。孤独に凝り固まる陽子を演じる菊地凛子は、
『バベル』(06)で米アカデミー賞®助演女優賞にノミネートされ、その後も
『パシフィック・リム』シリーズ等ハリウッドをはじめ海外作品に数多く出演す
る日本を代表する国際派女優。本作で初めて日本映画の単独主演を飾り、引きこ
もり生活から外に出て、久しぶりに他人と関わることで長年の自分への後悔を露
わにしてゆく繊細な難役を見事に表現。竹原ピストル、オダギリジョーをはじめ
とする豪華キャストに支えられ、切ないまでの生きる痛みと躊躇い、そして絞り
出す勇気を熊切監督と共に渾身の力で表現している。就職氷河期世代の中年期、
その定まらない人生というだけではない、他人との密な関係を作らず生きること
が当たり前の今、孤独と孤立に凍った心が溶けていく様に、誰もが自らや知人を
思い起こして心を揺さぶられるロードムービーが誕生した。

 

農家の心暖かい夫婦にお礼するシーン

農家の夫婦の奥さん役は、風吹ジュン(昔、黒髪をなびかせたマスコットガールだった

イメージがある・・・)農家のおばさんを好演。

 

 

唯一、合点がいかないのは、陽子の父親役として、幻影として登場するオダギリジョー

     ↓

 

調べていくと、映画Comのインタビュー記事のなかで、いきさつが語られていました。

"菊地凛子「私の原点。好きなのはこういう現場」 熊切和嘉監督&オダギリジョーとの“旅”を語る【「658km、陽子の旅」インタビュー】”から

「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM 2019」脚本部門で審査員特別賞を受賞した室井孝介の脚本を原案に、
熊切監督と妻・熊切智子の共同ペンネームである浪子想が改稿して作り上げたロードムービー。さらに
本作では、原案にはなかったという陽子の父親役として、奇想天外な形でオダギリジョーも登場する。

――オダギリさんのお父さん役はいかがでしたか?

熊切監督:素晴らしかったです。菊地さんもそうですが、本を直しているときから、僕と妻はオダギリ
さんをイメージしていたので。現実感のないというお話がありましたが、僕のなかで、オダギリさんっ
てちょっと儚い印象があったんです。しかも菊地さんのお父さんなので、美しい人であってほしいとい
う。僕のなかでは「弘前のジェームズ・ディーン」と呼ばれていたような人のイメージ。陽子にとって
は自慢のお父さん。非常にうまく体現してくださいました。

オダギリ:弘前のジェームズ・ディーンというのは初めて聞きました(笑)。光栄ですね。

菊地:オダギリさんが来た日に「そういうことか」とすべて理解できました。陽子はお父さんが好きだ
った。だからこそ、お父さんからしたら何気ない一言でも、陽子にとってはすごく悲しかったり、悔し
かったり……。すごく腑に落ちました。

うーん、監督の意図は分かりましたが、「弘前のジェームズ・ディーン」・・・・なすて、じぇーむす・でぃーん?


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