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光と影のつづれ織り

写真で綴る雑記帳

六義園 #1

2012年06月25日 | アート 建築・庭園

6月22日の午後、雨上がりの六義園に行ってきました。
さすがに、名園でした。  まずは概要から。   やはり、岩崎弥太郎の名前が出てきます。  明治のはじめ、三菱財閥の創始者は大名邸を買い漁っていますね。

 

正門は工事中で臨時の染井門から入りました。  駒込駅からは2,3分で、こちらのほうが便利です。

 

庭園図の右下のつつじ茶屋に向かって進むと、清冽な緑とその緑を写す池で、眼が洗われるような感じです。


この美しい緑は、昨年行った、白金の国立自然教育園以来です。

 

 

 

 

山陰橋のたもとに来ました。

 

橋からはつつじ亭が見えます。

 

手すりのない木橋ですが、雰囲気に合います。

 

橋の下の池では、亀や鯉が楽しんでいるように見えます。

 

つつじ亭は後まわしにして、吹上茶屋に向かいます。

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東京国立博物館(2012.5.19) 黒門、本館周辺

2012年05月21日 | アート 建築・庭園

今まで何回かトーハクに訪れましたが、黒門の扉が開いていたのは初めてでした。

 

 

 

 

 

 

 

門を見たあと、昼食で本館横のホテルオークラのレストラン「ゆりの木」へ  法隆寺宝物館にもホテルオークラのレストランがありますが、どちらも味はいい。

 

本館前のゆりの木には花が咲いていました。  写真ではわかりづらくてすみません。

 

本館エントランスから玄関前の光景。

 

本館周辺の写真は、イラスト感覚にフィルタ処理しました。

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アール・デコの館 庭園と昔の航空写真  東京都庭園美術館

2011年11月06日 | アート 建築・庭園

昭和16年頃の朝香宮邸の航空写真です。
江戸時代は松平讃岐守の下屋敷だったところで、現在、敷地の大部分は国立自然教育園になっていて、朝香宮邸は2割に満たないぐらいの広さです。  この敷地を左下方から上方にかけて小川の流路があります。 敷地外にも続いているように見えます。 5月に記事を書いた自然教育園の水鳥の沼からの流路がそれです。  たぶん、左下方のところに湧水箇所があり、それが小川になったものだと思います。



テニスコートもあり、テニスを楽しんでいるビデオが館内のビデオ映写コーナで放映されていました。



庭には当時、孔雀舎もあり、妃殿下の部屋の壁に付けたTVで孔雀が羽をひろげている映像が放映されていました。  真っ白な孔雀でした。



昔の盆栽・蔬菜・花卉園あたりが西洋庭園になっています。



西洋庭園は好きではないのですが、芝生に無人の椅子が並んでいる光景は面白い。



隣接して日本庭園があります。 規模は小さいけど凝った造りです。




茶室横の松の大木は根元で喰い込まれています。  江戸時代の樹だろうか。



本館近くの芝生広場横で咲いていた花。 石も溶岩かな。


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アール・デコの館 建物外観  東京都庭園美術館

2011年11月05日 | アート 建築・庭園

アール・デコの館に戻ります。
建物そのものの写真です。
正面入口から。  前回の「皇帝の愛したガラス展」のときに書きましたが、病院の建物のようだと。
しかし、当時の洋風建築の装飾性過多の造りにくらべると、モダンでシンプルな美しさがあります。  今の感覚で判断することが間違いだったと思います。


正面右側から。



庭の豹の彫刻から。  左側の白い建物は戦後に造られた新館で、朝香宮邸ではありません。


庭園には彫刻が結構あります。



庭が美しいので、建物裏側は、大きなガラスなどで開放的です。



庭への出入り口もしゃれています。




当時、庭園には茶室や、孔雀舎、テニスコートなどがあり、子供達がここから出入りしていたことでしょう。


この建物のデザインのコンセプトは、その後の日本におけるお金持ちの洋風邸宅に受け継がれていったことでしょう。  小さい頃の思い出ですが、筑豊の炭鉱王の一人の邸宅が、汽車の窓から小さく見えました。
   こんな外観だったという記憶があります。



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アール・デコの館 中庭と2階広間と階段  東京都庭園美術館

2011年10月31日 | アート 建築・庭園

中庭です。  水槽の先に鳥の像がありますが、当時は鳥の口から吐水していたのではないかと思います。



2階から見た中庭



第一階段の手すり下の壁面ガラスと金具。 さまざまなところにデザインが施されています。



階段の踊り場を2階から。



踊り場から2階広間の天井照明などを見たもの。 スクリーンでは当時の映像が映写されていました。



2階広間。 今見ると、窓ガラスの格子もデザインされているのが分かります。


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アール・デコの館 2階姫宮の間から3階  東京都庭園美術館

2011年10月29日 | アート 建築・庭園

朝香宮夫妻には4人のお子様がおられた。  配られた小冊子に、ご家族の写真があります。



この部屋は姫宮の寝室と居間で、当時のつくりが残っているのですが、立ち入り禁止で、入口からの撮影です。



2階の殿下の部屋からベランダと庭を見たもの


ベランダからは広い庭が一望できます。



二階の通路横の碧龕(へきがん、ニッチ)につるされていた照明。 優美なデザインです。



照明の下に置かれた鏡に映ったライト。 面白いデザインですね。 


中3階の倉庫。  装飾はないのですがレトロな雰囲気がいい。



中3階の階段踊り場から2階を見たもの。 



3階のウィンターガーデン。  1階2階のクラシックなデザインに対し、モダンのテイストが溢れています。
こちらは、宮内省内匠寮(たくみりょう)の技師たちのデザインです。



スチールパイプ椅子は当時、上野松坂屋で開かれた「新興独逸建築工芸展覧会」を見た殿下が購入されたもの。 白黒の市松模様と赤の椅子がマッチしています。


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アール・デコの館 殿下の部屋  東京都庭園美術館

2011年10月27日 | アート 建築・庭園

鳩彦殿下の寝室です。 ランプシェードのデザインがいい。



当時の寝室の壁紙。 渋くてシック。



浴室です。



ベランダ


殿下の居間。






 書斎です。  入れませんでしたので、入口から。



当時の写真



 書斎の隣の書庫


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アール・デコの館 妃殿下の部屋 若宮の部屋  東京都庭園美術館

2011年10月26日 | アート 建築・庭園

2階は朝香宮のプライベートルーム。  特に允子妃の部屋の装飾が優れていました。



こちらは妃殿下の居間です。




若宮の寝室から



若宮の居間の照明



若宮の居間にあった允子妃の像 フランスでの絵の先生であるブランショの作品です。



2階の間取りです。


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アール・デコの館 朝香宮家 2階へ  東京都庭園美術館

2011年10月25日 | アート 建築・庭園

朝香宮夫妻の写真が2階に飾られていました。



さて、館の2階へご案内します。
このフロアでは「北の間」にルネ・ラリックのガラス作品が展示されていました。  素晴らしいものばかりです。









 

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アール・デコの館 朝香宮邸のアール・デコ 大食堂  東京都庭園美術館

2011年10月23日 | アート 建築・庭園

宮邸のアール・デコの説明です。



宮邸も戦後は用途がたびたび変わった。 吉田首相の公邸の時代も。



フランス人デザイナーのアンリ・ラパンの装飾の精華が見られます。




竣工当初の大食堂。




 




優美なデザインのテーブル。   窓の下にラジエータ(暖房用)のグリルがあり、魚の装飾が施されています。



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アール・デコの館 朝香宮とアール・デコその2  東京都庭園美術館

2011年10月20日 | アート 建築・庭園

1925年(大正14)7月9日、傷も癒えた夫妻は、アール・デコ博覧会(現代装飾美術・産業美術国際博覧会)を公式見学しています。 このときのニュース映画に允子妃のにこやかな顔は同妃が博覧会に魅了されていたことをしめしています。  下の写真がその時のものです。



ヨーロッパ各地へ視察旅行に行った際の写真。 当時、車に乗る際は飛行機乗りのような帽子やゴーグル、皮ジャンがアイテムだった。



館に戻ります。
大客室です。 この部屋と隣の大食堂がアンリ・ルパンの装飾の精華といえます。




竣工当初の大客室




 





 

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アール・デコの館 朝香宮とアール・デコ  東京都庭園美術館

2011年10月19日 | アート 建築・庭園

都庭園美術館は元は朝香宮家の邸宅。
この館がアール・デコの装飾となったいきさつが、資料や館内のビデオで説明されていました。
その資料が下の写真で10ページの小冊子です。  車の横のお二人が朝香宮夫妻で1924年(大正13年)頃、車で欧州各地の旅行の際の写真。



1922年朝香宮鳩彦王(やすひこおう)は軍事御研究の名目で渡欧。
1923年4月1日朝香宮は先に渡欧していた北白川宮夫妻に誘われ、ノルマンディ地方のドライブに出かけた。  昼食後、お付きの運転手から北白川宮成久王に運転が代わり、アカシアの並木道で車を追い抜こうとした際に、スピードの出し過ぎで車は大きく横に滑って道路を飛び出し、成久王が運転する車は路傍にあったアカシアの大木に激突してしまった。 時速100kmを超える猛スピードを出していたようです。
この事故で、成久王と運転手は即死、鳩彦王と北白川房子妃は重傷を負われた。




夫の看病のため、鳩彦王の妃、允子(のぶこ)妃が4人の子を残して急遽、渡欧された。 



 その後、夫妻は2年ほどパリに滞在し、1925年(大正14)に開催されたアール・デコ博覧会を見学、これが館の建築に大きな影響を与えた。  悲惨な事故が、アール・デコの館の繋がるという運命の皮肉だった。
夫妻は帰国後、宮邸の建築に宮内省内匠(たくみ)寮とともにフランスのアール・デコ芸術家の大家だったルネ・ラリックやアンリ・ラパンを起用し、アール・デコの館を完成させた。




当時の写真を見ると、允子妃はかなりお洒落だったと思います。  実際、帰国後の館の建設で鳩彦王よりも、妃が内装等の決定の主導権をとっていたようです。


さて、実際の邸の写真に戻ります。 
小客室です。



 





三羽のペンギンですが、帰国にあたって荷物の整理をしていた女官が間違ってペリカンとしたもので、当時、どんな動物か見たこともない女官たちにとって、無理からぬことだったようです。

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アール・デコの館 その2 東京都庭園美術館

2011年10月17日 | アート 建築・庭園

今日は館のシンボルマークにもなっている噴水塔(香水塔)のある次室を紹介。
大広間から見た次室。 左に玄関にあったルネ・ラリックのガラスレリーフがあります。



ガラスレリーフの裏から撮ったもの。


カーテンからの柔らかい光と、天井の間接照明がいい雰囲気をつくっている。



左側の部屋は大客室。  右側が大広間。



大広間のレリーフが見えています。



香水塔越しに大客室のシャンデリアを



香水塔の右側に小客室が見えます。



次室の床の模様




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アール・デコの館 その1 東京都庭園美術館

2011年10月16日 | アート 建築・庭園

「アール・デコの館」東京都庭園美術館の建物公開に行ってきました。(10月15日)
非常に良かったというのが率直な感想です。
夏に「皇帝が愛したガラス展」にブロガー招待で行かせていただき、ある程度、建物と内装も撮っていたので、新たな収穫は期待薄かなと思っていたのですが、いい方向に裏切られました。  邸宅の主であった朝香宮夫妻と建物のドラマがなんといっても面白い。  アール・デコの芸術が日本に残されたいきさつが、写真や資料でわかり、包み込む美しいインテリアとあいまって、時空の旅にいざなってくれました。 
 




まず、1階の正面玄関から.  ルネ・ラリックのガラスレリーフが迎えてくれる。





床のモザイク模様が雰囲気を醸し出します。



緑の内装色が多くみられました。  柱や床の木材と良く調和します。



大広間です。 ピアノがありますが、毎週金曜日、PM2時と4時の2回、サティのピアノ曲の生演奏があるようです。
19世紀パリの雰囲気に浸れるのではないでしょうか。




大広間中央に2階への階段とその右手の石膏レリーフ。 レリーフは朝香宮允子(のぶこ)妃殿下の水彩画の先生で彫刻家のブランショの作。(芸術性は?)



竣工当時の大広間.   床張と絨毯にもデザインがあったことがわかります。



 


一階の平面図です。




 

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東京都庭園美術館 日本庭園

2011年08月06日 | アート 建築・庭園

また、PCがフリーズを頻発し、ディスプレイドライバを入れ直したりと、騙し騙しPCを使っています。


さて、東京都庭園美術館の日本庭園を紹介しておきます。  
旧浅香宮邸の庭園として造られたものですが、江戸時代は隣の自然教育園の敷地を含めて、高松藩主の松平家の下屋敷だった。
自然教育園のほうに当時の日本庭園が残っており、庭園美術館側の敷地内も、庭園の一部を形成したと思われますが、今となっては確かめようがない。 私が歩いて見た感じでは、自然教育園の水鳥の池のすぐ隣になることから、水鳥の池に注ぐ水路があったと思われます。  今は、その水源から反対方向に水路があり、庭園美術館側の池に流れ込んでいます。


茶室「光華」と左側を流れる水路。


プレスプレビューのため休館日だったこともあり、庭の手入れをする方一人がいたのみで、静かに観賞できました。



茶室裏手に、石のテーブルらしきもの。 石にはアール・デコ調の模様があることから、西洋庭園の一部として造られたように思います。


茶室の窓ガラスに映る庭園と、茶室内に見えるテーブルと椅子。・・・立礼でしょう。


テーブル席と椅子、広いガラス窓・・・・伝統的な茶室のイメージはありませんが、これはこれで、いいと思います。 私の影が邪魔ですね。


日本庭園の門近くの手水鉢。  


最後に、西洋庭園側から見た日本庭園。 左上の林の中です。


 

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