神学とは何か(人はどうして神を知りえるか)

2009-02-03 | 牧師の窓
          神学とは何か(人はどうして神を知りえるか)                         

1.神学とは何か(広い意味で)。   

神学の学は学問の学です。つまり神学とは、神を知る学問であると言えます。神学とは、学問的な方向で真理が何であるか、そのもの自体を客観的に見ようとしているものです。  
カルブァン(宗教改革者1509-1564)は「神を知る知識とわれわれ自身を知る知識とは結びあったことがらである。」と言い、また「人間は神の御顔をまず凝視し、その次にこれを直視することから、自己自身を検討することへと、へりくだって来るのでなければ、くもりのない自己理解に達することが決してない」と言っています。  

つまり、人間を理解したければ(自分人身を知りたければ)まず、神を知ることだと言うのです。 カルブァンのこの言葉は神学とは何かをよくあらわしています。神学とは、神のわざの全体を神の視点からとらえていくことです。また、この世界のすべてのもの、すべての事柄を、神とのかかわりで、とらえていくことです。  

例えば、人の生きる意味はどこにあるのか。人は死んだらどうなるのか。火葬された骨にはどんな意味があるのか。とか様々のことを人間の思いや考えでは、それぞれ、十人十色の見解があり、真理がどれかわかりません。そこで、これらのことを、神はどうお考えになっているのかを、神の視点か考え学問するのです。

また、人間の救いについて、人間自身の必要から考えることも出来ますが、人によっては必要ないと思っている人もいるでしょう、しかし、神の視点から、人の救いの必要性を見ていくとき、すべての人に共通の理解が示されます。これが神学するということです。                      

2.神学とは何か(狭い意味で)。  

神学 theologyセオロジーという言葉は、ギリシャ語のセオスとロゴスに由来し、セオスは「神」の意、ロゴス は「言葉、話し、教え、説教」を意味しています。神学とは、神に関する学問ですが、同時に神についての知識でもあります。つまり、神に教えられた、神についての知識が神学でもあります。 そこで神学とは、狭い意味では、神についての教理で言えます。  

教理とは、聖書に記されている神の啓示の諸真理についての教えです。また、教義(ドグマ「指令・勅令・命令・規定・おきて」の意)とは、ギリシャ語のドケオーに由来します。ドケオーの意味は「期待する・と思う・と見なされる・決定する」です。教義とは、教会が教理を熟考し聖霊の導きの中で、最終的に公的な教会(会議)によって定義された、神の権威に基づいていると宣言された、教理のことです(個人的見解ではないということです)。

それは教会の信条(信仰告白)という形をとるようになりました。簡単に言えば、教義とは、教会が公認した教理のことです。ちなみに、アメリカではこの公認された教理の学的研究を「組織神学] SystematicシステマティックTheologyセオロジー ということばで言いますが、ドイツ、オランダでは「教義学(教理学)」DogumaticドグマティックTheologyセオロジー と言っています。

3.なぜ人は神学できるのか。   

では次に、人はなぜ神について考えたり学んだり、神が考えていることを学ぶことが出来るのでしょうか。
   
(1)神の啓示による  

それは、神が神御自身を人に啓示して下さったからです(神の啓示には、一般啓示と特別啓示がありますが、これは別講「神の啓示について」を参照してください)。
その神の啓示の中心は「聖書」です。神はそのわざのすべてを、聖書を通して明らかに しておられるので、私たちは聖書を通してのみ神について、論じることが出来ます。  

したがって神学とは、聖書のみことばを通して、神と神がそのことをどう考えているかを学ぶことです。またそれは、聖書から神の語りかけを聞くことでもあるのです。私たちは、聖書を通して、神が人に知らせていることを、学ぶことが出来るのです。  

また、人間の側でも神の啓示を知ろうと努力することは必要なことです。すなわち、私たちが神について知ろうとして、聖書から神の語りかけを聞くこと、 また、自分の問題を神の判断を聞くために、聖書から解決の道をさぐること、これはみな神学なのです。ですからすべてのクリスチャンは、神学をしているのです。   

神学は神についての思弁的(感想的)、観念的な議論ではなく、神が啓示されていることから、神を知ることが出来るのであって、それでも隠されていることは、神のものなのです。人間が知ることが出来ないもののあるのです。 
「隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。」(申命記29:29)
                                     
(2)人間に与えられた能力(一般恩寵による)   

人が神学できる理由は、神の啓示とともにもう一つ、人間のもつ能力を上げることができます。しかし、この人間のもつ能力は、神の恩寵(恵み)によって、与えれたものです。  すなわち、神が人間を創造したので、私たちは今、存在しています。しかも、「人間は神のかたちに創造され」(創世記1:26.27)ているが故に、啓示された神のことばを理解することが出来るのです。  

また神は、人間は罪の堕落によって、知・情・意・すべてが堕落をしているにもかかわ  らず、ある程度神のかたちを保持し、神の啓示を理解できるようにしておられます。 また、正しいことや善を望ませ、創造的な働きをする能力が、人には与えれています。これを神の「一般恩寵」と言います。これは神学の出発点でもあります。

4.神学の必要性  

ヘンリー・シーセンは「真の信仰は知性、感情、意志を含むものであって、性格や行為の上に影響をおよぼすこと。また、人は自分の信じていることに従って行動する。」 と言っています。神学することは、その学んだことによって、自分の生き方を、神のみこころにそったものに変える動機となります。また、シーセンはこう言っています。「今日、礼拝で教理的な説教は嫌われる傾向にある。しかし、人が神のことばを徹底的に教え込まれるとき、初めて確固としたキリスト者になり、役立つ働き人になる。」

5.神学諸科の分類  

次に神学の諸科の分類をあげると、プロテスタント福音派の分類はおおよそ以下のとおりです。
(1)聖書神学  
聖書は神の啓示の書でるので、聖書は神学に必要かつ重要な中心です。     聖書はキリスト信仰のかかわるすべての出発点です。したがって、旧新約聖書そのものの研究(聖書神学)は、神学研究の最初の位置を占め、神学のベースになる部分で、非常に重要です。聖書神学は、聖書の本文および本文の復原、位置づけ、解釈に役立つ本文と関連した、諸学科の学びに直接たずさわります。この部門には以下の学びがあげられます。聖書言語(ヘブル語・ギリシャ語)・聖書考古学・聖書緒論・聖書釈義・聖書解釈学・本文研究・聖書史・聖書神学。 

(2)歴史神学          
キリスト教の根本的中心的な事柄は(例・キリストの十字架)啓示の出来事として歴史的な事実であるから、それは歴史的研究を必要とします。また、私たちの信仰生活そのものも歴史の中でなされています。そして、神学はキリストの教会の歴史の中でなされて来たゆえに、その歴史から学ぶことは、神学することになります。教会の歴史を軽視することは、その信仰が、根のない信仰となりやすいでしょう。
この部門には以下の学びがあげられます。聖書歴史・教会史・宣教史・教理史・神学史・信条史・教父学・礼典史・教会音楽史・キリスト教美術史・教会会議史。 

(3)組織神学          
聖書神学から基本的材料を受け取り、歴史神学の収穫と洞察を受け止めつつ、キリスト教信仰の真理内容(教理)を系統的、組織的に提示する学びです(P.2の2を参照)。この組織神学では、福音の真理を断片的、部分的でなく、全体像を明らかにしようとします。また、個々の教理を他の諸教理との相互関連性のなかで提示しようとしています。また、キリスト教真理の有意義性と妥当性を現代という状況を踏まえながら立証しようとしています。キリスト教倫理学・弁証学が含まれます。                
組織神学は教理を以下の部門に分類して学びます。 
                
1)聖書論・・・啓示としての聖書、霊感。        
2)神論・・・・神の本質と属性、聖定論、創造論、三位一体論        
3)聖霊論・・・聖霊の本質と働き。        
4)人間論・・・人間の起源、堕落と罪。             
5)キリスト論・キリストの人格、十字架と復活。        
6)救済論・・・選び、回心、義認と新生、聖化、堅持。        
7)教会論・・・教会の定義と設立、礼典、組織、使命と将来。        
8)終末論・・・キリストの再臨、人の復活、千年王国、新創造。
 
(4)実践神学          
神学の適用を取り扱うものです。神学の他の三部門から得た事柄を、実際の生活に適用することを学びます。この部門には以下の学びがあげられます。教職論・教会政治論・教会法・礼拝論・教会音楽論・教会建築・説教学・キリスト教教育学・牧会学・牧会カウンセリング・伝道学・宣教学・社会福祉論。

さて、このような神学校で学ぶような、神学の各科目の学びがなくても、毎日、聖書を読み聖書が語ることを、理解し、そのことに信頼して生きるとき、人は、神を知り、人を知って生きていることになるでしょう。そして、自分の生き方に確信を持つことができると思います。ぜひ、聖書を神のことばと信じて、これに信頼し、自分の人生の羅針盤として、そのお言葉に従って行ってみてください。きっと、光の中を歩んでいくに違いありません。




参考文献                                  
1)ジャン・カルブアン著・渡辺信夫訳『キリスト教綱要・』新教出版社、
1962(原書1559).
2)ヘンリー・シーセン著・島田福安訳『組織神学』聖書図書刊行会、1961(原書
1949).
3)ルイス・ベルコフ著・森田勝美・今井正訳『組織神学序論』聖契授産所出版
部、1997(原書1941).
4)ルイス・ベルコフ著・大山忠一訳『改革派神学通論』聖契授産所出版部、1979(原書1933).
5)岡田稔『改革派神学概論』、聖契授産所出版部1985.
6)宇田進・鈴木昌・蔦田公義・鍋谷尭爾・橋本龍三・山口昇編『新キリスト教辞
典』いのちのことば社、1991.    
7)上沼昌雄『罪と恵みの中の私』聖書と神学ミニストリー、1996.     
8)宇田進「神学入門」の項(どこの辞典かは不明).


                  高崎キリスト福音宣教会 牧師 金井浜夫


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