きんえんSwitter

医者の心の目で日々を綴ります

コロナ禍におけるピアニッシモ論

2021年03月22日 | CORONA
ここ宇都宮市内でも桜が開花しました。
仕事場のデスクの目の前のソメイヨシノは1-2分咲きといったところでしょうか。
隣の枝垂れ桜はピンク色の花が満開できれいです。

今日は曇り空なので、ソメイヨシノの白いお花はあまり映えませんが、今週晴れた日には、きっと良い写真が撮れるのではないかと期待しています。

首都圏の緊急事態宣言が解除されましたが、感染者の数の減少は不十分で、変異したウィルスに感染した人も報告されていますし、感染拡大が再燃するのではないかと心配です。

私は子供のころから音楽に親しんで、ブラスバンドやオーケストラで楽器を演奏してきました。

アマチュア楽団ではよく、「ダイナミックスの幅が狭い」と指揮者などから指摘されます。
ダイナミックス、つまり、音の強弱の幅です。
そういう耳で改めてプロフェッショナルな方たちの演奏を聴くと、その幅の広さに驚愕します。

力を抜くことができれば、大きな音は出せるようになります。(力を抜くって案外難しいんですけどね)

ですが、様々な個性を持った大勢の演奏者が集まって一緒に小さい音で演奏するのはとても難しいんです。

こういうとき優れた指導者は「ピアニッシモ(ごくごく小さな音で演奏するという意味)では、隣の人よりも大きな音を出すな」という言い方をします。
音楽という自己表現をする場においては、自分を抑えるということが案外難しいという証でもありますね。

事実、一生懸命小さな音で演奏しようと努力していても、誰かが小さい音を出さない(出せない)でいると、それにつられてみんなもだんだん音が大きくなっていってしまうということをよく経験しました。(オーケストラや吹奏楽では、たいていそのトリガー役は、トロンボーンだというのは笑い話として通説となっています)

例外なく全員が細心の注意と集中力でもってピアニッシモで演奏しようとしなければ、オーケストラ全体では美しいピアニッシモにはなりません。

コロナ対策も同じです。
だれかがゆるーい態度でいると、「自分ひとりくらい大丈夫なんじゃないか」「自分だけ我慢するのはバカげてる・・・」といった意識が人々の中に生まれ、やがては全体が大きな音になっていってしまう。
いわゆる感染者の下げ止まりが、人々の「慣れ」とか「緊張感の緩み」といったことで起こっているといわれているのはそういうことです。

1年あまりのあいだ、変わらず一生懸命に感染対策を実行してきている私たち。
「これ以上、どんな対策をすればいいんだ。いい加減、終息してくれ!」という気分になっている人も多いかもしれません。

でも、ここで自暴自棄になってしまっては、これまでの努力がすべて無駄になります。
花の蕾は膨らんでほころんでも、心は緩めずに引き続き感染予防していきましょう。

ピアニッシモというのは、決して委縮しているとか貧弱なとか、そういう意味ではありません。
繊細、かつ艶のある美しいピアニッシモサウンドを作り上げた時の感動は、何年たっても、長く記憶に残っています。

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