言語聴覚士の独り言

言語聴覚士の日記

ランドルト環

2024-06-29 08:42:00 | 日記
子どもは初対面で仲良くなります。

大人は家族であれ仲良くできない時がある。

先日、妻の祖母が急に亡くなりました。

私は妻側の家族関係はよくわかりませんが、親子でもう何十年も会っていない人が、この機に会うかもしれないとのこと。

私の子どもたちと妻の従兄弟の子どもたちが同世代です。

子どもたちはものの数分で仲良くなり、通夜式の翌日の葬式の段階ではもう友達です。

なぜこれまで大人と子どもに差があるのでしょうか?

子どもの頃はあの子歳背格好が似ている、同じおもちゃを持っているなど共通点を見つけ仲良くなります。

大人はあの時の行動や言葉が許せない、私とは合わないと欠点やマイナス点を見てしまいます。

例えるならランドルト環(視力検査の→C)で、大人は視力検査同様に欠けている部分に目が向きます。

子どもは残っている部分を見ます。
そして、向きや大小に差異はあるが同じ形であることに気が付きます。

欠けている部分を見ることと、欠けていない部分を見ることはどちらが難しいでしょうか。

子どもの頃はできていたのに何故できなくなってしまったのでしょうか。

競争を促す教育、殺伐とした社会など理由は様々ありますが答えを考えても意味はなさそうです。

では子どもはなぜできるのかを考えてみます。

子どもは人の嫌な側面をみた経験が少なく純粋であるから。

これも答えの一つかもしれませんが、答えがこれだけなら大人は二度とできないことになってしまいます。

私はもう一つ答えがあると思います。

それは現在を楽しむためです。

お葬式といった楽しいとは言えない雰囲気でも、大人がかまってくれなくても、目の前の仲間と遊べば楽しくなります。

今が楽しくない原因は自分にあり、ランドルト環の欠けている部分に目が向いているのかもしれません。

子どもを見習い世の中の欠けていない部分に注目して今を少しでも明るくみたいです😊



時間の可逆的錯覚

2024-06-23 18:38:00 | 日記
車1台ではしっていると、景色が流れ進んでいるのがよく分かります。

2台で並走すると、進んでいるはずが、まるで停まっているかのように錯覚します。

卒業して20年。

同級生に再会しました。

圧縮していた4年間が溶け出し、まるで宝石のような時間でした。

別々に歩み出したはずが、知らない間に並走していたようです。

20年前のままとまって感じました。

こんなに楽しいのなら次は2年後に集まろう!

仲間が並走してくれているとわかったので、また2年間、前に進めそうです。

地元は他者から見れば遠方

2024-06-04 23:26:00 | 日記
問題です。

妻が仕事(午前中)
息子がプール(午前中)
娘が運動会(午後)

この日からキャンプに1泊2日で行けるでしょうか?


ゴールデンウィークに娘がコロナに感染してキャンプをキャンセルしました。

リベンジキャンプをしたい!
しかし、家族の予定が合わない…。

ならば!

その日は娘の運動会の日です。

娘の中学校はコロナ禍からか、学年別の運動会となっています(ここでは賛否は述べません)

娘は13時〜16時が運動会です。

妻が仕事から帰宅するのが13時。

昼食をすませ、買い物をしてキャンプ場にチェックインをしたのが15時。

ビールを飲みながらテントを立てたりと準備をして、ひと段落して16時に妻が娘を迎えに行って、娘も合流です。

ここからは通常のキャンプです。

見事にキャンプができました!

からくりは自宅からキャンプ場までの移動時間が車で20分だという事です。

“移動時間を省略する”

これはとんでもなく時間の余裕をうみ、効率性を高めます。

もちろん移動時間を本を読んだり、音楽を聴いたりと学びや余暇に変換するのも素敵です。
またドライブやサイクリングなど移動自体を楽しむ楽しみ方もあります。

しかし、そうでない場合、移動時間で本来の目的が達成できないのは本末転倒です。

今回は行為がキャンプで目的は自然の中で家族全員でゆったり過ごすことでした。


※オリーブ園の中のどこにテントを立ててもOKなキャンプ場(もちろんトイレ・水道あり)でした。非日常的で景色も最高でした。


先入観として近場より遠い所の方が素敵だと思うことがあるように思います。

しかし、地元は他者から見れば遠方です。

わざわざ時間とお金をかけてやってくる素敵な場所なのです。

これを活用しない手はないですね😄