子どもの教育や人間関係において“褒める”事は賛否両論はありますが
今日はその事ではなくて、褒める(コミュニケーションの最善の方法の一つと仮定して)の対義語について考えてみました。
調べてみると、“叱る”や“貶す(けなす)”が出てきます。
言葉でいうとこうなるのでしょうが腑に落ちない部分もあります。
愛情のある叱るであれば褒めるより役に立つ場合もあるように思います。
では“暴力”はどうでしょう。
最近もスポーツ界で暴力がよく問題になっています。
暴力は手段としては最低ですが、最悪ではないような気がします。
大好きだった彼氏の浮気が発覚して彼氏の顔を平手打ちしているシーンがドラマでよくあります(古いかもしれません💦)
あの場面で平手打ちを暴力はよくないとはなりません。
理由は愛情があるから。力の弱い方が強い方へ行っているからなど様々考えられます。
つまり暴力も全否定できない場面があり得ると思います。
では1番褒めるの対義語としてふさわしいのは
“無関心”ではないでしょうか?
暴力はダメですが叱るには愛情が隠れている場合が多いです。
しかし、無関心には愛情はありません。
ウクライナの戦争で折り鶴を送る事に賛否両論巻き起こっているみたいです。
折り鶴を送る事が迷惑かどうかはさておき、
ウクライナの人を心配する気持ちはあります。
無関心よりは随分ましだと思います。
行動を起こさないと無関心と同じかというとそれも違う気がします。
戦争など大きな問題などは難しいですが、
子を心配する親の愛情は言葉や行動で示さなくても心があれば子に伝わるように思います。
子どもにしても親に無関心でいられることが1番辛いでしょう。
反対に言うと“関心”を持つ事がコミュニケーションの根幹になります。
育児や仕事、教育などコミュニケーション全般でうまくいかない時は相手に関心を持つ所から始めると前進します。
対人関係に悩んだり、子育てに悩んだ時に
方法は様々ありますが、まずは関心をどの位持てているかを考えるとうまくいくかもしれません。