歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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歌人のグリム考―天使に愛されて 4/4

2019-08-12 10:48:52 | 月鞠の会
あなたがたに伝えたいお話として最後に挙げるのは、グリム童話のなかでも日本で好まれる、有名なお話です。





人間に用済みにされ、屠られる運命の家畜らが、声をかけあって、その運命から逃げ出します。
励まし合い、自分たちの鳴き声はきっと、素晴らしい音楽となるに違いないと信じ、ブレーメンの町を目指すのです。
しかし、ブレーメンは遠く、動物たちを苦しめたのは、道中、安全な眠りに就けないことでした。
さまよううち、彼らは、森の中に、灯火を見出します。そこでは、盗賊どもが晩餐をしかかっており、動物たちは、それぞれの野性を発揮し、盗賊どもからアジトを奪う決意をします。
動物たちは、家畜だった頃に発揮し得なかった、それぞれに個性的な鳴き声で思うさまわめき、盗賊どもを脅かし、アジトから追い出します。そして、安全なねぐらを得られたことに満ち足りて、そこで暮らすことにしました。

私はもともとこのお話を好きでした。
このお話の伝えていることは、たとえ用済みにされても、前向きな姿勢を持ちつづけ、社会の中に居場所を求め、協力し合うことの素晴らしさでしょう。
しかし、このたび、グリム童話の全体のなかで、このお話を見つめてみると、メッセージは、そればかりではないと思いました。
グリム童話には、動物たちがたくさん登場します。お話の展開に重要な役割を担い、人間に助言を与えるなどします。
登場人物は、動物の鳴き声を歌や占いのようにメッセージとして聴き取ったり、音楽を感じとったりと、グリム童話の中の動物たちと人間の関係は、日本の「古今和歌集」に描かれた自然のように、人間との彼我の境のない、一体感のあるものでした。

野性が、本来の性、そのものの性であるとするなら、動物は、安全な居場所で安心できれば、満ち足りるのです。
でも、人間は、そうではない。
心地のよい居場所を得られれば、こんどは、他者から奪い取ってでも、広げようとし、豊かさを目指すあまり、戦争さえ仕掛けます。
豊かになればなるほど、殖やさずにいられなくなるのです。
しかし、動物の野性は、奪うにせよ、噛みつくにせよ、自分の身を守るためにはたらきます。人間の野性は、多く、欲望そのものです。銃器を用いずとも、政争や権力闘争となり、暴力を正当化し、挙句、為政者が破壊者とも成り果てていきます。
そして、最も怖ろしいのは、戦争の世界では、あらゆる悪事が正当化されることです。
この、「人間の野性」でもって、人間が、際限のない環境破壊、自然破壊に及ぶのであるとすれば、これこそが罪深いことです。



終わりに。


これまでに、一つめのお話は、KHM31番「手なし娘」、二つめのお話は、KHM31番「マレーン姫」、三つめのお話は、 KHM101番「熊皮男」、四つめのお話は、KHM101番「ブレーメンの音楽隊」と呼ばれています。
この文章を書くにあたって参考にした書物は、『完訳クラシック グリム童話』(池田香代子訳 講談社)です。

幸福とは何でしょうか。愛する人と出会い、家族となって共に暮らすこと。
苛酷な状況下で良心を保つのは困難なことであり、しかし、人々は祈りながら良心を保ち、状況の好転するのを待ちました。
現代を生きる人々も、貧しい人々は、きっと、おなじでしょう。

私もまた、貧しき者の一人。そして、歌人でもありますから、動物たちが力を合わせ、野性の歌を、音楽を奏でて、未来を切り拓く「ブレーメンの音楽隊」などを読めば、自然の音楽が聴こえて、爽やかな気持ちになります。
それから詩人は、やはり、愛を歌うものです。
日本の「古今和歌集」の世界が、大半、恋の歌や家族を想う歌で占められているように、幸福とは、愛と平安を得ることにあるとするグリム童話の世界に、詩人や歌人は共感できるのではないでしょうか。
またそれに、自由に表現するためには、放った言葉には、責任を持たなければなりません。
愛と自由を同時に得るために多くを失ったマレーン姫の境遇を、他人事にも思いませんでした。

もう一つ。
私はしばしば、天使がそばにいる、天使に愛されていると感じることがあります。なぜでしょう。
詩歌は、聖書の詩篇にあるように、もともと、神様に捧げる言葉でした。
歌を書くときには、自分のわがままだけを通そうとしてはいけないと、常々、思います。
自分の詠んだ歌を、他の誰かが口にするときに、勇気づけられたり、癒されたり、心に刻んだりできるものであってほしいと思います。
歌を詠むとき、誰かに幸せであってほしいと願うこころが、天使を感じさせてくれるのかもしれません。

あなたも、きっと天使に愛されているでしょう。
だって、こんなへぼな文章を最後まで読んでくれたあなたは、こころの優しいひとに決まっているもの。
あなたも、きっと……詩人に、ちがいないでしょう。

私のいちばん好きなグリム童話の言葉は、「さて、なにがあるやらわからないもので」(KHM21番「灰まみれ」、池田香代子訳)です。
この世の生きとし生けるものどうし、時としてたのしく、にぎやかに祈りの歌を奏でて、そしてまた、どうにもならないときには、状況の好転を信じ、努力を続けながら、あすを待ってみませんか。


あなたがたの幸せを、お祈りしています。


(歌人 辰巳泰子)
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