歌人・辰巳泰子の公式ブログ

2019年4月1日以降、こちらが公式ページとなります。旧の公式ホームページはプロバイダのサービスが終了します。

新作告知

2022-11-27 13:59:42 | 略歴
ながらみ書房『短歌往来』新年号に、新作7首「雪虫」を書きました。
角川『短歌』新年号に、新作7首「紙と錫」、小文「悲願」を書きました。

ぜひ、ご購読ください。





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手作りジャムとあんバターと賄い料理と

2022-11-26 17:42:17 | 日常
ラ・フランスの自家製リキュール、そろそろ果肉をとりだす頃合い。



エキスの浸出が終わりに近づくと、写真の奥の瓶のように、果肉が沈んできます。
ウオッカの海で、なんとか形を保っていますが、とりだすと、まな板の上に載せただけでずるっと崩れ、妖しい香りが漂いました。
ちなみに、手前の瓶は、柚子のリキュール、仕込み始め。

ラ・フランスのリキュール本体は、まだ薬液のようで、子供の頃、内科の医院で調剤されたシロップの甘みを彷彿とさせます。まろやかになるまで、あとひと月は寝かせないとね。

そして、真夜中の台所で、どろどろに溶けた果肉をさらに解体。こんなにたくさんどうしようと思ったのに、水分が多いのと、果肉じたいに甘みが強いので、追い砂糖しなくても煮詰めただけで、小瓶ぐらいのわずかな量のジャムになりました。




写真は、上が、あんバター。下が、クリームチーズとラ・フランスのジャムを挟んだミニフランスパン。それから、生食用に、シルバーベルをいただきました。洋梨は、バートレットが国内栽培の元祖らしいけれど、シルバーベルは、新しい品種。ラ・フランスの自然交雑種だそうで、酸味にキレがありました。

洋梨は、明治人の祖母が90歳近くなり、寝たきりとなって意識が薄れてからでも、薄くスライスすれば口腔摂取できたので、洋梨を見ると、祖母のことを、とても思い出します。

そんなこんなで、ジャムとおやつ作りが、今週の休日イベント。好評を博したので、あすは読書に専念できるね。


そして、家刀自としては、じつは、これが白眉なのだ……。



ミニフランスパンの残りで、クリームチーズと寒漬けをカナッペに。
寒漬けは、山口県のお漬物で、お弁当用に買ったのの、残り。
何もかも残り物でこしらえる、私だけの賄い料理。
煮炊きのお道具を片付けながら、立ったまま、頬張るのでした。





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今週のお弁当

2022-11-24 23:45:25 | 日常
この頃、ときどき、このブログの古い記事を読み返しています。
へたな英作文が恥ずかしくて、削除したりしています……時効の記事とかも。

今週のお弁当ですが、わっぱに入れたのは月曜のと金曜ので、その他の曜日は、おにぎりと一口おかず。

げつよう。だし巻き玉子、人参レモン煮。メインは、お肉屋さんのローストチキンをピーマンなんかと蒸したやつ。




きんよう。白菜と豚もも肉を、かまぼこと柚子も入れてとろとろに炊いたやつ。ミックス青菜とインゲンの胡麻和え。味玉。自家製紅ショウガ。ごはんには白梅酢が混ぜてあるので、ほんのりピンクです。


じつは、きょうが金曜で、日付が変わったばかりなのに、もうお弁当ができています。深夜の製作、駅弁みたい。月曜のは、当日の朝にこしらえたけれども。

冷蔵庫の野菜室で、出動待ち。

寝つきのとてもよくない家族の睡眠リズムを妨げないよう、製作時間帯を試行錯誤しています。

朝に支度したいですけれど、まだ道険し。 
冬場でよかった……。
火入れについては、厚生労働省が仕出し屋さんに向けて発信している、食中毒防止マニュアルを参考にしています。 

朝に作りたい……。



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戦争と平和(ぼやきのつづき)

2022-11-22 12:00:40 | 日常
なんにせよ、昨今は、すっかり右傾化していますね。
左翼的な気分が過激化した時代の反動形成が、世相不安とあいまって、ここまできてしまった気がします。

勢いだけで動いていくものが、なんだか恐ろしい。
それはつまり、うさはらし、なのだと思う。
石をぶつけていい対象として、政治主導で名指ししていく、それこそが、ナチスのとった手法でした。

その時代の強いものの勢いを借りて、大衆に混ざって石をぶつける。
右だろうと左だろうと、私はイヤだな。

いじめや偏見に染まらないように生きるのは、孤独なことだけれど、自分を信じられるようになります。
損目、損目に回るようでも、流れに押し切られない、確かな言葉が欲しいと、誰もが思うものだから。

それに、じつは、決して孤独ではないんですよね……。
おなじ想いでいる人が、どこにいるのか、誰なのか、わかるようになります。

このまま、思想が踏絵になる心配をするよりも、
精神の自由が保たれるように、踏絵にするような風潮をつくらないように、
伝え方を工夫をしながら、言うべきことを言う。

それが、大切なように思います。




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今週のお弁当

2022-11-18 06:55:20 | 日常
今週のお弁当。まずは、写真だけ。記事は後で足します。

げつよう。


自家製きゅうりのキユウちやん。大傑作。



かよう。白いのは氷下魚。白だしで、野菜と蒸し焼きにしました。



すいよう。雑穀入りごはんのおにぎりと、一口おかず。ウズラ玉子をカレースープで、炊いたのとメンチカツを一口大に切ったのを、爪楊枝でまとめました。



もくよう。無性に海老を詰めたくなって、大きめのをたくさん炊きました。



きょう。




ふた月ほど前に、心の荒むことと同時に、別件で吉事があって、私はこの吉事を守りたいのですね。
まだ用心しているのか、寝つきがよくなかったり、言葉が優しくなかったり。
なんとか、緊張を解きたいなぁと……。

お弁当は、手抜きでちょうどいいのかもしれない。
からだにわるいもののナンバーワンは、未明のレンチン音だと思います。




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戦争と平和(ぼやき)

2022-11-12 23:01:05 | 日常
体調不良というほどでもないのですが、しんどいので、世相をぼやきます。
最近の……というよりは、日頃の考えを書きますね。

まず国内の情勢。
北朝鮮のミサイル、迎撃しようったって、そんなにうまくいくものでしょうか。
ミサイルを敵味方、つごう二基も飛ばせて、どっちもどこに墜ちるのか、誰の上に墜ちるのか、考えたことありますか。実際に飛ばせて、迎撃訓練も、いたしますよね。

イージス艦あたごが、民間の漁船を転覆させ、国民を守るどころか殺めてしまうという事故が、そう遠くない過去には、ございました。

ミサイル開発、すればいいというものでもないんです。

オバマ大統領のときに、取引めいた話がございました。日本の自衛隊がペルシャ湾の機雷掃海をするんなら、アメリカの軍隊が、日本の自衛隊に実戦技術を仕込んでやるといったような……。日本の自衛隊は、太平洋戦争に敗戦した罰ゲームで、連合国側から、太平洋の機雷掃海をずいぶんさせられ、そのせいで、日本の機雷掃海技術は、皮肉なことに世界一です。裏を返せば、機雷掃海中に、相当数の自衛官が落命したということでもあります。日本の、自衛隊の前身は警察予備隊といって、もともと、アメリカのいいなりにするつもりで、1950年の朝鮮戦争をきっかけに、平和憲法に矛盾する組織を、アメリカが日本政府に作らせたのです。それが、警察予備隊(自衛隊)だったのですよ。

さて、オバマ大統領のときにあった、この取引めいた話は、トランプさんのときにいったん無くなりましたが、実戦技術を仕込んでやるというのも、そもそも、アメリカの都合のいいように日本の自衛隊を動かすつもりでいうのだから、アメリカから、兵器開発や実践訓練を手助けするといわれても、遠足のように、はしゃいではいけないと思います。

沖縄の基地移設の、反対運動の座り込みが形式化してるのを、若者に人気のある青年実業家が揶揄しておりましたね。これに、沖縄県知事も、反体制派の皆さんも、感情をあらわに憤慨しておられたけれど、挑発に乗らずに、きちんと説明しましょうよ。

「誤解をしておられるようですが、抵抗は、つづけることに価値があるのです。若者に引き継がせることのできないような、一過性の過激なあり方をしておりません」って。

実際、国内の抵抗運動は、とっくの昔に、コンプライアンス重視、サスティナブルなあり方を求めて、仕切り直しています。そして、これ大事。抵抗運動を含めて、権利を守るための努力は、国民の義務なのですよ。

憲法12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」

抵抗自体が取り締まり対象になるかのように、誤認する人が多いのは、説明不足だからではないでしょうか。権利を守るための抵抗、それが、国民としてなすべき不断の努力であっても、火炎瓶を投げるなどして公共の福祉に反すれば、取り締まられるということなのですよ……。

沖縄県知事が、部外者の失礼極まりない言動に、県民を守って憤慨するのは当然ですが、日本の左翼は、わかってくれないと憤慨するのではなく、抵抗の歴史について、丁寧に、嬉々として、きちんと説明できるようになってほしいです。

そして海外の情勢。
ロシアがウクライナに核爆弾を投下すると脅かしていますが、偏西風は、近年、そう珍しくなく長期蛇行することで知られています。
そんなことをしたら、ウラル山脈に沿って黒い雨が降り、モスクワを中心としたロシア西部が放射能汚染されるし、地中海も汚染されます。


以上、戦争と平和についてでした。





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今週のお弁当

2022-11-11 18:32:59 | 日常
このブログ、昔は料理写真が大半で、それから英作文の練習が中心になり、園芸が中心になり……。とりあえず、新生活のお弁当アルバムを兼ねておこうかと思います。

それでは、今週のお弁当。

金曜日。ケイジャンチキン。肉巻ロール。あふらげと野菜とワカメの味噌炊き。ゆかりごはん。紅しょうがは自家製。高菜漬けは市販品。




木曜日。ブリと野菜の生姜醤油炊き。ソーセージとほうれん草、小松菜の炒めもの。人参とあぶらげとブラックマッシュルームの炊き込みご飯。市販の味噌漬け。





水曜日。おにぎり3つの竹籠弁当。スープジャーにカレーを入れようとしてたら、匂いが周りに迷惑だから、カレーはやめてというので、急遽、おにぎりに差し替え。写真なし。 


火曜日。マルシンハンバーグとピーマンと玉ねぎ炒め、鶏団子と蓮と人参を昆布でよく炊いたの、すぅぱのワカサギ唐揚げを醤油だしでさっと炊いたの、雑穀入りごはん梅干まぶし。





月曜日。牛肉赤ワイン漬けトマトソース煮込み。ピーマン、キャベツ、真鱈、ホタテ、赤魚のブイヤベース。インゲン胡麻和え。白いごはん。梅干。






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本物の音楽

2022-11-11 00:56:25 | 日常
丑三つ時に、玉子を茹でる。
茹でるまえ、冷蔵庫から出してぬるま湯に浸ける。
湯を沸かしていると、どこからともなく、チッチッチ……チッチッチ……と声がする。

これが、私の音楽です。

鳴いていたのは、ぬるま湯に浸けられた、なまの玉子でした。
白玉ふたつ、赤玉ふたつのうち、
白玉の一つを耳に近づけると、キュルキュルキュルキュル……と音がしました。
チッチッチ………と鳴いていたのは、赤玉の一つでした。
残りの二つは、無音でした。

キュルキュル……という、後ろの音に陰影を与えられて、
チッチッチ……という声が、単調でなく、それゆえ、耳をとらえたのでした。

これが私の、普段に聴いている、私にとっては、本物の音楽。

にんげんが、それらしく奏でるものを、もともと、
さほど好きではありません。

巧まざる自然の音楽に、いつも、耳を澄ませているのです。

聴き逃しては。ならないもの。




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私のライブ友

2022-11-06 07:26:28 | 日常
二十歳の頃、私は、ある音楽家のファンでした。コンサートへ出かけ、今でいうライブ友ができました。それは、そのとき好きだった音楽家が、ハンディキャップピープルのためのチャリティーコンサートを中心に活動していた時期にあたりましたから、会場には、健常者も障害者も、半々ぐらいで、入り混じっていたと記憶します。

そこでできた、私の「ライブ友」は、車椅子の人でした。彼女の車椅子を押して、いっしょにあちこち出かけて、たのしかったのを覚えています。けれど、彼女に差別の目が向けられるのを感じて、苦しいときもありました。態度を変えてくる相手に憤慨していた私の内心を、彼女は、わかっていたと思います。それから、障害者の皆さんで作った、障害者のためのレストランに、私を連れていってくれたりしました。私は車椅子を押していて、路面がなめらかでないときの振動がハンドルまで揺するとき、彼女の骨格や臓器が圧迫を受けているのではないか、それに、動かさない脚に、風が当たってどれほど冷たいか、自然と考えるようになりました。そして、私がそれを、自然と考えるようになるまで、彼女は黙っていたのでした。

あれから、四十年近く経つのです。二十代の半ばで、私が上京し、生活が目まぐるしく変わるなかで、大阪にいる彼女とは、縁遠くなってしまいました。

ヘレン・ケラーは、なぜ自分が、奇跡の人と呼ばれるまでに学をつけることができたのか、あるとき、気づいてしまったそうです。世の中は、ヘレンの才能と知性を絶賛するけれど、そもそも、それは、質の高い教育を受けられたからであり、質の高い教育を受けられたのは、育った家庭が裕福だったからだと。そして、ヘレンは、貧困を解決するための社会運動に身を投じます。貧困がもとで、教育を受けられずにいる人々を、救済するために。

ヘレンが、貧困という社会問題に目を向けるようになった途端、それまでヘレンを持ち上げていたマスメディアは、ヘレンを叩くようになったそうです。

障害を克服するとは、異能を示し、超人的なパフォーマンスで偉業を見せつけることにあるのでしょうか。それは、オリンピックが古代、身体能力に優れた奴隷に殺し合いをさせた時代の発想、見世物ではありませんか。異能は異能であって、キャプションなどを見るとき、「●●なのに」という、ハンディキャップをわざわざ取り上げた味付けをするのを、私は好きになれません。

若き日の私に、車椅子を押すという貴重な体験をさせてくれた、忘れられない人がいたことを、いま、思い出しています。彼女は、特に裕福な生まれでなく、車椅子も電動ではなかったし、だからこそ、工夫しながら、自立する知恵のもろもろを私に見せてくれました。彼女は、勤め人でもありました。出くわす偏見に戸惑いを覚えながらも、逃げることなく、一つ一つ、潰していく人でした。

ライブ・コンサート、ライブ友といっても、熱狂的、カルト的なる雰囲気、眩しい光源に集まる人たちの押しくら饅頭のなかに、私も、私のライブ友である彼女も、いなかったと思います。

私たちは、祭りのなかに、いませんでした。
そして私は、祭りのなかに、いたくはなかったのでした。

彼女のしてきた、ひそかな闘い、誰からも特別だとか奇跡だとか天才だとか、褒めそやされることなき闘い。立ちはだかる偏見を、一つ一つ、笑顔で潰していく闘い。私は、その片鱗を、まぢかに見ました。

ヘレン・ケラーは、きっと、異能の人と褒めそやされたあとで、気づいてしまったのでしょう。闘わなければならないことに。そして、その闘いを、異能など持ち得ぬ境遇にある人々が、してきたことに……。

その闘いは、いつもどこかに、世の中のどこかに、ひっそりと息をしているのです。
通り過ぎた、この歳月のあいだにも。

私の蒙を啓いてくれて、学びをくれて、ありがとう。
遠き日の友よ。

あまりに時間が経ってしまうと、本当に大切にしなければならなかったことを、見失ってしまう。
異能を見せつけるのでない、愚直の闘い、彼女の生き方。

そうして、私の好きだった音楽は、もう、戻らない歳月の奥。







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鬼さんノートその2

2022-11-06 00:16:58 | 月鞠の会
この窓は、10月2日付の「読書ノート『鬼の研究』(馬場あき子著)」のつづきを書くために設けられました。アイデアのメモ、ブレストのメモなので、途中で口調が変わったり、内容錯綜したりするかと思われますが、ブレストなので、ご寛容いただければ幸いです。

1
私さぁ、鬼さん、怖いんよ。馬場さんは、鬼さん、かわいいと思ってはる。と言いますか、鬼さんのかわいいとこを、見出して、書いてはる。せやから、ええもん書けるんや。私は、誰でもみんな鬼さんになりうるし、かわいい人ばかりが集ってすることが、鬼の所業だったりすると思う。鬼さんにやられた人が、鬼さんになることもある。古典の鬼の切り取りは、常に、鬼でないものの中に、違和感ある存在として、鬼がいる。そこに、互換性はない。この点に注視すべき。

金太郎の話に戻るんだけど、怪力で、マサカリを常に携行し、振り回す童子は、その村人たちにとれば、すでに鬼ではないか。熊を従えたということだが、生態系の敵である。普通に考えて、村にいてほしくない子供ではなかろうか。しかし、いったんヒーローとなれば、そのすべてが美化される。そもそも古典の切り取り方に、相対性はない。絶対として単純化されたところから、説話としての姿が決まる。

私が探り当てたいのは、きっと、とても恐ろしいとされているものの、鬼やら神やらになるまえの、人間的な姿なのだ。それは、恐らく、馬場さんの希求と同根なのだ。さらにいえば、鬼は、役割でさえある。鬼ごっこの鬼のように、誰かに回ってくる。属性ではないのだ。

2
地方へ行くと、昭和年代の終わり頃にも、カミおろし、ホトケおろし、呪術が土着の職能として、まだ色濃く残っていたかと思う。オニとそうでないものを、峻別するベクトルを持てば、私にもまとめやすいが、とても、つまらなくなりそう。もともと境目を分けようがないからこそ、妖しいものなのに。

もともと分けがたいものを分けようとするのは、こちらに危害を加えようとするものと、そうでないものを分ける必要性からだろう。

最高につまらないのは、金太郎のような、教育的ステロタイプ。教育的ステロタイプの鬼の像は、正義によって破られる。こうなってはもうおしまいで、鬼は、死んでいる。いや、死んでいるとは、少なくとも生きていたものについていうのであって、伝説をもとに教育的ステロタイプとして成形された、まさに、金太郎飴の世界。徹頭徹尾、象徴でしかないうえに、なんにでもなれる幼いこころに、鋳型にはめるのだ。私には、その意思こそが、マサカリを振りおろすところの、オニの意思と見える。




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