歌人・辰巳泰子の公式ブログ

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鬼さんノートその16

2023-12-20 08:27:17 | 月鞠の会
「鬼」とは逸脱者である……と、わかりやすくしても、その逸脱が流動的な社会規範に対してのものである以上、命題とはなり得ないと前々回に書きました。なぜなら、その逸脱が、流動的な社会規範に対してのものである以上、この謂のなかでの「鬼」とは、いわば世間からの逸脱者であり、それはあくまでもヒトであることを前提しており、であれば、超常的な意味合いを捨象してしまうからです。

そもそも、逸脱という言葉が、規範を敷いた立場から発せられます。自分は逸脱しないことを絶対視している者から見るからこそ、逸脱者を逸脱者として指差せるわけなのです。では、規範を逸脱する立場から、逸脱という行為をみた場合、それが当人にも望まないことであった場合、つまりイレギュラーの認識があった場合に「逸脱」ですが、そうではなくて、その者が、その規範を必要としていない場合、規範の意識を持たない非生命であった場合には、どうでしょう。それは「逸脱」ではなく、「超越」であると、私は思いました。逸脱者は、あるいは、超越者たり得るのです。

折口信夫の〈かみ〉〈おに〉同義説を支持しつつ、「鬼」の字が、古代において『「もの」「かみ」「しこ」「おに」などと場合に応じてよみ分けられていた』ことを、『鬼の研究』(馬場あき子著)は詳述します。同書は、折口信夫が「国訓の上には、鬼をかみとした例はない」としたことを引きつつも、(蓑笠による)「身体の隠蔽が鬼にも神にも共通の条件であった」としていることを述べます。馬場さんは、「おに」の、「もの」「かみ」からの分離を特に見て、人間的な「鬼」に主眼をおいて研究しておられます。

馬場さんが詳述し、かつ、まとめられた、権力が排撃するところの人間的な「鬼」の成立に深く肯いつつ、私は、ここでは超常的存在として、「カミ」「オニ」「ホトケ」を考えようとしています。自分がそうする理由は、概ね次のようになります。

一つは、定家に、古今伝授の神事化があったこと。つまり、神への誓願というアクションがあったこと。もう一つは、『定家十体』に「拉鬼様」(『毎月抄』に「鬼拉の体」)として「鬼」の字義が見えること。このような体は、『定家十体』に先立つ壬生忠岑の『和歌体十種』に見られない体です。定家のアクションの背景であった時代は、戦乱をきわめ、仏教的無常観がすでに浸透していました。私は定家が、「カミ」と「ホトケ」の溶け合いつつもせめぎ合う時代に、あえて「カミ」と「オニ」をこそ取り出そうとしたところに、興味を持ちました。


では、ここから、定家の「鬼拉の体」の構想に、お話を戻します。
定家は、いったい何を考えて、「鬼」なる不穏の言葉を和歌の美学に持ちこもうとしたのでしょうか。

※いまは正月二日です。元日の夕方、石川県に大地震が発生しました。
心よりお見舞い申し上げます。
自分は阪神大震災の折に帰省しており、実家の屋根瓦が崩落しました。(でもそれだけで済みました。)
交通がとおったら、神戸からの買い出しのひとで十三の街に人があふれました。
先生に資料をご提供いただいております。
阪倉語源説、早速、拝読しております。
正月休みのあいだに、『定家十体』についての本論に入っておきたく思います。







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鬼さんノートその15

2023-12-19 20:46:46 | 月鞠の会
定家が、十体の構想につまずいていたとします。
途中から別の誰かが「定家十体」に干渉して加筆したとしても、『毎月抄』でわざわざ言及しているのだから、こだわりはあったはず。
またそれに『毎月抄』は、手紙として書かれた実作の手引きです。
この書簡には、鬼拉の体を含む和歌の体のそれぞれと、万葉調を真似て詠むことへの言及が同時にあって、定家にとり、和歌の十体は、鑑賞ではなく実作を念頭に置いた構想であることが明らかでしょう。

鑑賞ではなく実作を念頭に置く。すると、どう違うのか。

実作しない人には、まったくわからないかもしれません。

私が「鬼拉」という言葉に触れたときに思ったのは、やはり『古今和歌集』と差別化することが意識されたであろうということでした。『古今和歌集』では、和歌は「目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ」るものなのです。『古今和歌集』の時代は戦乱を避けて外交をとざしましたが、新古今の時代は、戦乱に明け暮れていました。『古今和歌集』の「鬼」は、自然界の精霊のようなものです。しかし、定家の用いた「鬼拉」という言葉のなかの「鬼」は、その意味ではまったく通じません。定家の時代では、中古の名残があって、「鬼」という言葉には、恐ろしげな意味を含まない超常的存在の意味も残っています。(ここで『鬼の研究』を援用できます。)しかし、「鬼を拉ぐ」というからには、その「鬼」は、恐ろしく強大な悪でなければ、「鬼を拉ぐ」という行為に真善美が成り立ちません。これは、和歌の体として提唱されたものの一つなのですから、真善美でなければなりません。

さて、そこで。オニとは逸脱者であるとして、社会規範自体、変化するものである以上、それが絶対的逸脱者ではあり得ない。このことは、いつ誰がオニとされても不思議でないことを意味しています。私が、世間の押しくら饅頭からはみ出したヒトがオニにされるとする所以です。

『平家物語』に「禿」という章段があります。清盛が政権を握り、恐怖政治をおこなっていた頃、反逆者はいないか、監視の体制を敷いていたことがわかります。このようななかで、何人もの公家が捕われ、拷問され、処刑されました。平和な世の中にいるときに、鬼さんばなしは、自分事ではありませんね。しかし、俊成から定家の時代は、すなわち新古今の確立に至るまでの時代は、自分が反逆者とされてしまうかもしれないという恐怖が、生活感情の底に、常に流れていたでしょう。私は、このことを、「鬼拉の体」なる体が登場する背景に、あった気がしてなりません。反逆者とされ捕われる恐怖が、「鬼」という言葉をもった体を、およそふさわしくない和歌の場に、具現させたのではないでしょうか。

つまり、この時代には、古今集の時代にも、また古今集以後にも公家をここまでに震撼させたことのない特異な恐怖の感情を、和歌の「こころ」としていかに扱うかが、ひそかな課題となっていたのではないでしょうか。

次に、少し振り返って、絶対的逸脱、ということについて考えてみます。







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鬼さんノートその14

2023-12-06 08:08:15 | 月鞠の会
すべき作業を書き出すために考えを整理していました。
先生に結論部分の飛躍をご指摘いただきました。
ここの飛躍には私自身の、個人的なバリアがあり、それはバリアでありながら、本稿を書く動機でもあるので、またここで、内面の整理を必要とします。

私はここで、先人の業績に唾を吐くようなことを書かねばなりません。
まず、そもそも、「鬼とは逸脱者である」という措定を、私は根本的にオカシイ、無理がある、常識たり得ても、決して真理たり得ないと確信しているのです。

だってね、逸脱って、何なのですか。
逸脱するには、押しくら饅頭の外周がいるじゃありませんか。
それは、文明の以前から存在するものですか。

その外周はね、規範というやつです。
これを決めているのはルーラーです。
文字どおり、掟を決める支配者です。

支配者次第なものは、絶対ではないのですから、規範自体、その時代ごとに内容を変えていくではありませんか。

この謂を真理とするためには、絶対的規範を必要とします。
つまり、「鬼とは逸脱者である」という謂は、命題ではなく、なんかこう、常識を命題めかして言い直しただけなんですよ。

つづきです。

先生から無理があるとの指摘を受けたのは、鬼さんブラックホール論です。

まだ途中なので不特定多数と仔細を共有しません。
まだ動くので、先生にある程度通じればよい。

じつはそんなに空想的ではない。
なぜなら、上記の思考過程に加えて、逸脱者が逸するところの規範を、真理たり得ない相対的規範ではなく、絶対的規範ととらえ直せば、私の鬼さんブラックホール論は成り立つ可能性が出てくる。と言いますか、規範を定義するところから、鬼さんブラックホール論は私のなかで立ち上がってきたのでした。

(以下、あたらしい投稿です。ウインドウを分けませんでした。)

どの宗教にも共通する戒めというのはある。殺すな、盗むなの類。
規範を考えるときに、物差しは二つとなる。
一つは、宗教的もしくは道徳的規範。
もう一つは、法的規範。
後者は、相対的です。相対的規範の逸脱者を、「相対的逸脱者」と呼ぶことにしますね。
そして、前者のような、こころの中にある普遍的な規範を逸脱するものを、「絶対的逸脱者」と仮置きします。私はね、定家の考えようとした「鬼拉体」の「鬼」の構想に、非生命が含まれる可能性を考えているのです。
(先に述べるべきことがあるので、いまは、「非生命である可能性」とだけ示すにとどめます。)

規範の歴史をざっくりいくと、初めはね、強いもん勝ちなのです。そのルールにいいもわるいもない。
規範を決める権限者が文字どおり、ルーラー、支配者だった。
世界史上、規範の概念を大きく塗り替えたのは、1689年にイギリスで制定された「権利章典」。
これは、法律を決めていい人は王様ではなく議会であることをはっきりさせた法律で、議会で決めた法律を王様が守らなければならないという法律。
ちなみに日本は江戸時代前期。松尾芭蕉が活躍した頃です。
私は法律のこと、詳しくないから、「権利章典」に先立つ封建的規範を、どう名付けてよいかわからない。
ただ、日本史的には、王様よりも優位に立つのは、ほとけさま、仏教ということにまず、なりました。これを唱えたのがいわゆる聖徳太子です。
聖徳太子のあとも強いもん勝ちの時代はまだまだ続くし、現代社会ですら、王様にはルールを守らなくてもいい風潮なのだから、ルールを決めてしまう権限者、「強いもん」って何だろうかと気になる。
そして、「強いもん」はとってかわるのが常だから、「強いもん」の決める逸脱者がすなわち、相対的逸脱者ということになる。

そして、そうした強いもん勝ちの時代にも、日本人には祟りを恐れるこころがあって、怨霊を祀ったりしています。
中国由来の「鬼」さんと日本的鬼さんの、圧倒的相違を示すとすれば、怨霊を恐れ、神格化して祀るこころにあるのかもしれません。
なぜなら、古代中国では、小動物などを殺して、その霊魂を使い魔としたものを「鬼」と呼んだからです。
日本であれば、説話の「舌切り雀」を見てもわかるように、たとえ雀のような小さな生き物にも、報恩やリベンジがありました。
日本人で、殺した小動物が自分の使い者になるとナチュラルに考えられる人は、本当にだれもいませんよね。多分だけれど。

ここで突然、定家に戻るのですが、「定家十体」の「鬼拉体」には、菅原道真の和歌を挙げてあるのですよ。
そしてね、定家は、『新古今和歌集』を、『古今和歌集』を超えるものとして編もうとしていました。
『古今和歌集』は、醍醐天皇が、道真を中央政治から追い出して成立させた、わが国最初の勅撰和歌集です。道真の和歌もありますが、その扱いは、道真が中央にいた頃から考えると、ひどいものだなあと思います。

先生が、私に、吉本隆明が、定家と鬼拉体について述べているのを目の端に入れておくとよいと示唆をくださいました。
吉本隆明は、定家は鬼拉体の構想にバグって、そのバグに気づいてどうしようもなかったのではないかと指摘していましたね。
私は、定家は、菅原道真の怨霊を『新古今和歌集』で祀ることができれば、「鬼拉体」はそれでもう、本望だったのではないかと考えています。
だけれど、「鬼拉体」の和歌として挙げるのが、道真公の和歌だけですと、歴代天皇の政治に文句をつけているようではありませんか。
だから、他にも「鬼拉体」に挙げておく和歌が必要で、どうにも見繕うことができなかったのではないかと思います。

やっと戻ります……。
さきに、定家の考えようとした「鬼拉体」の「鬼」の構想に、非生命が含まれる可能性を考えていると述べました。
あえて道真公を祀ろうとするところからも、私は、定家がオニとカミを切り分けた気がしません。それに、まだ中古の名残があって、現代のオニと通じる意味をもちながら、オニとカミの切り分けもまた、時代的にも定かでないのがこの頃です。
ここで、同時に考察したいのが、以下の2点です。

・定家が「鬼拉体」の和歌に、万葉歌をしきりに挙げること。
・定家は、神に誓いを立て、御子左家の古今伝授を神事化しようとしたこと。

(その14は、いったんここまで。)









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