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三 超自然の鬼から実体を持つ鬼へ(仮題)
⑵ 『今昔物語集』の鬼説話を分析する
『今昔物語集』(新日本古典文学大系『今昔物語集』校注:小峯和明)を読んでいて、興味深い言葉に出くわしました。平安時代末期に成立したとされる『今昔物語集』全31 巻は1000 話以上の短編を収録しますが、説話自体の収録数だけではなく、『日本説話索引』(清文堂 説話と説話文学の会編)の見出し語「鬼(おに)」に示される出典の件数においても、突出しています。
鬼説話が多いのは、分母の大きなことが第一の理由でしょうが、解説に〈中国では道教がひろまり、仏法と拮抗しあい、融合しあう長い歴史があった。日本の神仏習合と隔離の動向にも近い。道教独自の冥界や他界があった。〉〈道仏混交の要素がきわめてはっきり現れている。〉などと述べられるように、道教と混交した内容が多いことも、理由の一つでしょう。
第三の理由としては、時代がくだって、鬼がいっそう身近な存在となっていき、必ずしも異界の属でなくなってきたことが、挙げられるのではないでしょうか。
本朝部の鬼説話は、総じて43話。
本朝部に記載される鬼は、冥途や異界にとどまらず、私たちの日常生活にも、突如として出現します。
そこで、この43話が、どういった場所、どういった具体物に関係しているかを、次のように分類しました。私たちが、日常生活のどのような場所で、どのようなことをきっかけに鬼出現に遭遇するかを見ていくためです。
この分類を、予備調査とします。「20-15」とあるとき、「巻20第15語」であることを意味します。①~⑨の項目は重複できるものとしました。
【予備調査】
①死、葬式、冥途に関係する鬼…13件/②疫病に関係する鬼…2件/③廃屋、古寺、橋などの境界に関係する鬼…10件/④発光をともなう鬼…2件/⑤雷、蛇など水系に関係する鬼…1件/⑥百鬼夜行など集団の鬼…3件/⑦実在の人間に由来すると考えられる鬼…9件/⑧魂魄。…1件/⑨/火、火花、鍛冶に関係する鬼…3件
この予備調査は、鬼説話43例のすべてが、神仏による霊験譚や超自然現象というわけではないことから、執り行ったものです。
たとえば『日本霊異記』では、ごく現実的にとらえられるできごとでも、あくまでも神仏による霊異として事物を解釈してありました。しかし、『今昔物語集』では、神仏や鬼神によるとしか考えられない不可思議なできごとのほかに、超自然的現象が必ずしも介在しない怪異や、鬼だと思いこんだものの正体が犬や猪や人であったりといった話が、全体の3割ほどにも及ぶとの見当をつけられたからです。そのうえ、神仏による霊験譚や超自然現象のように印象づけをしてあるもののなかにも、鬼ではなく人間による凶悪事件としても説明がつくようなストーリーが、目についたためでした。ですので、この調査は、具体的にどういったことが超自然と結びつくのか、その手がかりを得るために、おこなった調査です。
そして、予備調査をおこないつつ、神仏による霊験譚や超自然現象に由来しない鬼説話、もしくは由来しない可能性のある鬼説話、すなわち、鬼としわざとされているものが、実在の人間に由来する鬼説話を分析するために、43例について、次のような、思想性の分類をおこないました。●○△×は、重複できないものとしました。
【思想性の分類】
●…仏教的な意味合いが強い鬼説話。
まず、鬼出現に際して、超自然的な現象を持つものも、無いものも含めて、仏教的な意味合いであるかどうかを見ました。
同時に、説話自体の、規範意識の強さを見ました。仏教の教義は、戒があるなどして規範意識が強く、国教として、政治に活用されています。ですので、仏教色が強いということは、規範意識を促す意味合いもまた強く、その教訓は、規範意識の強さと比例して、形而上事物への畏怖を前提とするでしょう。
そしてこのとき、道教、修験道、陰陽道など、民間信仰の度合いの強い話であっても、仏教との習合が意図されている話の鬼は、仏教の鬼としてカウントしています。たとえば、31-27「兄弟二人、殖萱草紫菀語」の鬼は、『俊頼髄脳』(前出)を出典とし、道教の魂魄思想を体現する「魄」そのものですが、『俊頼髄脳』では鬼の持てる感情を「あはれび」と表記したのに対し、今昔では、仏教語「慈悲」に置き換えています。このような場合、仏教との習合があると見なしました。
これらは17例(●印)。
○…超自然現象の描出がある鬼説話。
次いで、鬼出現に際して、仏教色の薄いものでも、超自然的な現象を持つものについて調べました。
規範意識に裏打ちされた宗教的な畏怖を前提としなくとも、超自然現象の発生が、何らかの霊的畏怖を生ぜしめると考えたからです。そして、道教、修験道、陰陽道など、民間信仰をバックヤードに持つ話であっても、超自然現象の発生のないときには、出現した鬼に、何らかの実体が持たれる可能性があると考えました。ですので、この点を調べることで、示されている感情が霊的存在への畏怖なのか、現実の事物への恐怖や対抗感情なのかが区別できますし、実体を持つ可能性のある鬼、すなわち人間そのものである可能性の高い鬼を剔出するための、ふるいになると見ました。
これらは13例(○印)。
△…鬼出現について、人為的な事件として説明ができる。超自然現象については「認識の相違」などとして排除しうる鬼説話。
これらは6例(△印)。
×…鬼のいない説話。言葉として「鬼」が出てくるだけで、鬼が出現していないことが明示されている鬼説話。もしくは他出典の同一説話において、鬼のいない鬼説話であることがすでにわかっている鬼説話。
これらは6例(×印)。
ただし、27-14「従東国人、値鬼語」については、③には該当するものの、途中から欠分につき、上記●○△×の観点での詳細を不明としました。また、いずれの観点でも、「←」以下は、新日本古典文学大系『今昔物語集』(校注:小峯和明)の脚注から出典ないし源泉を示すものとして一部を転記しました。
そのうえで、43例のうち、●○△×●印をつけたものと予備調査とを突き合わせた結果は、以下のとおり。
以下は、●もしくは○印のついた説話であり、鬼が出現することで形而上事物への畏怖を表現している説話です。
●12-28「肥後国書生、免羅刹難語」③④⑨……女・巨人・目が光る。口から雷のような光を出す。まず馬を食らう。
●14-35「極楽寺僧、誦仁王経施霊験語」②……誰の目にも留まらなかった僧の仁王経が熱病の悪鬼を払った。人の祈りは清い汚いに依らない。
●14-42「依尊勝陀羅尼験力、遁鬼難語」⑥⑨……大臣の子でいつまでも童子姿で女性のもとに通う男が、百鬼夜行にあたったが、阿闍梨が尊勝陀羅尼を書いてくれたのを衣の頸にかけていたので助かった。
●14-43「依千手陀羅尼験力、遁蛇難語」⑤……日蔵上人が、谷から上がれなくなったところを鳩槃荼鬼(くはんだき)と名乗る鬼神に助けられた。それから行くと、滝つぼに三熱の苦のある蛇が水に打たれて出たり入ったりしている。どんなに苦しいことがあるのだろうと悲しくなって蛇たちのために千手陀羅尼を誦んだ。
●15-4「薬師寺済源僧都、往生語」①……よく仏に仕えたが寺に借りた米を返していなかったので、死ぬときに地獄の使いの鬼が来た。
●15-46「長門国阿武大夫、往生兜率語」①……殺生を業としていたが持経者のおかげで蘇生し、その後善行を重ねて兜率天に往生した。
○16-32「隠形男、依六角堂観音助顕身語」⑥⑨(文中に「槌で打つ」も出てくる)……男は鬼どもの集団からつばをかけられ姿が見えなくなった。牛飼いの姿をした童が男を憑き物に苦しむ姫のところへ連れていき、姫を槌で打つ。その後、男も姫君も病気にならなかった。
●16-36「醍醐僧蓮秀、仕観音得活語」①……三途の川の奪衣婆。←法華験記・中・70
●17-6「地蔵菩薩、値火難自堂語」⑦……毘沙門天に踏まれた天邪鬼。←散逸地蔵菩薩霊験記
●17-25「養造地蔵仏師得活人語」①……病気になって死んだが仏師を養ったことが善根となり蘇生する。
●17-26「買亀放男、依地蔵助得活[語]」①……売り物の布を代価に亀を買って放生した男が、地蔵菩薩の導きにより、蘇生する。冥界で慈悲をかけた女と現世で再会を果たす。←散逸地蔵菩薩霊験記
●17-42「於但馬国古寺毘沙門、伏牛頭鬼助僧語」③←法華験記・中・57
●17-43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」⑦……女の形をした羅刹鬼に鞍馬寺に籠る修行僧が襲われる。毘沙門天を念じると木が倒れてきて鬼は死ぬ。翌朝、死体を確認する。←散逸鞍馬寺縁起
●17-47「生江世経、仕吉祥天女得富貴語」……吉祥天女の使いの鬼。恐ろしい姿をしているが、しゅだしゅだと呼べば答えて無限に米の湧き出る袋をくれる。
●19-28「僧蓮円、修不軽行救死母苦語①……悪行が積もって死んだ母の後生を、常不軽菩薩の行をもって弔う。母の首を袖に受けて泣く。母もまた泣く…
○20-7「染殿后、為天宮被嬈乱語」⑦……后についた物の怪を祈祷で落とすも后に愛欲の心をおこし、自ら命を絶ち、鬼となることで后との愛欲生活をほしいままにする。●20-15、摂津国殺牛人依放生力従冥途還語」①……鬼神を祀るために牛を供物にしていた人が、死後の世界で牛たちによって膾にされるところ、生前に放生供養をしていたため蘇生が決まる。
○20-18「讃岐国女行冥途、其魂還付他身語」①……死神の鬼が疫病神への供物を食べる。対象者に身代わりを差し出させたが閻魔王を騙すことはできず、。身代わりはもう荼毘に付されてしまったため、対象者の体に身代わりの魂を入れての蘇生となる。←日本霊異記・中・25
●20-19「橘ノ磐島、賂使不至冥途語」①②……大安寺の寺の金を元手に交易中、死神に狙われる。寺を利する途中であることから猶予を受け、鬼を饗応する。牛食、誦経、身代わりの供出を所望され、身代わりが殺されてついに死を免れる。←日本霊異記・中・24
○24-16「安倍晴明、随忠行習道語」⑥……天文博士で陰陽師、安倍晴明の伝記的な内容。幼い頃、陰陽師賀茂忠行に、霊鬼を見る才能を買われて教えを受け、さまざまな方術を使いこなすようになる。
○24-24「玄象琵琶、為鬼被取語」……見えないが琵琶の名器玄奘を弾く鬼。音色がどこまでもついてくる。
○27-13「近江国安義橋鬼、噉人語」③……橋の上で美女となって男に取り憑き、その後、弟に姿を変えて物忌を破らせ、男を殺害する。渡辺綱の鬼(茨木童子)退治原話とされる。茨木童子は後述する酒呑童子の配下。
○27-17「東人、宿川原院被取妻語」③……伸びてきた手に妻が引き込まれて戸が開かない。斧で戸を破ると妻は、無傷のまま吸い殺されたかのように息絶えていた。
○27-18「鬼、現板来人家殺人語」……板状の鬼。飛行し、帯刀しない侍を殺害した。
○27-19「鬼、現油瓶形殺人語」……油瓶状の鬼が踊り上がり、ある家に鍵の穴より侵入するのを藤原実資が目撃。その家の、病気になっていた娘が死んだ。
○27-22「漁師母、成鬼擬噉女語」⑦……猟師の兄弟が木の上で鹿を待ち伏せていると老人の手が伸びてきたので切った。その正体は立ち居もままならぬ老母であり、片腕を切られた老母はうめいて、子らにつかみかかろうとする。痛ましく年をとりすぎると鬼になる。
○27-23「播磨国、鬼来人家被射語」①……陰陽師が鬼の家に来るのを予言する。〈然様ノ鬼神ハ、横様ノ非道ノ道ヲバ行カヌ也。只、直シキ道ノ道ヲ行ク也〉と予言された鬼は現れ、「同じ死ぬならいっそ射よう」と射たら、鬼は消えた。
○27-35「有光来死人傍野猪、被殺語」①④……鬼ではなく猪だった。 〈死人ノ所ニハ必ズ鬼有リト云フニ、然カ臥シタリケム心、極テ難有シ。野猪ト思ル時ニコソ心安ケレ、其ノ前ハ、只鬼トコソ可思ケレ。〉
○27-36「於播磨国印南野、殺野猪語」①③……鬼ではなく猪だった。 〈葬送ノ所ニ必ズ鬼有ルナリ。〉
●31-27「兄弟二人、殖萱草紫菀語」⑧……兄弟の、親を想う心の深さに、墓の中から声がして、「我レハ汝ガ祖ノ骸ヲ守ル鬼也。」と声がし、亡き親を忘れたくないと願う弟に予知能力を授ける。←『俊頼髄脳』「忘れ草かきもしみみに植ゑたれど鬼のしこ草なほおひにけり」の和歌説話が出典。
以下は、△もしくは×のついた説話であり、怪異と見えたものが出現した鬼のしわざではなく、その可能性も含めて、実在の人間(動物)によるしわざと考えることのできる説話です。
△20-37「耽財、娘為鬼被噉悔語」⑦……財を積まれて娘の結婚を許すが、初夜に娘は頭一つ、指一本を残して食われる。←日本霊異記・中・33では「過去の怨」。
△27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」⑦……三人いた女の一人が男との恋の語らいに引かれていった。戻ってこないので見に行く足と手が離れたところにバラバラにされて殺されていた。←三代実録仁和三年八月十七日条
△27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」⑦……早朝、宮ノ司での勤務中に、血みどろになった頭と持ち物だけを残して殺されていた。扇に本人からダイイングメッセージ。内容不明。
△27-12「於朱雀院、被取袋菓子語」⑦
△27-15「産女行南山科、値鬼逃語」③⑦
△27-16「正親大夫、□(欠字)若時値鬼語」③⑦……正親大夫が宮仕えの女と廃屋であいびき中、鬼に出ていけといわれる。廃屋には鬼が住んでいた。女がその後、病気になったこととの因果関係が不明。
×27-7「在原業平中将女被噉鬼語」③←伊勢物語第6段に真相あり。
×27-44「通鈴鹿山三人、入宿不知堂語」③……〈実ノ鬼ナラムニハ、其ノ庭(その場)ニモ後也トモ平カニハ有ナムヤ。〉
×28-28「尼共、入山食茸舞語」
×28-29「中納言紀長谷雄家顕狗語」……鬼ではなく犬だった。〈実ノ鬼ニ非ネドモ、現ニ人ノ目ニ鬼ト見ユレバ、鬼トハ占いケル也。〉
×28-35「右近馬場殿上人種合語」
×28-44「近江国篠原入墓穴男語」
【分析と解釈】
①今昔27-35「有光来死人傍野猪、被殺語」の結論部には、次のようにあります。
〈死人ノ所ニハ必ズ鬼有リト云フニ、然カ臥シタリケム心、極テ難有シ。野猪ト思ル時ニコソ心安ケレ、其ノ前ハ、只鬼トコソ可思ケレ。〉
つづく今昔27-36「於播磨国印南野、殺野猪語」には、次のようにあります。
〈葬送ノ所ニ必ズ鬼有ルナリ。〉
どちらも鬼出現と思って対象を仕留めたら、屍肉を漁りにきた猪だったという話です。つまり、鬼のいない鬼説話です。しかし、「死人のところに必ず鬼がいる」「葬送のところに必ず鬼がいる」という言葉に、当時の人々の見方・考え方が示されています。
おもしろいものです。人々は厄介な問題、そのものを前に、このようなまとめ方をしないし、できません。まのあたりにする恐怖するばかりでしょう。鬼ではなかったとなって、厄介な実在が手を離れたとき、その〇〇について、うわさしつつ共有し、このようなものだとして一般化が進められます。こうした一般化をプロセスに持つほど、鬼出現は、身近な人の死と深く関係し、鬼たちは、誰かが亡くなるたびに、その出現を人々に意識させていたのでしょう。
①の例が、突出するはずです。
②疫病に関係する鬼の例が少なかったのが、意外でした。病気をもたらすものの多くは、「おに」というよりは、「もの」、すなわち物の怪として認識されていたのかもしれません。20-7「染殿后、為天宮被嬈乱語」において、染殿后の病気は憑き物のしわざであり、后の「もの」を祓った徳の高い聖が、后への愛欲から極めて強力な「おに」となるストーリーにおいて、今昔の扱おうとしていた鬼が、物の怪と区別されていたことが、うかがえます。
では、物の怪と区別された「鬼(のしわざ)」とは、どのようなものだったのでしょうか。⑦と併せて⑶にて、後述します。
③の廃屋、古寺、橋などは、市井の人の棲まない地場。日常と非日常の境界です。特に橋は、甚だ凶悪なる鬼の出現地であり、27-13「近江国安義橋鬼、噉人語」は、渡辺綱による鬼(茨木童子)退治の原話ともされています。茨木童子は後述する酒呑童子の配下の鬼であり、『今昔物語集』には、この後の時代、鎌倉や室町時代に造形される鬼説話の舞台となる地や、土台となるストーリーが含まれています。
④は、死体のリンが発光するという科学的な説明を、現代ではつけられるとしても、当時としては超自然の現象であり、畏怖の対象だったでしょう。
⑤ここでは滝つぼに大量の蛇が登場します。鳩槃荼鬼(くはんだき)と名乗る鬼神が登場し、谷から上がれなくなった日蔵上人を肩にかけて助けますが、加害はしません。今昔で蛇神は本朝部より震旦部に見られ、鳩槃荼鬼は、吉野山中の瀧に由来する水神でしょうか。
⑥百鬼夜行とは、化け物の行列。いずれも火を燃やしながら、がやがやとやってきます。
⑦は、17-43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」、20-7「染殿后、為天宮被嬈乱語」、20-37「耽財、娘為鬼被噉悔語」、27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」、27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」、27-12「於朱雀院、被取袋菓子語」、27-15「産女行南山科、値鬼逃語」、27-22「漁師母、成鬼擬噉女語」の各話が該当します。そのようにとらえた理由を後述します。
⑧拙考にて前述しました。
⑨12-28「肥後国書生、免羅刹難語」の女鬼の口から出る光は、火花を想起させます。14-42「依尊勝陀羅尼験力、遁鬼難語」、16-32「隠形男、依六角堂観音助顕身語」ではいずれも、異形の鬼の集団が、火を燃やしながらガヤガヤとやってきて、特に後者では、鬼たちによって男にかけられた、姿が見えなくなる呪いを解く動作として、童子が姫を槌で打ち、姫は憑き物が落ち、男は姿が見えるようになります。昔の人々は、溶鉱炉の炎や鍛冶の火花に異界を感じていたのでしょうか。
⑶ 事件簿としての 『今昔物語集』
さきに「心の鬼」について触れましたが、紫式部が「祟りではなくて疑心暗鬼に駆られているだけでは?」と看破したように、超自然のできごとのように見せかけて、本当は、人間のしわざではないかと思える話が、とても気になります。鬼のいない鬼説話に、厄介事が一般化されるプロセスを示されるように、人間のしわざであることを鬼のせいにしておくという、持って行きようのうちには、解決の困難な物事に直面したとき、当時の人々がそれをどのように扱おうとしたのかが、示されていそうです。
17-43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」、20-7「染殿后、為天宮、被嬈乱語」、20-37「耽財、娘為鬼被噉悔語」、27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」、27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」、27-12「於朱雀院、被取袋菓子語」、27-15「産女行南山科、値鬼逃語」、27-22「漁師母、成鬼擬噉女語」について、これらを事件として見た場合、どのようなことが見えてくるか、考えました。
●説話、○説話
17-43「籠鞍馬寺遁羅刹鬼難僧語」で登場する女の鬼は、女の羅刹鬼が襲ってき、激しい攻防ののち、修行僧は毘沙門天に救いを求めました。すると、鬼の上に木が倒れてき、翌朝、鬼は、倒木で死んでいることが確認されます。次の日に死体を確認できたということは、この鬼はもとは人間でしょう。
20-7「染殿后、為天宮被嬈乱語」の鬼は、初めから鬼だったわけではありません。金剛山の聖人が、生前の愛欲を果たすために自ら命を絶って鬼となる、その経緯までがわかります。
この二つの説話の、鬼のポートレートからいえることは、もとは生きた人間であったということです。
△説話
27-12「於朱雀院、被取袋菓子語」は、入れ物にいれた菓子を預かったのに、中身だけを知らないあいだに抜き取られていたという話です。その話は、初めから何も入っていなければ、中身だけを取られたりしないでしょうし、
27-15「産女行南山科、値鬼逃語」は、宮仕えをしていた女が老婆に匿われ人知れず子を産みますが、その老婆を鬼と疑って逃げ出す話です。しかし、女が疑っただけで、鬼らしい犯行が見当たらず、追い詰められた状況のなかで出てきたものを鬼と思い込んだ可能性を捨てられません。
27-16「正親大夫、□若時値鬼語」は、ひとけのない場所で、逢瀬の最中に出てきたものを鬼と思ったことと、その後、女が病気になったこととの因果関係がつかめません。
△説話のうち、以下の3件には、特徴があります。いずれも、いわゆるバラバラ殺人であることです。
20-37「耽財、娘為鬼被噉悔語」(相手が鬼と思わず結婚をゆるし、その初夜に襲われ、女が頭と指一つだけを残す)
27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」(恋の語らいに引き入れた女が『襲われ、足と手をバラバラに離して残す)
27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」(官吏が早朝の出仕中に襲われ、頭と持ち物だけを残す)
超自然的な現象を含みませんが、殺害の状況が残虐きわまりないため、超常的現象に匹敵する衝撃をもたらします。
よほどの怨みを買っていたり、貴人や権力者が死体愛好者であったり、漢方薬として贓物を求めていたり、あるいは、暗殺不履行の見せかけ工作に、殺害証拠としての代替死体(部分)を必要とするなど。つまり、バラバラ殺人だからといって、超自然現象とは限らないのです。人間のしわざであるところまで、超自然現象と見せかける、このような演出は、説話と実社会とのかかわりを希薄にします。
超自然現象としか思われない、不可思議なことほど、原話が存在するはずです。なぜなら、もととなる実話なくして、貴族の宮廷生活の平穏を破るようなバラバラ殺人のストーリーを考えついても、おなじ貴族である周囲の人々に受け入れさせることが困難だからです。
たとえば、『伊勢物語』第6段が書かれたのと年代の近そうな27-8「於内裏松原、鬼、成人形噉女語」(887年)の出典は、『日本三代実録』の仁和三年(887年)。
27-9「参官朝庁弁、為鬼被噉語」は出典未詳ですが、今昔によると、清和天皇の頃。このどちらか、あるいは両方が実話として実存して、のちに、『伊勢物語』第6段が「鬼」の表現を伴って書かれたと推察すれば、自然なように思われます。
20-37「耽財、娘為鬼被噉悔語」については、因果応報が示されており、仏教説話の側面もまた、ありますが、出典は『日本霊異記』の中巻33縁。霊異記の中巻33縁に示されているわざ歌が、今昔の20-37には除外されており、このできごとへの解釈が違ってきます。出典では前述したように、殺害された娘が主体となって、娘の「過去の怨」を報としますが、その因果関係については記されていません。今昔では、娘ではなく、題名に「たからにふけりて、むすめをおにのためにくはれてくいること」となっているように、親の物欲が原因となって娘を殺害されるという、親が主体の因果応報です。
超自然の現象についてですが、この説話で超自然的に感じられるのは、財物が獣骨に変わり果てていたくだりです。しかし、翌朝まで車に乗せたままだったのだから、よく見ていなかったことがわかります。つまり、犯人は、初めから獣骨だったのを、見せかけていたととらえられます。
非常に驚いたことやどうしようもないことを、鬼のしわざと考えようとした痕跡が、今昔では、自覚的に見られます。
今昔20-37が親の因果による現報とし、霊異記中巻33縁では娘本人による過去の怨とします。娘にも親にも、悪根といえるほどの悪業を見出だせないから、このように相違するのであって、本説話を仏教説話と仕立てながらも、超自然による現象としてその因果関係を説明しきることに、つまずいているのです。恐ろしい目に遭うのは、なぜかということ。
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