ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

2023年04月09日 | 誰も逆らえない巨匠篇

フランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカスの尽力により、米国大手スタジオ20世紀FOXからの配給が決まった前作『影武者』は、あくまでも本作の代案だった。城の炎上シーンなどに金がかかりすぎる、というのが理由だったとか。しかし夢を諦めきれなかった巨匠黒澤明は死ぬ前に一度、時代劇をシェイクスピア風に演出してみたかったのだろう。仲代達矢演じる武田信玄が頓死するシーンなどが、どうりで演劇ぽかったわけである。

満を持してその次に製作されたのがこの『乱』である。ご覧になった通り、シェイクスピアの『リア王』に着想を得ている、というかまんま『リア王』なのである。隠居して家督を長男に譲った架空の元戦国武将一文字秀虎(仲代達矢)が主人公。長男太郎(寺尾聰)の嫁楓(原田美枝子)の策略で邪険に扱われた秀虎は、次男の次郎(根津甚八)を訪ねるのだが、これまた冷たくあしらわれ城を追い出されてしまう。頼るは、ちょっとした口論が原因で親子の縁を切ったばかりの三郎(隆大介)だけになった秀虎は....

このストーリー、シネフィルの皆さんならとっくにお気づきかと思われるが、実は小津安二郎監督『東京物語』と瓜二つなのである。戦後核家族化の浸透による日本の家族制度崩壊を憂えた小津の代表作である。黒澤明が『リア王』の物語を通じて訴えたのは、“この世=地獄”である。戦国時代の勝ち組大名が、家督を生前贈与したとたん息子たちからは城を追い出されて、なんの因果か自らが滅ぼした大名と同じ末路を辿りついに発狂する。そんな狂った秀虎に唯一優しく接してくれた次男の嫁すえ(宮崎美子)や三郎も合戦の犠牲者となり絶命してしまう。

本作が公開された1985年は、プラザ合意によりドル安円高に誘導された日本が、あのバブル景気にわき返る直前だったのだ。周囲が浮かれきっていたそんな時代に黒澤は、私利私欲に突っ走った日本人が底なしの地獄へ真っ逆さまに落ちていくことをすでに予想していたのかもしれない。秀虎のお世話役狂阿弥(ピーター)にこんな台詞がある。「こんな狂った世の中で狂っていれば正常だよ」バブルの狂気にのみこまれ精神を蝕まれていく日本人を見て巨匠黒澤は何を思ったのだろうか。

絶体君主が仏心をだした途端、その恩を忘れ平気で手のひら返しをする息子や家来たち。もはや誰が味方なのかも判別できないくらいに、城の中も外も裏切り者と敵だらけ。皮肉なことに、怨恨に凝り固まっていたがために一人平静を保っていた女狐に騙され、私利私欲に目が眩んで親兄弟同士で争う人間のあさましさを、これでもかと醜く描いた地獄絵巻なのである。そこは仏の声ももはや届かない無間地獄であり、日本人は、いな神も仏も一緒になって狂うことしかできないのではないだろうか。

監督 黒澤明(1985年)
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