『シェーン』『ジャイアンツ』の監督としても有名なジョージ・スティーヴンスによる本作は、上流階級=陽の当たる場所に憧れる青年の悲劇を描いたモノクロ映画。前半は工場作業員とセレブお嬢の二股をかけるジョージ(モンゴメリ・クリフト)のメロドラマ、後半は身重の元カノアリス(シェリー・ウィンタース)殺害の容疑でジョージが裁判にかけられるクライム・サスペンスとなっている。
叔父さんが社長を務める水着工場で見初めたアリスといい仲になるジョージ。今の日本と違って社内恋愛はご法度なので人目を避けてこそこそ付き合っているうちにアリスが妊娠、セレブが集まるパーティーで知り合ったアンジェラ(エリザベス・テイラー)と恋に落ちたジョージは、結婚を迫るアリスが邪魔になり殺害計画を思いつくのだが…
小津と同じ従軍経験にあるジョージ・スティーヴンス、戦後再びメガホンを握るようになってからは作風ががらりと変わったそうだ。単なるエンターテインメント・クリエイターから、心の内面に暗い影をかかえた主人公を描くことが多くなったような気がする。一見痛快西部劇に思えるあの『シェーン』においてもアラン・ラッド演じる主人公が、人を殺めたことに対して異常な罪の意識をいだいていたからこそ、映画史の中に名作として刻まれたのである。
大学も出ていないジョージが、叔父の経営する工場で身内というだけであれよあれよと部長に昇進、上流階級の仲間入りをはたそうと野心を抱いたとしても何等不思議ではない。強欲は善とする現代の資本主義社会ではむしろ当たり前で好ましいとされること。しかし、小さい頃から布教活動に熱心な母の手伝いをしていたジョージにとって、アンジェラやその友人たちとの陽の当たる場所でのお付き合いは、どこか違和感を感じさせる落ち着かないものだったのではないだろうか。
裁判で絞首刑が決まったジョージの元に、母親と神父がお別れにやってくるシーンが印象的だ。「死を怖れるな、魂は不滅よ」と息子にキリスト教の教えをとく母親に対し、神父は「あなたの魂は既に滅んでいた」とジョージに伝えるのだ。湖で溺れそうになるよりも前に、再会したアンジェラに対しジョージがこう囁くのだ。「会った時から好きだった、もしかしたら会う前から好きだった」それは、一女性としてのアンジェラではなく、出会う以前からゴシップ紙に掲載されていた写真を見て、上流階級への憧れを抱いていたジョージの錯覚がそう言わせたのかもしれない。
金に目がくらみ権力にすり寄った貧乏人の末路はあわれである。貧困というこの世の真実を知っているからこそ、好むと好まざるとにかかわらず、上流階級という虚飾で塗りかためられた嘘に自ずと気づいてしまうからではないだろうか。従軍経験のある監督ジョージ・スティーヴンスもまた、おそらく戦争というもう一つの真実を知ってしまった犠牲者なのであろう。
“一度人を殺めた者は元には戻れない”
『シェーン』より
陽のあたる場所
監督 ジョージ・スティーヴンス(1951年)
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