ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いおやじの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ある一生

2024年04月26日 | 映画評じゃないけど篇


架空の山村で暮らしたある男の一生は、世界の構造を説明しようとした寓話にはなっていないという。私生児として産まれたエッガーは、牧場主である男に拾われたはいいものの、重労働と暴力のせいで足を骨折、以後足を引きずるようにしか歩けなくなってしまう。「今度俺をなぐったら殺す」初めて男に反抗したエッガーはその場で家を追い出され、誰とも交わらず山の中で暮らすようになるのだ。

遭難しかけていたヤギ飼いを救助したエッガーだが、ヤギ飼いは吹雪の中姿を消してしまう。宿屋で給仕をしていたマリーという女と知り合いやがて結婚、そして死別。その後戦争と平和を経験したエッガーは、死の間際このヤギ飼いと再会するのである。数十年間氷の中に閉じ込められていた死体が、スキー客によって発見されたのだ。片足がもげた状態で見つかったヤギ飼いの死体はどこか象徴的で、あの日エッガーと出会っていなければそうなっていたかもしれない、エッガー自身の姿だったのだろうか。

家族もいて、(無駄な)物に囲まれた冷暖房完備の部屋で何不自由なく暮らしている人が本書を読むと、「なんて不幸な人生なのかしら」という感想を持つに違いない。しかし、自分の死期をさとったエッガーは自らの人生を「概ね満足のいくものだった」と振り返るのである。そんなエッガーの述懐が読者の心に自然と刺さる飾り気のない文体は、本書がまったくのフィクションでありながら、ノンフィクションと同等の重力を与えることに成功している。

ヴィム・ヴェンダース監督の『PERFECT DAYS』を観た時にもふと思ったのだが、一度物質文明に洗脳されてしまうと人間物を買わずにいられなくなるのである。生まれつき親の愛も与えられなかった私生児で、束の間知った愛も失い、人のやりたがらない仕事や捕虜としての重労働を押し付けられても、むしろやりがいを覚える無欲な男エッガーは、物質主義の恩恵を受けまくっている我々とは対極に位置する“悟り人”といってもよいだろう。

足に聖痕を負った私生児で仕事は大工、マリアならぬマリーという名の女と結ばれ、人命救助の奇跡を度々起こして見せたこのエッガーという男は、もしかしたら救世主イエス・キリストの生まれ変わりではなかったのだろうか。本書が世界の仕組みを説明していないと書評家は語るけれど、そんな救世主が“狂人”と疑われ、世間から疎んじられる現代社会の世相を、逆説的に反映させた小説とはいえないだろうか。読後に神の恩寵にも似た優しさにふれたような気になるのは、多分そのせいなのだろう。

ある一生
著者 ローベルト・ゼータラー(新潮社)
オススメ度[]


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