ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

永遠の0

2024年06月19日 | ネタバレなし批評篇

「『永遠の0』はつくづく可哀想な作品と思う。文学好きからはラノベとバカにされ、軍事オタクからは(壬生義士伝の)パクリと言われ、右翼からは軍の上層部批判を怒られ、左翼からは戦争賛美と非難され、宮崎駿監督からは捏造となじられ、自虐思想の人たちからは、作者がネトウヨ認定される。まさに全方向から集中砲火」これは累計400万部以上を売り上げたという百田尚樹氏のベストセラー原作小説に対する批判をまとめた記事の一部分である。

百田自身は「小説のなかで特攻を否定したつもり」だと明言しているのだが、どうも周りがそれを認めないらしい。売れっ子作家というのはつねに他人のやっかみを買うものなのである。「今、零戦の映画企画があるらしいですけど、それは嘘八百を書いた架空戦記をもとにして、零戦の物語を作ろうとしているんです。神話の捏造をまだ続けようとしている。『零戦で誇りを持とう』とかね。それには僕は頭にきてたんです。子どものころからずーっと!」とは宮崎駿のコメントである。

私は百田の原作小説を読んだことが無いのだが、山崎貴監督の映画化作品を見て一つ感じたことがある。もしも“反戦”や“反特攻”を描くのだったら、決して映画の中にスペクタクル・シーンを入れてはならん、ということ。しかし、製作サイドとしては、零戦による格好いい空中バトルシーンを入れないわけにはいかないのである。興行成績に雲泥の差が生じることが、はじめからわかっているからだ。スカイ・アクションの無い“トップガン”なんて誰が想像できるだろう。

もしも、戦争相手国が現在同盟国のアメリカではなくロシアや中国だったら、アンチたちの反応もまた違っていたのかもしれない、そんな気がするのである。海軍一の臆病者とあだ名された宮部(岡田准一)が、実は最も優秀で勇敢な零戦パイロットだった。その孫にあたる三浦春馬が特攻の生き残りたちを訪ね、祖父の人となりを探らせる構成はなかなか面白い。橋爪功が語るエピソードまではそれなりに感動できたのだが、その後延々と続く“ほめ殺し”に少々しつこさを感じてしまったのである。

物語のクライマックスとして、読者や観客が期待している“玉砕シーン”を是が非でも入れたかった、原作者ないし映画監督の魂胆が見え見えなのである。グローバリズムの反動として世界が一気に右傾化しはじめている現在でも、本作はやはり“右翼エンタメ”として批判されるべきなのだろうか。むしろ、日本を、家族を守りたい、という特攻に志願した若者たちの純粋な思いを利用しようとしたのは一体誰だったのか、もう一度冷静に考えてみる必要があると思うのである。戦争が“物語”としてではなく、現実的な“ビジネス”として利用されている時代だからこそ尚更なのだ。

最後に、玉砕の際に宮部が浮かべたニヒリスティックな笑みについてふれておかなければならないだろう。家族のもとへ帰るため自らの能力を隠し続け、ついぞ正当な評価を受けることがなかった男(永遠の0)が、最後の最後に魅せた極限の飛行技術。しかし、それを目撃した者は敵方の空母に乗船していた米海軍兵士のみという、なんとも皮肉な状況において思わず浮かんだ、どこか自虐的な笑みだったのではないだろうか。CGを駆使した特撮技術だけがとかくクローズアップされがちな山崎貴監督とどこか重なる宮部の最期は、やはり(著名ハリウッドスターが演じる)米海軍の生き残りに証言させるべきだったのかもしれない。

永遠の0
監督 山崎貴(2013年)
オススメ度[]


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