ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ

2024年06月23日 | 映画館で見たばっかり篇


親指をたてながら映画館のエレベーターに乗り込んできた川平慈英氏は、映画を見終わった後至極上機嫌だった。70年代のハリウッドで盛んに作られた“ニューシネマ”独特のほんわかとした優しい雰囲気に包まれたのは本当に久し振りな気がする。私とほぼ同年代の川平氏も、おそらく同じ気持ちにひたっていたにちがいない。

修復映画の収集家としても知られている監督のアレクサンダー・ペインは、アイデアの源泉として30年代に作られたフランス映画の名前を上げていたが、本映画の基本的構成は英国パブリックスクールを舞台にした古典ドラマ『チップス先生さようなら』にとてもよく似ている。生徒に嫌われていた堅物教師が、新妻の死によって生き方を見直し、悪戯ずきな生徒たちに心を開いていくストーリー。

主人公のハナムは、ギリシャローマ史を専門とする全寮制高等学校の歴史教師。出自に関わらず情け容赦なく生徒を落第させるハナムは、その斜視を生徒たちにバカにされ、ひどい体臭のせいか女性とも縁のない学校中の鼻つまみものだ。実際寮生活の経験がおありになるというポール・ジアマッティの、まさにはまり役といってもよいだろう。はじめからジアマッティを宛がきにしたシナリオだけのことはある。

クリスマス休暇でも帰る場所がないハナム、そしてベトナム戦争で一人息子をうしなったばかりの給仕長メアリー(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)、勉強はできるけど母親からは問題児あつかされているアンガスの3人が、誰もいなくなった学校で寂しいクリスマスを祝うことになる。これだけならば物語の設定をわざわざ70年にする必要もないし、そしてなによりも現代のアメリカに通じるメッセージ性がいまいち伝わりにくいのである。

当時のベトナム戦争によって間接的に傷ついた3人の物語として本映画を観たらどうだろう。過去にハナムは戦争に志願したものの身体的理由で入隊試験に落第、メアリーの息子カーティスは戦争で帰らぬ人に、そしてアンガスはこの学校で今度問題をおこせば陸軍士官学校送りとなり、将来的にはベトナム送りにもなりかねない身なのである。つまりこの3人、(ベトナム戦争時期の)過去、現在、未来において、いつのまにか“スクルージ”化させられ、PTSDを背負わされたアメリカ人の象徴でもあるのだ。

そんな心の“残留物”を取り除く処方箋として提示された心優しき物語は、他国の戦争(ウクライナ、ガザ)への武器供与のため多大な負担を強いられている現代のアメリカ人の心にやはり響くものがあるのではないだろうか。普仏戦争直前のイギリスで反愛国教育にこだわったMr.チップスのように、あるいは『自省録』を記したローマ帝国衰退期の皇帝マルクス・アウレリウスのごとく、コスモポリタズムに基づいた寛容の精神を、分断が叫ばれているアメリカ人に今一度思い出させようと試みた1本だったのではないだろうか。「歴史とは過去を学ぶだけでなく、今を説明すること」なのだから。

ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ
監督 アレクサンダー・ペイン(2024年)
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