ネタばれせずにCINEるか

かなり悪いオヤジの超独断映画批評。ネタばれごめんの毒舌映画評論ですのでお取扱いにはご注意願います。

世界中がアイ・ラブ・ユー

2018年11月25日 | なつかシネマ篇

マルクス兄弟主演のコメディ映画に使われた歌の題名がそのまま本作のタイトルに。最近は、幼児性愛疑惑ですっかりマスコミの餌食になっているウディ・アレンだが、本作が公開された1996年はいわばウディの絶頂期。ノーギャラでもウディの映画に出たがっているハリウッド・スターがごまんといたとかいないとか。それが理由かどうかはわからないが、ビックスターたちの名前が本作にはこれでもかとクレジットされている。アラン・アルダ、ゴールディ・ホーン、ドリュー・バリモア、エドワード・ノートン、ナターシャ・リオン、ナタリー・ポートマン、ティム・ロス、ジュリア・ロバーツ…。グランドホテル形式のミュージカル版といった趣だ。

そんな豪華なメンバーが、ミュージカルともしらされずにウディの元に招集されたというから驚きである。フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースが見たらびっくりして棺桶から飛び起きてきそうなド下手な歌とダンスを、まるで拷問のように披露させられているのだ。あまりにも歌が下手すぎたドリュー・バリモアなどはやむおえず口パクでの独唱シーンになってしまったとか。そんなウディ・アレンの毒気にさらされなかったのは、刑務所出たてのチンピラを演じたティム・ロスとミュージカル・ダンサーとしての経歴もあるゴールディ・ホーンぐらいで、後は見るも無惨な醜態のオンパレード。それがプロ集団のダンスの合間に挿入されるため目立ってしょうがない。普段はお高くとまっているスターたち大いに恥をかいたことだろう。

また、本作にはそんな(正統派ミュージカルに対しての)パロディ要素の他にも、1930代~50年代のコメディ&ミュージカル映画にオマージュをささげたシーンがテンコ盛りだそうなのだ。故淀川長治氏によれば、マルクス兄弟にエディ・カンター、モーリス・シュバリエ等の持ち歌が存分に散りばめられているそうで、高級宝飾店、病院、斎場で展開される抱腹絶倒の集団ダンスシーンにも、そのエッセンスが生かされているとか。ミュージカルにはとんと疎い私だが、ジョギング中のジュリア・ロバーツを待ち伏せ追いかけるシーンは『ベニスに死す』、セーヌ河畔で繰り広げられるウディとホーンのエアロダンスは『巴里のアメリカ人』のパロディとみて間違いないだろう。そもそも街中を普通に歩いている人々が突如として歌い出し踊り出すこの違和感に目をつけて、パロディのネタに昇華させたウディ・アレンジ?はさすがである。

公開当時世界中から俳優たちにラブ・コールを受けていたウディ・アレン。お前たち映画のこと本当にわかってんの?リスペクトをささげるべきは俺じゃなくて映画そのものの方だろとばかり、生歌披露で大物ハリウッド・スターたちに大恥をかかせたかと思えば、オタク魂全開で映画評論家でさえ知らないような古ーい映画に愛をささげた1本。パロディ(毒気)とオマージュ(尊敬)の違いをこれほどはっきり描いた映画も他にないのではないか。服や物には寿命があるが音楽には寿命がない、というようなことを誰かがが言っていたが、『巴里のアメリカ人』をパロッた本作が、昨年ミュージカルとしては異例の大ヒットを飛ばした『La La Land』でまたまたオマージュをささげられる。音楽にのったダンスにもまた寿命がないことを本作は教えてくれた。

世界中がアイ・ラブ・ユー
監督 ウディ・アレン(1996年)
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