退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

「みんな仲良くしましょう。」はいじめの原因!?(5)

2019年09月03日 23時25分00秒 | 日記

 justice に関して研究が盛んで一定の共通理解が形成されている国の代表は米国ですね。

 中でも John Rawls の A Theory of Justice(1971)は justice に関する代表的なテキストのひとつだとされています。

 もとより、ここで本書を詳細に紹介することはできません(訳本として「正義論」(2010年)(紀伊国屋書店)が出ていますので是非ご一読ください。)が、私が通読して得た認識を極々簡単に文字化すれば「正直者が馬鹿を見ない仕組(状態、制度)」と言ってよいかと愚考しております。

 我が国では「自由や平等が大切である。」としばしば言われます。

 そしてさらに教育の場では「親切」だとか「愛情」だとか「思いやり」などという、いわば道徳や倫理の領域に属する言葉が頻繁に使われます。

 もちろんこれらは重要です。

 しかし、小学校や中学校、そして高校でも、種々の科目の中で自由や平等や平和について学ぶ機会は多く提供されているようですが「正義(=justice)」について学ぶ機会は多くないようです。

 しかし、この justice こそが種々の難しい問題を解決する際に必要となる決定的な物差しであることを認識すべきだと思います。

 法学では「正義、自由、平等」という順番で法概念を紹介しますが、この順序は気まぐれではなく原理として重要なものから並べているのです。

 正義が実現されていない社会で自由や平等を強調すると弱者が排除され、弱者が不利益をこうむり、弱者が虐げられます。

 John Rawls は同書のなかに「justice as fairness」という章を置き fairness との関係について詳論しています。

 fairness は日本語では公正と訳されますが、その概念内容は若干不明瞭なままにされているようです。

 私は、訳語は公正でも構いませんがその内容を実感として理解するひとつの方法として fair の反対語である unfair の意味からご案内しています。

 unfair とはどんな内容でしたでしょうか。

 「不公正」ですか。
 
 fair に un が付いたのですから「公正」に「不」をつけて「不公正」とすれば単語のテストならば正解です。

 しかし、これでは概念内容は分かりませんね。

 unfair とは「やり方が汚い」という内容(≠訳)だと私は習いました。


(つづく)

「みんな仲良くしましょう。」はいじめの原因!?(4)

2019年09月03日 17時36分59秒 | 日記


 イジメ自殺で記者会見に応じる学校関係者が、「イジメがあったとは承知していない。」とか「イジメがあったとは認識していない。」として「知らなかった」と応答する場面をテレビでしばしば見ます。

 しかし、あながち「逃げ」ではないのかもしれないなと思えるときもあるのです。

 上記の「消しゴム貸して事件」は特異ではなく頻繁に起きそうな気がします。

 そして、Bさんだけで止まればA君が自殺するなどという悲劇には至らないかもしれません。

 しかし、上記の「消しゴム貸して事件」よりも悲惨な状況が生じた場合、A君はさらに深刻な選択を迫られるのではないでしょうか。

 しかし、学校関係者、とりわけ先生には事態の出発点が見え難いのかもしれません。

(justiceの視点から眺める「消しゴム貸して事件」)
 さて、ところで、この「消しゴム貸して事件」ではもう一つ、法学の大原理であるjusticeの問題が提起されているのです。次にこの問題について簡単にご案内いたしましょう。

 justiceを日本語で正義と訳しているのは周知のとおりですが、ここではjusticeの文字のままご案内したいと思います。

 その為にはjusticeと正義の違いについてお示ししておく必要があるでしょう。

 我が国では一部の専門家を除くと、justiceの概念を口にする人は少ないようです。

 ましてや正義を話題にする学者も多くは無く、学者の中にも正義を話題にすると、「世界観によって正義の内容も変わるから」と言って「正義(=justice)」を法学の基礎とすることに懐疑的な人もいます。

 justiceが正義という日本語になると概念内容が曖昧なものだとされる傾向があります。

 したがって、私はこの種の議論に入るときは「正義」という文字列ではなくjusticeを用いることにしています。

 「正義(=justice)」を法学の基礎とすることに懐疑的な人がいるとはいえ、日本国憲法の思想的かつ理論的背景にAnglo-American Legal System(英米法系)という法体系があることに争いはないでしょう

 そしてjusticeはこの法体系の中核となる概念だとされています。

(つづく)

「みんな仲良くしましょう。」はいじめの原因!?(3)

2019年09月03日 13時57分56秒 | 日記
 困難な状況に置かれたA君ですが、「みなさん仲良くしましょうね。」という先生の絶対的命令があるのでCさんとも仲良くしなければならないとA君は考えます。

 したがって、次にCさんから消しゴムの借用依頼があったときのためにA君はCさんに貸すために消しゴムを準備することになります。

 ここにA君が将来凄惨なイジメにあう萌芽があることに皆さまは気付かれますか。

 この時点でA君は今後借りに来るかもしれないD、E、F、Gのことも考えておかなければならなくなります。

 このときの貸し借りの対象は消しゴムです。

 しかし、多少年齢が上がり、児童や生徒が必要とする物に変化が生じるとA君に誰かが借りに来るものも変化します。

 消しゴムが鉛筆に変化し、それがノートに変化するかもしれません。

 このような変化が始まるとその後はA君から借りられそうなものならば何でも、誰でもA君に借りに来ることになります。

 いま「誰でも」という表現をしましたが理由はお分かりですね。

 Cさんがノート(例えば、リーフ紙一枚)をA君から借りたとします。

 そうすると他の人もA君に言えばノート(前同)を貸してくれると感じます。

 そうして、次にDさんがノートを借りに行ったとき万一A君が拒否するとDさんは何と言うでしょうか。

 「Cさんに貸してあげたのになぜ私には貸してくれないの。不公平だ。」とA君に詰め寄るかもしれません。

 A君はもはや誰に対しても要求された物を貸さなければならない立場に置かれてしまったのです。

 すでにお気付きの人もいるでしょう。

 A君はそれほど遠くない時期に「お金を貸してくれないか。」という依頼を受けることになります。

 そのようにして多額の金銭を集団から要求されるという事態も容易に想起できるでしょう。

 A君に起きたこの一連の出来事は先生の「A君、意地悪をしないで貸してあげなさい。Bさんが困っているのだから。」という発言に端を発しているのです。」

 「飛躍がある」とお考えですか。

 私はそうは考えません。

(つづく)

「みんな仲良くしましょう。」はいじめの原因!?(2)

2019年09月02日 23時46分01秒 | 日記
 それでは、先生の発言が間接的にイジメの遠い原因になる理由のご説明を始めましょう。

 A君は自分が使うために消しゴムを準備してきました。

 これに対して、Bさんは先生の事前指導に反して消しゴムを準備していませんでした。

 本来ならばBさんは自分の準備不足から生じた事態なのでその不便さや不利益を甘受すべきであるはずです。

 しかし、Bさんはこの不便さや不利益をA君に転嫁するために先生にアピールしBさん自らは不当な利益をえることになりました。

 この説明がお分かりいただけますでしょうか。

 Bさんは消しゴムの事前準備義務に違反したにもかかわらず消しゴムを使う利益を得ています。

 しかもその利益はA君の「一時的とはいえ消しゴムを使えない不利益」に乗ったものです。

 ここで「乗る」という表現をしましたが、欧米の哲学書、なかんずく正義論に関する哲学書ではBさんの行為を「free ride(フリーライド)」(「タダ乗り」)だとして、「許されない行為」だと評価しています。

 それにもかかわらず、先生はA君に不当な我慢を強いたわけです。

 この「不当な我慢を強いられた」というA君の状態は他の児童や生徒に素朴ながら微妙な心理的影響を与えることになります。

 それは、「A君は多少無理なお願いでも受け入れてくれるかもしれない」というものです。

 ここでは過去の実際にあった事実を抽象化して描写していますが、皆さまが生きる現実の外界にも、程度の差こそあれ、このような事があるのではないでしょうか。

 「A君は我慢強い子だ」

 「A君の行動は先生に否定された」
 
 「A君にならば消しゴムを借りてもいいんだ」

 こうしたA君に対する(A君にとっては負担となる)評価が、「不当な利益」を得られることを知った人の間で一気に広がるのです。

 その後しばらくして、A君にCさんが消しゴムを借りに来ます。

 A君はBさんの件がありましたからCさんの申出を拒否できません。

 しかし、Bさんに貸した消しゴムを返してもらっていない時点でCさんの申出があるとA君には貸す消しゴムがありません。

 このときA君が採りうる手段には複数のものがありますがその選択の余地は限られています。

 ここはA君の将来にとって大変難しい選択となり、岐路ともなります。

 A君が毅然として、「Bさんが使っているから貸してあげられない。」と答えることができればいいのですが、そうでないとCさんは消しゴムを借りられないことに不満を抱き「Bさんには貸しても自分には貸してくれないんだ。」と居直ります。

 A君にはすでに先生という「権威者」から「貸してあげなさい」という指示を受けているので貸さないという選択肢は絶対にありません。

 A君は大変厳しい状況に立たされてしまいました。

(つづく)


「みんな仲良くしましょう。」はイジメの原因!?(1)

2019年09月02日 19時53分35秒 | 日記

 大卒新規採用公務員の研修でのことでした。

 担当していたのは法学系の科目。

 そして小学校や中学校のイジメの原因について考えていました。

 このとき、「とりわけ小学校の入学式や始業式でしばしば先生が『みんな仲良くしましょう。』とか『友達をつくりましょう。』とおっしゃいますが、これがイジメの遠い原因になることにお気付きですか。」と問いました。

 「なるほど!」と直感的に分かった人が数名いました。さすがです。

 他方、「なぜですか?」と疑問に思った人が少なくない数でいました。

 そこで、このことについて少し考えてみたいと思います。

 これを考えるにあたり、ある小学校の2年生の教室で実際に起きた事件を紹介し「仲良くしなさい。」という発言とイジメとの関係を考える素材にしていただきたいと思います。

 名付けて「消しゴム貸して事件」です。

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 ある日の授業中、A君は隣の席のBさんから「消しゴム貸して。」と言われました。

 A君は学期の初めに「忘れ物をしないように注意しましょう。前の日に鉛筆や消しゴム、教科書やノートの準備をして忘れ物をしないように注意しましょう。」と先生に言われていたのでこの日も消しゴムは準備して持っていました。

 しかし、A君は消しゴムをBさんに貸してしまうと自分が使うとき困るので貸すのを拒否しました。

 また、同時に、「なんで持って来てないんだよ。」と心の中でちょっと腹立たしく感じてもいました。「自分は先生が言った通り準備して持って来ているのに。」と。

 ところが、A君に拒否されたBさんはいきなり手を上げて「先生、A君が消しゴムを貸してくません。」と先生にアピールしたのです。

  Bさんのこのアピールに対して先生は、「A君、意地悪をしないで貸してあげなさい。Bさんが困っているのだから。」とA君に向かって発言しました。

 A君は先生にそういわれたら何も抵抗ができません。

 やむをえずA君はBさんに自分が用意していた消しゴムを貸しました。

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 さて、読者の皆さんはこれがイジメの原因になることに気付きますか。

(つづく)