退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

先生との出会い(18)―Grammatik[ɡramátik]f.-en―(愚か者の回想四)

2020年10月29日 23時32分07秒 | 日記

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 毎週、一年生では英語が3コマ、ドイツ語が2コマ、二年生では英語が2コマ、ドイツ語が2コマあった。自分の能力をはるかに超えていた。

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 そもそも、予習の仕方が分からなかった。

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 一年生のはじめの頃、授業のとき他の学生は机上に分厚い本を置いていた。

 多分そうかなぁ~、と思いつつ、たまたま隣にいた女子学生に恐る恐る「それは何ですか。」と尋ねた。この頃、母と生協食堂のおばちゃん以外の女性に話しかけることはほぼ皆無だった。

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 「辞書よ。知らない?」

 「はい、知りません。見せていただけますか。」

 「はい。」

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 手渡された分厚い本には、「英和中辞典」と書いてあった。

 初めて見る辞書だ。

 私が知るものとは全く違う。

 辞書らしいものは兄のお古があったがほとんど使えなかった。

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 中を開き先ず目に入ったのは「+目」、「+目+補」、その他、この種の説明書きだった。辞書とはこういうものなのかとそのとき初めて知った。学習環境が人に与える影響の大きさを痛いほど感じた。

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 「これはどこで売っていますか。」

 「生協」

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 その日はすでに閉店していたので翌日少し早くプールを出て生協へ向かった。書籍売り場に行き「『英和中辞典』ってありますか。」と訊くと、「はいよ~。」と言って店員さんが平積みしてあるところから緑の箱に入ったものを手渡してくれた。箱から出すとあの辞書だった。

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 あらためて「履修要項」とか「学習の手引」とかいうものを見るとたしかに「英和中辞典」の文字があった。

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 初めて自分専用の辞書を買った。これは辞書だ。アンチョコではない。しかし、中身はアンチョコに近く感じるほど詳細で分かりやすかった。中学生の時これがあれば7点までは落ちなかっただろう。そう思った。

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 帰宅後、この辞書を使い英語の教科書の文を訳してみた。

 この日まで私は授業中、先生や他の学生が訳す訳をひたすらノートに書き写すだけだった。

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 次の授業でやるはずの部分に挑戦した。何となくウキウキした。未知の単語を辞書で調べてみた。しかし、辞書にその単語は無かった。そんなはずはないと思い、もう一度調べた。無い。

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 無いのではない。調べようとした単語の綴りを間違って調べていた。そして、見つけた。その単語の使い方も書いてあった。辞書を読んだ。おもしろかった。生まれて初めて感じる感覚だった。

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 自分なりに一つの文を日本語に置き換えた。日本語に置き換えた文を見た。何を言っているのか全く分からなかった。

 しかし、初めて自力で英語を辞書を使って日本語に置き換えることができた。もちろん、このときは品詞も文法も何も分からなかった。ただ辞書にある日本語をつなげただけだった。めちゃくちゃだった。

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 さて、ドイツ語だ。ドイツ語は高校までの英語のように物語が載っている教科書と文法だけが説明されている教科書とに分かれていた。

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 誰かが、「ドイツ語のグラマーは分かんないねぇ~。」と話しているのが耳に入った。このとき初めて「文法」をグラマーと呼ぶのかと思った。

 改めてドイツ語の文法の教科書を眺めた。表紙にGrammatikという文字があった。「グラマー」という音に近い。ほとんど使っていない新品のドイツ語の辞書でGrammatikを調べた。「Grammatik[ɡramátik][・・・] f.-en,文法;文法書、文典.」と書いてあった。嬉しかった。

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 英語もろくすっぽできないのにドイツ語である。 

 Grammatikの教科書には表がたくさんあった。「ドイツ語の名詞には『性』がある。単語を覚えるときは『性』も一緒に覚えなければ意味が無い。そして、名詞を使うときはdで始まる定冠詞かeで始まる不定冠詞を付けなければならない。」とドイツ語の先生が説明していた。

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 男性名詞には定冠詞der、des、dem、denを、女性名詞にはdie、der、der、dieを、中性名詞にはdas、des、dem、dasを、そして複数名詞にはdie、der、den、dieを付ける。

 それぞれにdで始まる定冠詞が4個あるのは一格、二格、三格、四格という働きに応じた区別だという。一格は主語、四格は概ね目的語になるが二格と三格は厄介だった。ちなみに、英語のaに相当する不定冠詞は男性名詞ではein、eines、einem、einen、女性名詞ではeine、einer、einer、eine、中性名詞ではein、eines、einem、einであった。

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 二年生になっても語学で苦しんだ。試験では仲間の助けが大きかった。そもそも、大学の講義について行きたければアルバイトなんぞしてはいけない。しかし、それは今になって言えることで、SRのローンを返すにはアルバイトはやめられなかった。

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 三年生になる冬が来た。三年生になると語学は無くなる。語学が無くなれば当然、語学のクラスも無くなる。クラスの「群」もバラバラになる。Oさんとも会う機会はなくなってしまう。Oさんとは研究社の英和中辞典の存在を教えてくれた人だ。クラスに二人いた女性の一人だった。

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 Oさんと二人で会う時間が増えた。御茶ノ水駅の近くにあるジローというイタリアンレストランでピザを食った。

 「今の世の中に疑問が無いの!」と言われ答えに窮したときもあった。レモンとかガスイとかいう名の喫茶店にも入った。コーヒー一杯であれこれ非生産的な話をして非生産的な時間をつぶした。遅くなるとSRで自宅まで送った。1974年も終わる頃だった。(つづく)

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。

 


先生との出会い(17)―引退―(愚か者の回想四)

2020年10月27日 00時18分54秒 | 日記

先生との出会い(17)―引退―(愚か者の回想四)

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 大学2年生の終わり頃だった。一番タワーに上がっていたとき溺者を見落とした。休憩時間直後の「魔の時間」だった。

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 「魔の時間」とは休憩時間が終わった直後。あってはならないことだが、このときライフガードに気持ちの緩みが残る。

 休憩時間が終わると、「休憩時間が終わった!さて、監視を始めるか!」と自分に言い聞かせる。他方、入場者は休憩時間が終わるとすぐに飛び込む。

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 休憩時間は毎正時から5分間。毎正時5分前にタワーは交代する。交代後数分で休憩時間に入る。休憩時間を挟むタワーは入場者がプール内にいないので少し気が楽になる。この気の緩みが「魔の時間」をつくるのである。

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 この日もそういう状況だった。休憩時間終了直後、水深を知らない利用者が一番タワーの真正面から入った。

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 水泳に自信のない人は監視台近くや監視台の真正面から水に入る傾向がある。万一のとき助けてもらえると考えている、と先輩から教えてもらったことがあった。

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 その通りだった。そして溺れた。しかし、私は気づかなかった。他の入場者の通報でコントロールにいたE先輩が飛び出した。

 「一番の前!」コントロールのマイクが大音量で告げた。 

 「一番?俺のタワーだ!何だ?」状況がつかめないまま、ライフガードが次々と控室から飛び出し一番タワーの前に集まった。私は全く指示誘導すらできなかった。

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 ライフガードはいつもの訓練のときと同じように動いた。E先輩の機転もあり幸い大事には至らなかった。溺者は年配者だった。足から水に入りすぐ溺れたためタワーに頭を向け足が沈んだ状態だった。全く見えなかった。

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 O先輩のように、この入場者が水に入る前に気づかなければならなかった。

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 この一件以来、周囲との関係が難しくなった。信頼関係が切れたのだと感じた。私は後輩からも「見落とす先輩」とみられるようになったのだと思った。

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 先輩方も概ね3年間で引退している。私は浪人からなので、もうすぐ3年が経つ。退き際だと思った。

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 しかし、難しいと感じていた周囲との関係はそうではなかった。ただ、私との関係が個人的にうまく行っていなかった役者崩れのFの策略だった。引退後に後輩から聞いて知った。呆れた。

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 A大へ通っていた同期のWも私と一緒に引退した。引退後も私を慕ってくれる後輩は少なくなかった。嬉しかった。

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 この頃、私には好きな人がいた。「好きだ」と自覚したのはずいぶん後になってからだった。

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 大学生活は、理由らしい理由もなく選んだ第二外国語のドイツ語と英語に大変苦労する毎日だった。(つづく)

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※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。


先生との出会い(16)―「うーっ、寒い。」―(愚か者の回想四)

2020年10月26日 22時44分54秒 | 日記

先生との出会い(16)―「うーっ、寒い。」―(愚か者の回想四)

 プールで夕方5時までバイト。それから総武線で御茶の水へ行き勉強。この決まった生活のリズムを乱す者が現れた。

 Kiさんだ。あの、穴の開いたジーンズにサンダル履きで、疲れたシャツを着た人だ。

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 聞けば、彼は一度昼の法律学科に入り中退したという。

 年齢も数個上だった。車が好きな人でセリカGTに乗っていた。

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 この当時、セリカGTといえば、知る人ぞ知る2T-Gエンジンを積んだセリカ1600GTである。ソレックスツインキャブDOHCエンジンだ。2000LBは少しあとになって発売された。同じ2T-Gエンジンを積んだものにカローラレビン、スプリンタートレノ、カリーナ1600GTがあった。ソレックスツインキャブが出す「シューシュー」という音がたまらなかった。

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 帰る方向が同じだったのでKiさんは頻繁に途中駅まで送ってくれた。Kiさんの運転がかっこよかった。

 当時、暴走族という言葉はなかったが、Kiさんは暴走族ではなかった。ただ、自動車が大好きな男だった。

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 私は車に夢中になった。ローンを組みマル専手形でスケールの小さいカローラ30(サンマル)1200SRを買った。プールの収入はすべてローンに消えた。しかし、楽しかった。

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 Kiさん、Hさん、もう一人の女性Yさん、そしてOさん、これが私が属した群だった。Hさんは私と同姓なので皆はKo君と呼んでいた。

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 体育実技では剣道を履修した。KiさんもKo君も剣道を履修していた。Ko君が剣道の有段者だということを知った。

 2号館の薄暗い地下に剣道場があった。普段着のまま防具を付けて叩き合った。防具も籠手もひどく臭かった。

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 もう一人、別のクラスの有段者がいた。授業では相手を替えながら交互に練習をするのだがKo君や有段者君との練習のときは驚いた。目の前にあったはずの相手の竹刀が一瞬消え私の頭をヒットしていた。何度やっても同じだった。剣道の有段者とはこんなに強いのかと驚いた。プールに誘ってみたくなった。

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 剣道にハマったKiさんは2号館の中庭で袋に入れたままの竹刀を振り回していた。私とKo君は長椅子にもたれ元気なKiさんを眺めていた。のどかだった。

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 Kiさんは大学に来ると、何かと理由を付けてはハイライトという名の喫茶店へ私達を誘った。加わる人もいればそうでない人もいた。はじめのうち講義の無いときはいつも誘いに応じていた。

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 ハイライトではあれこれ他愛のないことをよく話した。私が「将来、内閣総理大臣になりたい。」と言うと、「じゃぁ~、この大学の自治会長になれ。」と言った。そういう思考過程を辿るのかと感心した。

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 講義に出ない大学生がいることを知った。はじめのうち講義に出ないことが不安でたまらなかった。しかし、何度か出ないうちにこの感覚が鈍麻していった。堕落の始まりだった。

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 冬になった。講義の後、いつものように群れでドーナッツを食いに行った。当時、はやりだしたファストフード店だ。店を出ると木枯らしが吹いていた。思わず、「うーっ、寒い。」と言うとOさんが、自分がしていたケートの長い襟巻を私の首にかけてくれた。その場の勢いだったが驚いた。その襟巻は私の宝物になった。(つづく)

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。

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先生との出会い(15)―先生に感動―(愚か者の回想四)

2020年10月26日 17時27分59秒 | 日記

先生との出会い(15)―先生に感動―(愚か者の回想四)

「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。

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 「辞書が無いと訳せないなぁ~。」と誰かがつぶやいた。

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 辞書?

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 私は自分が知る辞書を思い出し、「辞書なんかあったって訳せない。」と心でつぶやいた。

 「大丈夫だよ。助けてやるから。」と、先生があの誰かのつぶやきに答えた。

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 訳せないとつぶやいた人も普通に訳していた。

 だんだん順番が近づいてくる。

 小学4年生の夏休み明けの授業を思い出した。

 あの時は自分で選択した結果だし、覚悟はできていた。

 だが、今回は不意打ちだ。

 とはいえ、あらかじめ告知を受けていても訳せるものではなかった。

 順番が来た。やむを得ず、「分かりません。」と言った。

 「分からないことはないだろう。どこが分からない。」

 重低音で優しい良い声で切り返された。

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 私は何かぼそぼそ言った記憶がある。全く訳してはいない。

 しかし、重低音が「うんうん。」とうなずき、まるで復唱するかのように私が訳すべき文を訳してくれた。

 「はい、いいよ。次の人お願いします。」

 私の順番は終わった。

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 大学にはこういう先生がいるのか、と感動した。

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 この先生、T先生はその後も私達と親しく接してくれた。近くの国立大学の助手という地位にある人で空手の有段者であった。

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 英語の授業は3コマあった。他の2コマの授業は先生が教科書を訳し、私達はそれを書き取るというやり方だった。

 ふと周りを見渡すと皆、静かにノートを取っている。だれ一人として無駄話はしない。

 ノートに訳を書く鉛筆やボールペンの音まで聞こえそうなほど静かだった。

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 高校の時、静かになれば、皆、寝ていた。

 だが、ここでは寝てはいない。皆、真剣な面持ちで鉛筆やボールペンを動かしていた。

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 「さすがに大学生はまともだ。」と、そう感動した。感動しながら、自分は今、大学で勉強をしているんだと実感し嬉しくなった。

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 私は大学の授業を休んだことはなかった。プールで夕方5時までアルバイト。それから総武線で御茶の水へ行く。この決まった生活を繰り返していた。

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 ところが、5月の半ばを過ぎた頃、このリズムを乱す人が現れた。(つづく)


先生との出会い(14)―講義初日、「ダメだ!」―(愚か者の回想四)

2020年10月25日 22時50分38秒 | 日記

先生との出会い(14)―講義初日、「ダメだ!」―(愚か者の回想四)

「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。

 帰る途中プールへ寄った。先輩方に合格の報告をした。尊敬するO先輩は、「おめでとう。ちょうどいいね。昼間ここでバイトして夜大学に行けばいい。大学へ行く途中だし。」と一緒に喜んでくれた。

 浪人していたもう一人もA大学に合格した。彼は昼間の大学だった。

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 私達は4月を待たずにプールに復帰することになった。大学の部活には入らなかったがプールが事実上、部活と同じ位置を占めることになった。昼の学生は勉強してから部活だが、私の場合は部活をしてから勉強するというサイクルである。

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 1973年(昭和48年)4月、私は中央大学法学部二部法律学科に入学した。

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 大学の講義が始まる。

 履修登録というやつをするために、大きさが新聞紙のような時間割を広げた。見方が難しい。

 1年生の履修科目は語学が多かった。語学という表現に戸惑ったが、要するに英語だ。だが、そうではないことに気づくには時間がかかった。

 大学ではなんでも「学」の文字が付くらしい。語学では英語の他にもう一つ、外国語を履修しなければならない。私は特に理由らしい理由もなくドイツ語を選んだ。フランス語は発音が難しそうだったので避けた。フランス語を選んだ人の中には女性が多かった。他にも数か国語あった記憶があるがいずれも避けた。ほぼ毎日語学があった。

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 1年生のときは高校のようにクラスがあった。語学のクラスなのだと後から分かった。選択した語学の組み合わせでクラスが編成されていた。これも運命なのだろう。人生は愉快だ。

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 最初の講義の日、教室には30名前後の人がいた。中にはスーツにネクタイ姿の人もいた。これが中大夜間部の景色なのだそうだ。中央大学は地下鉄を使えば霞が関からでも20分前後で来られる位置にある。この近さが中央省庁に勤務する人々の通学を可能にしていた。

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 また、裁判所や検察庁や弁護士会館にも近いのでOBの法曹が非常勤で講義を担当したり、後輩の司法試験受験生の指導に来ることもあった。教室にいた複数のネクタイ姿の人は国税庁の職員だった。

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 彼らとは対照的に穴の開いたジーンズにサンダル履き、疲れたシャツを着た人もいた。それ以外のほとんどの人はジャケット姿で年齢も私より少し上に見えた。女性が二人いた。

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 最初の講義は英語だ。何と言うことか。出席をとる代わりにテキストを一文ずつ順番に訳すよう指示があった。

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「そんなことできるわけがないだろう。」と思った。

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「ダメだ!」

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 これが大学というものなのか。教えてはくれないのか。困惑した。

(つづく)