退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
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「みんな仲良くしましょう。」はいじめの原因!?(8)

2019年09月04日 13時43分57秒 | 日記


 すぐに想起できる権威者(先生)の規範階層に関する認識の欠如についてご案内しましょう。

 これはこの事件の最も重要な要素となります。

 法学の歴史の中に、いわゆる法階層説というものがあります。

 法は階層を為していて上位法を具体化するために下位法があるというのが一般的な理解です。

 当たり前といえば当たり前のことです。

 難しいことではありません。

 わが国の国内現行法も日本国憲法を頂点に刑法や民法、商法その他種々の法律が整備されています。

 他方、広い意味の法規範という観点から眺めると議会制定法とは別に人の行動を規制し促す基準として種々の規範を認識することができます。

 先ほどご案内した道徳規範は分かりやすくて分かり難い身近な規範の一つです。

 そして、法規範が求める行為は最も小さい規範、つまり「せめてこれだけは守ってほしい。」という規範だということができます。

 したがって、「せめてこれだけは守ってほしい」という最低限の規範要求であるにもかかわらず守ってくれないという場合には、やむを得ず例外なく制裁を科し規範違反は許されないことを人々に周知する必要があります。

 これが法規範の役割だということになります。

 このように規範には緩やかなものから厳しいものまで段階があることが分かります。

 行動規範として最も厳しいものは宗教規範でしょうか。

 制裁という観点から見れば刑法を含む法規範が、やはり最も厳しいものだといえるでしょう。

 これらの規範は適用領域と妥当領域を慎重に考慮して適用しなければなりません。

 家族内に厳しい規範を置いたら息苦しくていたたまれないでしょう。

 他方、国家という価値観や、生活様式の異なる多数の人々が一緒に空間を共有して生活をする場では強制力を伴う規範が不可欠です。

 難しいのは家族と国家の中間に属する組織や集団でいかなる規範を用いるかということです。

 すでにお気付きかとは思いますが、小学校の学習上の約束はクラス、またはその学年、ときには全校生徒に適用がある組織的行動規範と考えてよいでしょう。

 「組織的」という文字列は「組織を規律する」という趣旨です。

 「行動」とは単純な行為だけでなくその行為を動機づける意思決定をも含む趣旨です。

 したがって、この種の規範は客観的で目的に応じて厳格でなければなりません(次回ご紹介する「レポートの締切日時厳守事件」もご参照ください。)。

 他方、自発的に生じる他者への友愛や思いやりの心は道徳規範に属するものです。

 したがって、行動規範の問題が生じているときに道徳規範を参照してはいけないのです。

 逆もまた同じです(「優先席はそれを必要としている人に譲るものだ。」と他人に命令することは不合理です。)。

 この考え方を「消しゴム貸して事件」に適用してみましょう。

 A君は「消しゴムは各自準備しなければならない。」という行動規範に従っていました。

 この行動規範に客観的な順守義務があることはすでにお分かりでしょう。

 したがって、Bさんも消しゴムを用意しなければならなかったはずです。

 Bさんに「消しゴムを貸して」と言われたA君は客観的な順守義務が生じている行動規範に従ってこれを拒否しました。

 本来ならばBさんのアピールを受けた先生はBさんに対してこの行動規範の次元で「消しゴムは各自で準備しなければならないことになっていますね。不便かもしれないけれど、今日は我慢しなさい。」と指導すべきであったはずです。

 ところが、先生は行動規範とは異次元の道徳規範を持ち出して「A君、意地悪をしないで貸してあげなさい。Bさんが困っているのだから。」と言ってしまったのです。

 A君にとっては不意打ちを受けたような「規範攻撃」であったわけです。

(つづく)

「みんな仲良くしましょう。」はいじめの原因!?(7)

2019年09月04日 13時23分24秒 | 日記

 さて、そこで、この justice の観点を「消しゴム貸して事件」に当てはめたらどうなるでしょうか。

 A君は正統な、いわば権威(ここでいう「権威」とは命令や禁止の総体である規範を明示する主体という意味です。国でいえば議会や政府であり、小学校でいえば担任の先生ですね。)のある人の「消しゴムを準備して来なさい。」という命令に従って消しゴムを準備して来ました。

 それにもかかわらず、この命令に従っていないBさんが自己の利益を主張して同じ権威者に救済を求めたところ、この権威者はこの要求を入れてA君に「消しゴムを貸してあげなさい。」という不可解な命令をしたことになります。

 A君は「消しゴムを準備して来なさい。」という規範に正直に従ったにもかかわらず規範違反者の犠牲になったことになります。

 正直者が馬鹿を見た結果になりました。

 justiceに反する事態が生じました。

 では、なぜこのような事態が生じたのでしょうか。

 すぐに想起できることは権威者(先生)に規範の階層に関する認識が欠如していたということです。

 後でご案内しますが規範には上下の階層があります。

 この順序を間違うと命令や禁止の規範を示される側、ここでは児童が混乱します。
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 先生が規範の順序を間違えたことでA君は、いわゆる「二重の基準(double standard)」に翻弄されることになります。

 つまり、一つは「消しゴムを準備しなければならない。」という命令規範です。

 そしてもう一つは「意地悪をしてはいけない。」という禁止規範です。

 この二つの規範は階層が違うばかりでなく質も違います(この点も後にご案内します。)。

 「意地悪をしてはいけない。」という禁止規範には「他人には親切にしなければならない。」という命令規範がその裏側に付着しています。

 この後者に位置する、いわば「背後の規範」は、多くの場合入学式などで校長先生や然るべき人が「皆さん、仲良くしてください。」とか「みんな仲良く楽しい学校生活を送ってください。」という挨拶や指導で植え付けられている規範意識です。

 A君の場合、double standard に翻弄されるばかりでなく、入学式で宣言された「みんな仲良く」の命題に自分が反していると先生にレッテルを張られたことに大変大きな心的衝撃(ダメージ)を受けたことになります。

 「自分は先生の指示に従っていた。先生の指示に従っていなかったのはBさんだ。それなのになぜ自分は先生から『意地悪をしてはいけない。』と、自分が意地悪者であるかのような評価をされなければならないのだろうか。」これがA君を追い詰める疑問です。

 同時に、先生の指示に従っていなかったBさんを先生が擁護したことで「消しゴムを準備しなければならない。」という命令規範より「意地悪をしてはいけない。」という禁止規範の方が重要であるということになりました。

 規範の逆転が生じました(ただし、そう考えない人もいます。)。

 A君にとってこの感覚は他人から不当な要求を受けても「意地悪をしてはいけない。」という意識の方が強く作用するので不当な要求を拒否できなくなります。

 イジメ被害の始まりです。

(つづく)