退屈男の愚痴三昧

愚考卑見をさらしてまいります。
ご笑覧あれば大変有り難く存じます。

先生との出会い(48)―地味にコツコツ努力しないものには幸運は来ない ―(愚か者の回想四)

2021年05月15日 13時57分54秒 | 日記

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 Hr君はN君とは異なりどちらかと言うと堅実型であった。彼もS高校を狙っていた。しかし、微妙な賭けは避けNo 2の高校へ進んだ。

 ところが、高校生になってからもHr君は塾に通って来た。塾長が卒塾生の希望に応じて数学の面倒を見ていた。Hr君は英語も見て欲しいと言いN君も加わり英語の勉強が始まった。

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 高校生の英語である。私には無理。私が高校生だった頃、彼らが進んだ高校は遥か雲の上の存在だった。

 あの頃、電車の中で「リーダー」とか「コンポ」とか「グラマー」とか、わけの分からんことを言っていたそこらの高校よりも、もっともっとレベルの高い高校に彼らはいる。

 その高校の英語の補習を私ができるのか。不安になった。

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 だが、これもトラウマの為せるイタズラだった。また、私と英語を勉強したいという彼らの希望は強かった。

 それはあの追試の威力だった。N君は追試で盤石な基礎を築いていた。だから直前の猛追でみごとに合格できた。

 しかし、今度は大学受験である。ここでもHrとNはあの「威力ある追試」を期待していたのかもしれない。

 しかし、それは幻想でしかない。大学入試の英語は高校入試と比べるべくもなく次元が異なる。

 いよいよ私が奮闘努力を重ねた語学攻略の秘伝を明かさざるを得ないときが来たと思った。

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 大学入試英語の準備は多読と精読をキッチリ分けることだ。

 まず、難易度がそれほど高くない比較的長い本を読み進むことだ。

 多少分からない単語があっても無視して進む。ノートに訳を書いたりせずにガンガン読む。これにはTIMEやこれに類する英米雑誌を読むのがよい。

 他方、これとは別に一人の作者による難易度の高い、かつ長い英文を、文法訳をしながらキッチリ読む。この両者を並行してやるといい。

 ただし、意識は英米の文化に向けることだ。中学英語で英文法の8割は終わっている。残り2割は文字通りの文法だけの力では文の意味をつかむことはできない。

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 甚だ生意気な文字列だが、大学院の入試と入学後のゼミで悪戦苦闘したときに感じたことをそのまま彼らに伝えた。

 多くの人にとっては常識なのだが、これを実際にやるのが難しい。しかも大学入試まで3年を切っている。落ち着いた努力が不可欠だ。

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 彼らはこれを実践した。高校の教科書で精読の練習をし、私が用意した中長編の読み物で多読速読の練習をした。

 私が用意した教材は私が学部の時、英語の講義で「読まされた」アメリカ建国史を綴ったものだ。当時は四苦八苦したが英米法の講義を受け、Os先生の特訓を受け、その後At先生の講義と大学院のゼミで勉強するうちにこの読み物の深さと楽しさが見えていた。文章に使われる単語も、その脈絡では他の単語は使えないという部分も味わうことができた。好きになり何度も読んだ。おかげで内容は十分理解していた。そうでないと大学の受験生の指導はできない。これを1年生の3学期頃から読み始めた。これが後に奇跡につながるのである。

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 3年生になった。それぞれ高校のクラスメイトは大手予備校へ通っていた。しかし、彼らは相変わらず塾に通って来た。理系を志望するN君は数学に重点を移した。しかし、文系を目指すHr君は愚直に私との勉強をつづけた。

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 志望校を決める時期が来た。何とHr君は中央大学法学部を受けると言った。他は受けないそうだ。私が入れなかった大学の学部を彼が狙うことになった。

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 この頃、中央大学では入試の時期になると大学院生に試験監督のアルバイトが回って来た。私も在籍中毎年このアルバイトで生活費の一部をまかなっていた。

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 Hr君が受験する年もこのアルバイトに応募し監督業務に加わった。監督と言っても問題用紙と解答用紙を配り解答が終ればこれを回収して然るべき場所へ持って行くだけである。受験生は数千人だ。当然のことながら、Hr君がいる試験場の監督にはならなかった。

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 とはいえ、試験科目は同じだ。問題用紙と解答用紙を配り終われば、あとは複数いる監督が交替で巡回すれば済む。手が空いたので彼が受けているであろう英語の問題冊子を広げてみた。

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 設問は大きく4つか5つ、それらに小問が複数ついていた。自分の大学入試のときはほとんどできなかったが、こうして眺めてみるとしっかり高校で勉強してさえいれば白紙にはならない問題ばかりであった。

 後ろの方の問になると歯ごたえがある。と、眺めていると次は、いわゆる長文問題だ。「これは!?」と思わず腹の中で声が出た。

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 試験の日の翌日、Hr君が塾にやって来た。

 「どうだった。驚いたろぅ。」

 「びっくりしましたよ。試験中ずっと先生の顔が浮かんでましたよ。」

 「だろうな、俺も驚いたよ。まぁ、奇跡だな。」

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 ご案内したようにHr君らと読んでいたテキストは試験対策で選択したものではなかった。したがって、もとより山を張ったわけではまったくない。

 約2年間かけて細々と地味に、地味に勉強していたテキストの一部が出題されていた。偶然であり、幸運であり、奇跡であった。

 だが、幸運を引き込むのも努力の賜物だと私は信じている。地味にコツコツ努力しないものには幸運は来ないだろう。

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 Hr君は合格した。私を超えて私の後輩になってくれた。

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 彼は大学1年生の時、Y先生の教養ゼミを選択した。Y先生は私も一時お世話になったドイツ法の専門家である。

 そして彼は3年生の時、なんとOs先生のゼミに進んだ。偶然だが彼のファーストネームは発音が私と同じだった。

 ゼミでの自己紹介で名前を言うと、「そういえばHという男がいたなぁ~。君と同じYという名だった。」と懐かしそうに語ったという。実に不思議な縁を感じた。

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 Hr君からもずっと年賀状を頂いている。

 彼は卒業後早い時期に結婚した。

 お相手は中学校時代の「憧れの君」だったそうだ。

 彼女も塾に来ていた。

 男の力の裏には、やはりそういう一途な思いがあるのだろうか。(つづく)

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。


先生との出会い(47)― 三者面談では「絶対に落ちる。君が合格する確率は0.01%以下だ。」と言われた。だが、・・・ ―(愚か者の回想四)

2021年05月13日 20時16分26秒 | 日記

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 「やめろ」と頭ごなしに言えば反発するだろう。そうなればもはや塾には戻ってこない。

 しかし、100%賛成するわけにもいかない。

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 「大丈夫なのか?」

 「大丈夫っすね。」

 「何が?」

 「エッ?」

 「何が『大丈夫』なの、かな?」

 「クスリは扱ってません。他にもヤバいことはしてませんよ。」

 「まぁ、気を付けろよ。」

 「ウっす。また来ます。」

 「困ったら遊びに来いや。」

 「ウっす。」

 「じゃあな。死ぬなよ。」

 「死なないっすよ。また来ます。」

 軽くそう言って颯爽と帰って行った。

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 「また来ます。」という言葉が出たのでホッとした。根掘り葉掘り訊いても肩が凝る。何か話してくれたとしても、難しい話ならば私には受けとめきれない。しかし、変な方向へ行ってしまっても困る。彼にはここがとまり木なのだと私は感じた。おそらく自宅にいても、昔の知り合いに会っても気まずい状態になっていたのかもしれない。

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 その後、しばらく塾に顔を見せることはなかった。

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 あれから数年しただろうか、以前ほどひどくはないが派手ではない服装でヒョッコリやって来た。

 「ウっす、ご無沙汰っす。先生、元気っすか。」

 「どした。元気か。」

 「はい、元気です。」

 (「はい、元気です。」か。変わったな。)

 「元気ならいいや。」

 「妹も、元気でやってます。子どもできちゃって、色々っすよ。」

 「そっか。妹はどこ行ったっけ。」

 「〇〇です。」

 「あそこは今すごいぞ。レベル上がったよ。」

 「そっすかぁ。やめなきゃよかったな。」

 「だな。今じゃ、□□と肩を並べる進学校だ。肩で風切って歩けるぜ。」

 「そっすかぁ。残念だなぁ~。俺んときは校内で風切って歩いてたから追い出されちゃいましたよ。」

 これには塾長と三人で大爆笑した。

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 その後は平穏な生活をしているらしい。私は大学の専任教員が決まったときに塾をやめたが、彼からはその後もずっと年賀状が来ている。今年も来た。毎年、子供二人が写っているハガキなので成長がよく分かる。良いパパをしているようだ。良かった。

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 もう一人。

 逸材がいた。Hr君だ。

 彼の場合はいささかドラマティックだった。

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 彼の兄もこの塾に来ていた。ひとつかふたつ違いだった記憶がある。

 表現が難しいが、二人ともいわゆる優等生ではなかった。

 兄は、普通に上から三番目の高校に進学した。

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 弟は違っていた。気合が入っていた。

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 もっとも、中学生時代は彼よりもその友人Nの方が記憶に深い。そこで、先にN君について紹介しておこう。

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 この友人、N君は長身のイケメンで成績は中くらいであった。脳みそは良かった。

 しかし、その良質な脳みその使い方に不慣れだった。

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 本人は普通に学区一番の県立S高校に入れると思っていたらしい。

 ところが、二年生の3学期に行われた進路相談、いわゆる三者面談で「S高校は無理だ」と言われた。

 しかし、N君はどうしてもS校へ行きたかった。とはいえ、三年生になっても猛勉強を始めたという様子はなかった。いつも定期試験では比較的高い点数を取り成績表にもそれなりの数字が並んでいた。しかし、S校へ行くならばそれではダメなのである。もう一つランクを上げないと難しかった。

 三年生になって最後の三者面談でも「S高校は無理だ」と言われた。しかもそのとき、「合格できる確率は0.01%以下だ。」とまで言われた。

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 彼のラストスパートは凄かった。いつもの柔和な空気が消えていた。幸いS校は当日の成績が大きく評価される高校であった。然もありなん。内申書では評価が高い子でも入試の成績が十分でない子が少なくない。

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 他の塾や予備校も同じであろうが、この塾でも年が明けると、全国の高等学校の入試問題で編集された分厚い問題集を使って勉強をする。塾生たちは回を重ねるごとに正答率と解答速度が増してきた。名門、難関と言われる高校の問題もブルドーザーの如く解いて行った。一校終わる毎に「はい、これで〇〇高校合格!」と言って先へ進んだ。

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 そんななかN君の加速度は群を抜いていた。

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 確率0.01%以下の高校入試が終った日、彼は塾にいた。塾長も私も100%合格すると考えていた。もちろん実力はあった。そして、実力以上に、といったら彼に失礼だが、実力以上に度胸があった。

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 「たぶん英語も数学も満点ですよ。(新聞報道の)答えなんか見なくても分かりますよ。」

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 私も一度は言ってみたいセリフである。そして、言葉通り他の教科も含めほぼ満点で合格した。

 「『反吐が出るほど簡単だった』って言ってやりますよ。」と笑った。もちろん、これを言われる相手は確率0.01%以下と言った中学校の先生である。

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 中学校の先生の気持ちも分からないでもない。高校浪人を出すわけにはいかない。私は危なかったが。

 しかし、どうしても行きたい。「0.01%に賭けたい」という子の気持ちも分かってほしい気がする。もっとも、N君が受かったのは、「絶対に落ちる。君が合格する確率は0.01%以下だ。」と先生に言われたからかもしれない。

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 さて、このN君の友人Hr君の話に戻ろう。(つづく)

 

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。


先生との出会い(46)― 「『指定』って何すか?」 ―(愚か者の回想四)

2021年05月05日 18時27分18秒 | 日記

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 一学期の期末試験には間に合わなかった。だが、その後、彼は夏休みの特訓期間を使い、すでに終わっているLesson 1.からすべての追試を受け合格した。

 たまに答案回収箱に彼の名前が書かれた2年生の追試が入っていることもあった。

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 塾に来た時、39点だった彼は二学期の中間試験の英語では桁の数字が入れ替わり93点を取った。

 保護者が、「はいれる高校が無い」と心配した彼だったが学区内でNo2.の高校に合格した。

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 もう一人、塾に来た個性ある生徒を紹介しておきたい。

 彼は暴れん坊だった。脳みそは良い。だが、中学校の空気には馴染めなかった。(私もそうだったのでよく分かる。)

 ところが、学校は休みがちなのに塾には一年から三年まで休まず来ていた。(私は、塾には行かなかった。そんな金も、時間も、意志も無かったから。)

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 彼は学校の英語の成績は良くなかった。しかし、追試には次々と合格していた。つまり、学校の先生に不快感を持っていたのである。実によく分かる。

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 三年生になり学校で進路相談が始まった。学校の成績は良くないので先生は成績に見合った学校を提案した。

 しかし、彼はそれを蹴った。「冗談じゃねぇ~、あんな高校行かれるか。」とかなんとか言ったらしい。彼には行きたい高校があった。だが、進路指導の先生は絶対無理と言った。

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 塾長は、「平気じゃないか。」と余裕であった。私も彼の塾での実力を眺めると合格できると考えた。

 年が明けた。この頃に始まる直前特訓では気合の入った勉強をしていた。

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 出願直前の面談で再び志望校を下げるよう促された。無口な男だったが実に不快な顔をして塾にやって来て話した。

 我々は志望校の選択には関知しない。生徒が入りたいと言えば入れるように指導をするだけだ。

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 そして入試の日を迎えた。本人に言わせれば英語は満点だったらしい。みごとに合格した。志望校を下げるよう指導した先生は仰天していたという。

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 しかし、残念なことに高校でも空気が合わず結局中退した。

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 その後しばらくして、彼は爆音を響かせ改造バイクで塾に顔を出した。

 「ウっす、ご無沙汰っす。先生、元気っすか。」

 暴走族みたいな服装であった。

 だが、楽しそうであった。

 「子供らが怖がるからもう少しましなかっこうをして来い。」と言うと、「わっかりましたぁ~。また来ま~す。」と言ってニコニコしながら汚いかっこうで帰って行った。

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 ちなみに、彼には、「町でうちの塾生がヤバいことになっていたら助けてやってくれ。」と頼んでおいた。

 今は知らないが、当時、他の塾の生徒が月謝を奪われるという被害が私の耳に入っていた。

 多くの場合、塾は月初めや月末に集金するので、生徒が塾に収める月謝を持っていることを知ってこれを狙う悪ガキが出没していた。

 この塾では女子は全員マイクロバスで送り迎えをしていたが男子は自転車か徒歩だった。

 「蛇の道は蛇」と言っては彼に失礼だが彼ならばヤバい生徒を助けられると考えた。

 「いいっすよ!『どこの塾?』って聞いてからやりますから。他の塾の子は関係ないっすから!」そう言って笑った。

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 それから何年か経ったある日、彼は再び塾にやって来た。

 「ウっす、ご無沙汰っす。先生、元気っすか。」

 言うことは全く同じだった。

 ところが、服装と雰囲気が全く違っていた。頭はパンチパーマ、派手なブラウスに派手なスラックス。汚くはない。

 小さな黒いカバンを小脇に挟みニコニコしていた。

 「どした。元気そうだな。今、何やってんだ。」

 「今っすか。ちゃんとやってますよ。」

 「で、今日は?」

 「いえねぇ、組、入ったんすよ。」

 「組かぁ~。どこだ?」

 「先生知ってっかなぁ~。〇〇〇です。バイト先の先輩に気に入られちゃって組長という人に会ったんすよ。そしたら、こっちでも気に入られちゃって。(以下省略)」

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 そうなのである。いわゆる暴□団に入っていた。

 暴□団の勧誘方法は多岐にわたるが、彼の場合は「持ち上げ型」だった。これは非常に巧妙だ。

 まず、一般に男が欲しがるであろう有形無形のものを提供する。いわゆる、三種の神器も含まれる。ときにはチ○カまでも渡す。ただし中身は無い。当たり前だが。

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 こうして人の心をつかむ。

 心をつかまれた者は、「親分のためなら死んでもいい。」と短絡的に信仰してしまう、場合がある。

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 「先生知ってっかなぁ~。」と言って組の名前を言ったとき、本部事務所の場所と代表者の名前を私が言うと、「先生、よく知ってますねぇ~。」と驚いていた。

 「当たり前だ。指定じゃないか。」と言うと、「『指定』って何すか?」と言った。指定を知らずに指定に入っていた。

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 これ以上詳しいことは文字化できないが、指定暴□団の内、上位三団体以外で関東の有名どころと言えば数は少ない。

 刑法やら刑事訴訟法やら警察政策や犯罪対策などを少しでも専門に勉強しているものならば団体の本拠地と代表者の氏名くらいは頭に叩き込んである。「よく知ってますねぇ~。」と言われても知っている理由を一々説明するのは面倒だった。

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 さてどうするか。(つづく)

 

※「先生との出会い」はファンタジーです。実在する団体及び個人とは一切関係ありません。