2013-11-30
院内の石橋(3)
「19.小稲橋」(大正末期建設)はすっかりコンクリートで覆われて
いました。がっかりしていると、
「20.橋詰水路橋」(江戸末期建設)の標識がありました。
手前の橋の上から奥を覗きましたが見当たりません。
望遠でさらに目を凝らして奥を覗くと、ありました!
前方の畑の中、農家の石垣の下を歩いていくと現役の水路が
ありました。水田の季節には川水をポンプアップして送水して
いるようです。対岸に説明掲示がありました。
あちらの方が正式道路なのですね。
望遠で見た「20.橋詰水路橋」(江戸末期建設)の説明掲示板。
県道664号をさらに西へ登っていくと右手にこの標識が……
「21.長六橋」です。
昭和7年の建設といいますから、ガラジーと同年です。
車も通る、立派な現役の石橋です。
長六橋からいっぱい元気をもらうことにしました。
きれいに手入れされています。
三叉路まで戻って、前に進んでいくと、
「23.大重見橋」(昭和20年建設)の標識です。
これも生活道路になっている現役の石橋です。
比較的新しい石橋らしく、側壁の石がかなり加工されています。
国道387号に戻っていく途中「28.大副池橋」(大正時代建設)が
あるはずなのですが、標識は見つけましたが橋は見つかりません。
右の貯水池には見当たりません。
左の貯水池にも見当たりません。残念ながら探索を断念。
国道387号に近くなって、 「26.荒瀬橋」 (大正2年建設) を
見つけました。石工の棟梁は鳥居橋と同じ「松田新之助」です。
側壁面に積まれた石は丁寧に加工されています。大正2年
完成後しばらくの間は有料で、県下第一号の有料橋でした。
長い橋脚と美しい二連アーチ、橋高は18.3mと
院内では最高の高さを誇っています。
しっかりした石組ですね。
かろうじて「あらせばし」と読めます。
「恵良川」にかかっています。現在では写真で向こう側の道路が
国道387号に直結、国道には新しい橋がかかっています。
国道の新橋から荒瀬橋を眺めました。
秋ですね。いずれ近いうちにまた石橋を紹介いたします。
(院内の石橋 一旦終わり)
2012-11-30
11月27日に発生した北海道の大停電を昨29日までまったく知りませんでした。関東在住のN氏からご指摘を受けあわてて北海道新聞のサイトへ!
激しい暴風雨の結果、五万軒もの所帯が長時間停電に見舞われたといいます。
この季節に停電では寒くて困ってしまいます。
北海道では多くの家で暖房源にしているFF式石油ストーブ、電気がなくては満足に燃えません。電気カーペット、電気毛布、赤外線ヒーターなどなど、いずれも機能しません。最近はやりのオール電化の家では……考えただけでも恐ろしい。
もっと寒さの厳しい2月、同じような目にあったことがあります。
土曜日の夕方、石油ストーブの燃焼が止まりました。200リットルの石油タンクが空になっていたのでした。石油を定期配送してくれていた生協の契約店に電話すると、
「定期給油までにはまだ数日ありますが、明日は日曜日、明後日に給油しましょう。」
との返事。契約店は隣町にあります。
室温はどんどん下がり始めます。
幸い今回の大停電とは異なり、電気は来ておりましたから、電気毛布を強にしたうえ布団を2枚重ねとりあえず就寝。翌日もトイレ以外は布団の中の生活。室温零度近くの寒さは人間の活動もシバリつかせるようでした。
午後になって契約店に電話すると、
「午前中に定期以外の給油になりますから、生協本部と相談のうえ、午後給油に参ります」
との返事。
もう待っておれません。これまで一度も取引のなかったこの町のT石油店に電話すると、日曜日にもかかわらず早速給油してくれて、平常の生活を復活させることができたのでした。
この事件以来、石油の契約は地元に限ると、T石油店となりました。
T石油店は定期給油ではありません。たえず巡回して、タンク残り少なくなると適宜給油してくれたのでした。
院内の石橋(3)
「19.小稲橋」(大正末期建設)はすっかりコンクリートで覆われて
いました。がっかりしていると、
「20.橋詰水路橋」(江戸末期建設)の標識がありました。
手前の橋の上から奥を覗きましたが見当たりません。
望遠でさらに目を凝らして奥を覗くと、ありました!
前方の畑の中、農家の石垣の下を歩いていくと現役の水路が
ありました。水田の季節には川水をポンプアップして送水して
いるようです。対岸に説明掲示がありました。
あちらの方が正式道路なのですね。
望遠で見た「20.橋詰水路橋」(江戸末期建設)の説明掲示板。
県道664号をさらに西へ登っていくと右手にこの標識が……
「21.長六橋」です。
昭和7年の建設といいますから、ガラジーと同年です。
車も通る、立派な現役の石橋です。
長六橋からいっぱい元気をもらうことにしました。
きれいに手入れされています。
三叉路まで戻って、前に進んでいくと、
「23.大重見橋」(昭和20年建設)の標識です。
これも生活道路になっている現役の石橋です。
比較的新しい石橋らしく、側壁の石がかなり加工されています。
国道387号に戻っていく途中「28.大副池橋」(大正時代建設)が
あるはずなのですが、標識は見つけましたが橋は見つかりません。
右の貯水池には見当たりません。
左の貯水池にも見当たりません。残念ながら探索を断念。
国道387号に近くなって、 「26.荒瀬橋」 (大正2年建設) を
見つけました。石工の棟梁は鳥居橋と同じ「松田新之助」です。
側壁面に積まれた石は丁寧に加工されています。大正2年
完成後しばらくの間は有料で、県下第一号の有料橋でした。
長い橋脚と美しい二連アーチ、橋高は18.3mと
院内では最高の高さを誇っています。
しっかりした石組ですね。
かろうじて「あらせばし」と読めます。
「恵良川」にかかっています。現在では写真で向こう側の道路が
国道387号に直結、国道には新しい橋がかかっています。
国道の新橋から荒瀬橋を眺めました。
秋ですね。いずれ近いうちにまた石橋を紹介いたします。
(院内の石橋 一旦終わり)
2012-11-30
11月27日に発生した北海道の大停電を昨29日までまったく知りませんでした。関東在住のN氏からご指摘を受けあわてて北海道新聞のサイトへ!
激しい暴風雨の結果、五万軒もの所帯が長時間停電に見舞われたといいます。
この季節に停電では寒くて困ってしまいます。
北海道では多くの家で暖房源にしているFF式石油ストーブ、電気がなくては満足に燃えません。電気カーペット、電気毛布、赤外線ヒーターなどなど、いずれも機能しません。最近はやりのオール電化の家では……考えただけでも恐ろしい。
もっと寒さの厳しい2月、同じような目にあったことがあります。
土曜日の夕方、石油ストーブの燃焼が止まりました。200リットルの石油タンクが空になっていたのでした。石油を定期配送してくれていた生協の契約店に電話すると、
「定期給油までにはまだ数日ありますが、明日は日曜日、明後日に給油しましょう。」
との返事。契約店は隣町にあります。
室温はどんどん下がり始めます。
幸い今回の大停電とは異なり、電気は来ておりましたから、電気毛布を強にしたうえ布団を2枚重ねとりあえず就寝。翌日もトイレ以外は布団の中の生活。室温零度近くの寒さは人間の活動もシバリつかせるようでした。
午後になって契約店に電話すると、
「午前中に定期以外の給油になりますから、生協本部と相談のうえ、午後給油に参ります」
との返事。
もう待っておれません。これまで一度も取引のなかったこの町のT石油店に電話すると、日曜日にもかかわらず早速給油してくれて、平常の生活を復活させることができたのでした。
この事件以来、石油の契約は地元に限ると、T石油店となりました。
T石油店は定期給油ではありません。たえず巡回して、タンク残り少なくなると適宜給油してくれたのでした。