蒲公英の絮

四季折々の花や空の写真と、自己流俳句で日々を綴ります。

満月の煌々と

2022-10-20 11:56:00 | 日記




















       秋澄めり案内状の月煌々





















       ノクターンで始まる舞台冬初め







   深秋の舞台序章はノクターン




















東京の弟から、舞台公演の案内状が届いた。
もう12年目になると言う。

本業は画家である。
自身を表現するという術を、絵だけじゃなく、ダンスで、と思いたち今現在も、指導してくださる素晴らしい先生の元、続けている。

公演は、12回目だけれど(毎年一度)おそらく先生に、習い始めての年を数えれば、もっと長い年月かと思う。

絵や絵本を描くより、こちらのダンスにより力を注いでいる。
生き甲斐なのだろうと思う。

高齢の母と伯母と共に暮らし、二人の晩年を豊かに穏やかなものにしてくれた弟。
年寄りと暮らす、介護をする…実際に経験した者でないとわからない苦労や苦悩。

を、ものともせず、いや本当は、口では言えない大変な日々だったろう。そして、だからこそ二人が旅立った後の悲しみや空虚は、到底他人にはわからない。


(理解してるつもりの姉二人だが、きっとその全ては知り得ない、彼の深い胸の内。)

そんな中でも、ダンスへの情熱は消えなかったようだ。

今年の案内状の、月と夜空の綺麗な色を見入る。
青い色は彼の得意とするところ。と姉は勝手に思っている。

この12年間の公演、全てが短く、写真とともに網羅されている。
一回しか、実際の舞台を観た事がないのだが、だから知ったかぶりは出来ないけど。
何故ダンスに執着(言い過ぎか?)するのか解った気がした。
一番自分を表現できる、今一番心に秘めたものを表現できる。
本音がそこにはあるのだと。

どちらかと言うと、自分より相手をまず優先させ、本心は明かさないタイプの弟。
ダンスはそのうちなる思いを発散させてくれるもの。なのかもしれない。


などと、勝手に書いたが、全く姉の私の個人的見解。
ダンスに魅了されたいきさつも、詳しくは知らないがほんとのところ。

そして俳句は、全く同じ意味のことを、季語を晩秋と初冬にしてみた。手にした(案内状を貰った)季節と、実際の公演11月10、11日を思いながら。(季語が動く才能なしの句ではあります。)











       


コメント
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