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SEゴルファーのOJTレポート ~職場のゴルフコンペブービー から THE OPENロイヤルトロフィー への挑戦 ~

このブログは、私のゴルフ理論を書く「ゴルフ雑誌の連載コラム」のようなものです。日記(私生活の記録)ではありません。

態度が大きくなる その2

2017年04月29日 | 持論
今回も前回までの話題の続きです。ゴルフをかなり続けていくと「ゴルフとはグロススコアが良ければ良いというものでは無い」という考え方になり、コース(コンディション)・マナー・歴史を学び、ゴルフに関する知識を増やしていくようになります。
2011/10/01記事で「グロススコアが良くなると、態度が大きくなるケースが多い」と書きました。グロススコアが良い事は、ゴルフをする人からもしない人からも称賛されるような事ですから、分かりやすい話です。資産家や事業家などの中に態度が大きい人がそこそこ居るのと同じ状況です。
態度が大きくなるという点では、ゴルフに関する知識が多いという事についても、態度が大きくなり得るものだと思います。
しかし、こちらは非常に厄介です。ゴルフに関する知識が多い事については、大多数のゴルファーとほぼ全てのゴルフをしない人から、その価値をほとんど認められておらず、称賛もされて無い事だからです。ゴルフに関する知識が多いからと言って、飛距離やグロススコアにしか価値を感じていない人に対して、大きな態度を示した所で、完全に無視されたり、堂々と反撃されるものです。「馬の耳に念仏」という状況になります。
ゴルフはマナーを重んじるスポーツであり、ゴルフに関する知識が多い人は「そんなの百も承知」のはずです。エリートコースを卒業し、グロススコア至上主義を卒業したならば、もう一段上の益々謙虚な姿勢を心掛けるべきでしょう。

スコアだけでなく人間性も育みたい

2017年04月22日 | 持論
今回も前回までの話題の続きで、前々回のエリートコースに関する追記です。
ゴルフに限らない近年の傾向と思いますが、ジュニアをエリートコース指向で育成しているケースが多いように見えます。幼稚園・小学校・中学校のお受験というのも、「学業におけるエリートコース指向での育成」と言えるでしょう。
賞金を稼げるプロゴルファーに育てるため、同年代の人との競争に勝たすため、育成する側もされる側も、グロススコア至上主義、エリート指向、となってしまうのが普通なのかもしれません。
一方で近年のゴルフ界では「ジュニア育成において、学業も疎かにしてはならない(ゴルフ以外の人間としての育成も疎かにない)」というよう意見も多く出てきています。社会性も併せ持ったプロゴルファーになり、選手としての寿命を伸ばし、選手引退後のセカンドライフも充実できるようにする、という狙いだと思います。
この点は、社会人になってからゴルフを始める人でも全く同じと思います。ゴルフをやるからには、グロススコアが良い事も大事であり、グロススコアを良くするために頑張るのも、大事でしょう。しかし、同時に、社会人としての人間的な成長も考慮し、それを疎かにしてはなりません。
ジュニアから始めたプロゴルファーも、社会人になってから始めた市民ゴルファーも、「エリートコース指向で、良いグロススコアを出せる腕前は持っているけど、人間的には未熟」というのは良くない状態だと思います。

グロススコア勝負の世界では小学生も大学卒業生も対等

2017年04月15日 | 持論
今回も前回までの続きです。前回までに、エリートコースのゴルフは「スコアにこだわる小学生なゴルフ」であり、エリートコースのゴルフができなくなった後、それでもゴルフを続けて行くと、中学、高校、大学、卒業と進むと書きました。
小学生と大学卒業生の対戦と聞くけば、日常世界では大学卒業生の方が優秀で勝ちそうに見えますが、ゴルフにおいては、全然そうではありません。競技会などで、グロススコアのみでの勝負となると、小学生も大学卒業生もガチンコです。いえ、むしろ余計な知識が無く、猛進できる小学生の方が勝つことが多いです。
スコアに影響するのは、ショットの結果、ボールを何処から何処へ運んだか、だけです。単純計算のショット計画、単一スイング、によって、飛んで曲がらない球を打つ小学生でも、いろいろな変化球の打ち方を知っていて、複数のショット計画のカードの中から最適なカードを選ぶ大学卒業生でも、ショットの結果、ボールが飛んで止まった場所が全てです。ボールが何処に止まるかは、ショットのパワー(飛距離)と精度(正確性)しか影響しません。つまり、ゴルフの知識とショット計画の選択肢の多さは、完全に無関係なのです。

エリートコース卒業後の学びの道

2017年04月08日 | 持論
今回も前回までの話題の続きです。エリートコースのゴルフができなくなった後に、それでもゴルフを続けて行くには、「ゴルフに関連するあらゆる知識を増やそうとしていく」しかないものと、考えられます。
ボールが曲がる物理の原理を学び、ボールを意図的に曲げる打ち方を学ぶ事でしょう。コースと気象条件といった「景色」をよく見るようになり、ボールの飛び方・跳ね方・転がり方の物理的な法則を学びだすでしょう。自分の心の抑揚が気になり、他人の言動の自分への影響を考えはじめ、心理学を学び、同伴者やキャディーさんの言動が気になりだし、「マナーにうるさく」なることでしょう。これらのゴルフに関連するいろいろな知識を学ぶ最善の方法は、他人の過去の出来事を知る事だと気づき、ゴルフの「歴史の勉強」を始める事でしょう。
こうしたそれぞれの分野のゴルフの知識について、あるレベルの(及第点な)知識が身に付いてくると、それぞれの分野を「卒業」したと言えるゴルファーになるのでしょう。
前々回に記述した「セントアンドリュース ゴルフクラブに掲げられている文章」の意味というは、こういう事なのではないか?私はそう思っています。

脱エリートコースのススメ

2017年03月12日 | 持論
現代ゴルフでは「常に同じ」「キレイでオーソドックスなスイング」をして「常に番手なりに同じの」「高くて遠くへ飛んで曲がらない球を打つ」のが「良いスコアを出す秘訣」だと思われています。
これは確かに真実だと思います。過去のパーシモン・マッスルバック・糸巻きボールのみであった時代の「意図的に、球を曲げる、高さや飛距離の異なる球を打つ」というゴルフよりも、「前記の現代の理想のゴルフ」の方が良いスコアを出せるのは間違いないと思います。
社会全般に言える事になりますが、現代では「エリートコースを進む」のを良しとしています。「前記の現代の理想のゴルフ」も「エリートコースを進むゴルフ」だと言えます。
生涯に渡って「エリートコースを進むゴルフ」を続けて行ければ良いですが。社会生活同様、大多数の人は現役を引退する年齢になる前に、競争に負け、エリートコースを進むことができなくなるものです。
ゴルフでエリートコースのレースから脱落するケースは、次のようなパターンも多いと思っています。人間は機械ではないために、「番手なりに同じの高くて遠くへ飛んで曲がらない球」を「常に打ち続ける」事は無理なのです。どこかの大事な場面で「ちょっとだけかかってしまったサイドスピン」によって「強い横風などによって果てしない所までボールが転がっていってしまった」という経験をしてしまうと、サイドスピンがかかって球が曲がるのが怖くなり、もはや「のびのびとスイングして、高くて遠くへ飛んで曲がらない球を打つ」事ができなくなるものです。この状態では、エリートコースを進み続けるのは辛くなり、脱落となります。
社会生活では「エリートコースの競争を降りた後の人生」も大事です。なので、ゴルフでも「エリートコースの競争を降りた後のゴルフ人生」も大事になると、私は思います。