Truth Diary

老年期と知恵

 日本の民話の中で、姥捨山は有名な話である。60歳を過ぎた老人を山に棄てるという決まりがあった土地で、ある男が自分の母親をおぶって棄てに行くとき、母親は木の枝を折っては道に落としている。聞いてみると、「おまえが帰り道を迷わないように」というその言葉をきいたとき、このように自分を思ってくれる母親を棄てることができず、縁の下にかくまって世話をする。しかし、それが見つかったら、厳しいお咎めがある。そんなある日、隣国の殿様が灰で縄をなえという無理難題を出し、できなければ国を滅ぼすぞと言ってきた。この無理難題に老人は、塩水につけた縄を焼けば灰になった縄となると教えてくれる。このようにして、いくつかの難問を老人の知恵を借りて切り抜ける。それ以降、老人は大切にすべきものとして、扱われるようになったというものである。

 老人は生産力ということとは異なった別の価値観が呈示されている。老人の解決した難問は、いずれも直接生産に結びつくものではなく、いわば無駄なものである。しかしそのようなものにこそ、老人は知恵を示し、それは若者たちが生きる価値観とは異なった、深い世界を示している。

 現代社会において老賢者はどうだろうか、亀の甲より年の功という言葉が生きていた時代は、人が持つ知識量は比較的限定されており、また、その意識の変化も緩やかなときであった。たとえば、文字がなかった古代に、古来からの物語を語る古老は、大変貴重な存在であった。文字に書き記されていないがゆえに、その老人が語らなければ、その物語は存在しえない。そして、一言一句間違えずに語るということこそが、自分たち種族のアイデンティティを示すものであった。

 現代において、私たちが持つべき知識の変化スピードはますます速くなっている。老人が示す知恵は処方といったものが、古くさいとか迷信であるといって否定される場合も多い。まt、老人の示す価値観や規範といったものも、現代の価値観に合致しないことも多いであろう。このような中で老いるということに、どのような意義を見いだすことができるであろうか。

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